第2章 おじさんと初恋と未亡人と後継問題
第18話 おじさん、貴族の揉め事に巻き込まれる
「おい、いい加減にしろよ、クソども! とっととあのクソ赤毛ぼんやり野郎を出しやがれッ」
「落ち着いてください、ジェヴォン様。口が過ぎますよ」
「うるせー! そもそもテメェがヘタ打たなきゃ、こんなことには――」
「ジェヴォン様。
冒険者ギルドの地下。
二人の冒険者――チヅルさんを襲った
僕はエレナと廊下を歩きながら、げんなりとした気持ちになる。
「……クソ赤毛ぼんやり野郎って僕のことかな?」
「アルを侮辱するとはいい度胸だ。ご自慢の金髪を一本残らずむしり取ってやろう」
「よせってエレナ、聞くだけで痛そうだ」
あの雨の夜から、四人の
何しろ彼らは、冒険者ギルドの規則を破っただけでなく、辺境伯が治める地に別の貴族の利権を求めて潜り込んだのだ。
黒幕を追求するため、極めて厳しい尋問が彼らを待っていた。
しかし彼らは頑として口を開かなかった。
領主であるマリーアン様が直々に尋問しても、なお。
「まったく、この者達の頑固さにも呆れるが……保護観察の身でありながら、軽率に身を晒したそなたも悪いのだぞ、アルフレッド殿」
「すみません、マリーアン様。迂闊でした。まさか彼らが僕の正体に気付くとは」
かつて僕は研究に失敗し、一都市を崩壊させるほどの魔法を暴走させた。
これは王国史上類を見ないほどの大事件で――いくら研究の為とは言え、僕に対して処罰を望む声は多かった。もちろん極刑を含めて。
そんな僕を――そしてカレンを救ってくれたのが、マリーアン様だった。
先代のジェファーソン様に魔法の才を見出され、マリーアン様ご自身の家庭教師も務めた僕のことをかばい、辺境に封じることで罰とする、として国王陛下を執り成してくれたのだ。
さらに保護観察役として、王立魔法研究所を通して昔馴染みのエレナを雇ってくれた。
そうした取り計らいのおかげで、僕とカレンは今の平穏な暮らしを手に入れることができた。
つまり僕達家族にとって、彼女は感謝してもしきれない恩人なのだ。
「あの魔法使い――レオンは、そなたが協力を約束しない限りは何も話さない、の一点張りでな」
「協力するなんて一言も言ってないんですけどね……話を聞く、とは言いましたけど」
マリーアン様の視線が厳しくなる。
「そなた、そういうところだぞ。お人好しでこれ以上自身の首を締めるでない」
「すいません。なんか最近よく言われます、それ」
先を歩いていたエレナが、尋問室のドアを開けてくれる。
僕が顔を出すなり、
「おお! ようやくお越しですか、“
「おせぇぞ、赤たわし野郎!」
……温度差が激しすぎて風邪引きそう。
「初めに断っておくけど、僕はあくまで『話を聞く』だけ。どういう形で協力するかは、こちらのマリーアン様が決定する。いいね?」
「あなたのお知恵があれば百人力ですとも!」
その厚い信頼はどこから湧いてくるんだ……と思うけど、まあ黙っておこう。
今はとにかく、事情を探ることが先決だ。
「まずは改めて私達の自己紹介から始めさせていただきましょう。私は魔法使いのレオン・マイド。そしてこちらにいらっしゃるのがジェヴォン・リリー様――リリー家の次期当主となるべき高貴なお方です!」
「おうおう、平伏しやがれ、そこの平民二人ィ!」
……高貴な?
僕とエレナは思わず顔を見合わせるが。
マリーアン様は、訳知り顔で頷いた。
「……リリー家。なるほど。そういえば、先日当主の交代でいざこざがあったそうだな」
「流石はラーヴェルート辺境伯。よくご存知ですね」
なんでも当主が急に亡くなり、その跡目を当主の弟と当主の妻のどちらが継ぐかで、領地が揺れたんだとか。
貴族の護衛を専門にしてる冒険者のケヴィンが、そんなようなことを言っていたっけ。
「こちらにおわすジェヴォン様こそ、亡きジャック様と残されたエヴァン様の間に生まれた、リリー家の正統たる跡継ぎに他なりません!」
「分かったか、うすら赤毛野郎!」
「オイ。次にアルにふざけた口を利いたら、お前の毛を馬糞色に染めるぞ。いいな?」
こめかみに血管を浮き上がらせたエレナはさておいて。
僕は、レオンが上げた名前に聞き覚えがあった。
「……エヴァン。エヴァン……? なあ、ええと、レオン。その、エヴァンさんって、リリー家には嫁入りしたんだよね? 以前の家名は?」
「エヴァン奥様は、元はディアス家のご息女でした。……ご面識がおありですか、“
エヴァン・ディアス。
……聞き覚えがある。うん。それは間違いない。けど。
「レオンとか言ったか。あまり期待するなよ。アルはな、魔法に関しては些細なことでも絶対に忘れないが、それ以外はわりと適当だ」
「おいダメじゃねーかオトボケ赤毛野郎イデデデデデ」
「むしる。一本残らず」
「よさないか、エレナ殿。そなたはもう、ホントに昔っからすぐ手が出る。あの頃は我も本気で怖かったんだぞ」
ノーモーションでジェヴォンの金髪を引っ張り出すエレナを、マリーアン様がたしなめる。
豪腕にぎりぎりと髪を引っ張られて、ジェヴォンの緑の瞳にも涙が浮かぶ――
……あ! 思い出した!
「その金髪、緑の瞳、目つき……君の母親は、あのエヴァン・ディアスか!」
「思い出せたのか……本当か? 別のエヴァンじゃないか?」
別にいいけど、エレナもちょいちょい失礼なこと言ってないか?
人の顔ぐらい憶えられるよ。たまに思い出せないだけで。
「昔、研究所の資金集めで出席させられたパーティで会った気がする。なんか……資金を援助する代わりに家督を継げ、とか言ってた」
なんでかやたらグイグイと腕を組んでたせいで、他の貴族に挨拶ができなくて困らされた記憶がある。
「……ちょっと待て、アル。それプロポーズじゃないか?」
「え? ……あ、そうか。家を継ぐって、そういう意味にも取れるな」
「……本当に、そういうところだぞ、アルフレッド殿。そういうところだからな」
エレナとマリーアン様、二人揃ってうんざり顔。
「待ってくれ、僕はちゃんと断ったよ! 政治なんて絶対無理だし」
「そういうことじゃなくてだな……いや、いい。あたし達が悪かった」
二人とも、通じ合ったような顔で頷く。
……最近多い気がする、このアウェイな空気。
「でも待てよ。ということは、あのやたら突っかかってきた男がジャック・リリーか?」
「そっちも知ってるのか」
「ああ、もみあげが濃い男で、エヴァンをかけて決闘しろ、とか言ってた」
……ジェヴォンとレオンからも、すごい視線を感じる。
なんだよ。何が言いたいんだよ。
「いや、断ったって。戦う理由がないし」
「……なあアル。お前、王都でも研究の虫だったって言ってたけど、本当だよな」
「どういう意味だよエレナ」
また視線を交わすエレナとマリーアン様。
「……預かる前に身辺調査はさせたが、妾のたぐいがいたという報告は聞いておらん」
「あたしも村に訪ねてきた女は見ていません」
エレナが急にジェヴォンを睨みつける。
強気一本だったジェヴォンも、流石に怯えた様子を見せた。
髪の毛全部むしられそうになれば、誰でもそうなるか。
「お前、年齢は」
「じゅ、十四だ」
「……ふむ。まあ計算は合うな」
十四歳!? 二十歳手前ぐらいかと思ってた。
顔もすっとしてるし、手足も長いし、スタイルも大人っぽいし、なんか鎧の露出多いし。
そうか、チヅルさんより年下なのか。
まあチヅルさんも十七歳にしてはかなり幼く見えるけど(東方系の人はみんなそうだ)、それにしても大人っぽい子だな、ジェヴォン・リリー。
……その辺りで、僕もようやく話に追いついた。
「あ、ま、まさかエレナ! この子が僕の子供だとでも言うつもりか!?」
「お前が宮廷魔法士になったのが十六だから、計算は合うだろう」
「何の計算だよ、馬鹿!」
というか本人の前でなんてことを!
ジェヴォンはかなり居心地の悪そうに僕の顔を見て、それからレオンに耳打ちする。
「……違うよな?」
「奥様をご信頼ください、ジェヴォン様」
なんだこの微妙な空気。
違うって。本当にやめてくれ。
その時、マリーアン様が一際大きな咳払いをしてくれた。
「その辺の追求は後にするとして……話を本筋に戻しても良いだろうか」
えーと。そうそう、何の話だったっけ……
「我らがリリー家の跡継ぎ問題です!」
「ふむ。確か、前当主の弟――パイク殿が跡をついだのだったな。不満があるのは察するが、何か問題があるというのか?」
「あぁん? 無いわけあるかよッ!」
やおら立ち上がったジェヴォンは、どんと机を叩き、
「パイク叔父のヤロー、お父様とお母様にナメたクチ訊きやがったんだッ! ディアスのジジババのことまでバカにしやがって! テメーは王党派のクソどもにすりよって靴舐めてるクセによぉ! しかも、優しく引き下がったお母様に暗殺者までよこしやがって! 一回痛い目見せてやらねぇと気がすまねぇッ!」
一息に吠えた。
はあはあと息を荒げるジェヴォンの肩に、レオンが手を添える。
「……口が過ぎますよ、ジェヴォン様」
「るせぇ」
「ジェヴォン様」
「……悪かったよ。ごめん、レオン」
言葉は荒いけど、状況は大体分かった。
なるほど、いかにも貴族のいざこざだ。派閥と政治、テーブルの下に隠されたナイフ。
「……なあ、アル。ちょっと状況が掴めないんだが」
「ええとね、ざっくり言うと、今、王国の貴族は二つの派閥があるんだ」
王様大好きグループと、王様嫌いグループ。
前当主のジャックは王様嫌いグループだったんだけど、弟のパイクは王様大好きだったんだね。
で、パイクは兄のジャックが死んだのをいいことに、家と領地を王様大好きグループの傘下に入れよう、って思ったわけ。
「当然、死んだ兄の妻と娘は邪魔になるから、どうにかしたい、ってことだろうね」
ふむふむ、とエレナ。
まあ細かいことはいいだろう。僕もそこまで詳しい訳じゃない。
「……なるほど。ジェヴォン嬢の想いは、理解しよう」
マリーアン様は、初めてジェヴォンに目を向けた。
これまではレオンしか話し相手はいないと思っていたようだけど。
「パイク殿から家督を取り戻すために、
「リリー家の兵を分かつ訳には参りません。内乱を疑われては、王家の介入を許すことになります。全てを奪われたエヴァン様をお助けできるのは、ジェヴォン様と私、そして使用人のミドとファドだけ。悔しいですが、手が足りません」
レオンは心底口惜しそうに拳を握る。
「しかし、まさか
「だから、ちょっと待って。噂を当てにされても、僕はそこまで大物じゃないし、そもそも手伝うとは一言も言ってない。どうするか決めるのは、そこにいらっしゃるマリーアン様だ」
大体、僕はラーヴェルート家によって『懲役刑』に処されている罪人だ。
他の貴族の領地に移動することは出来ないし、家督争いに手を貸すなんてもってのほかだ。
マリーアン様はほっそりと小さな顎に手を当てて、何かを考え込んでいるようだった。
「……レオン殿、ジェヴォン嬢。そなた達の事情はよく分かった」
お父上であるジェファーソン様によく似た、黄金の瞳が二人を射抜く。
「だが、我が辺境の地にて狼藉をはたらき、あまつさえ金銀財宝にも等しき
「その点については重々承知しております」
レオンは負けていない。
マリーアン様の圧力に真っ向から応じる。
「もしもご温情をいただけるのであれば。ここにおわすジェヴォン様が無事当主となられた折には、相応の
「――ということだぞ!」
ジェヴォン、こういうところホント苦手なんだな。
十四歳とは言え貴族だろうに。おじさん、ちょっと心配になる。
「感謝――感謝か。なるほど、それはどういった意味なのであろうな?」
言いながら、マリーアン様は僕に視線を投げかけてくる。
こういうところは、昔、僕が家庭教師をしていた頃と変わらない。
彼女は本当に『お願い』の仕方が上手いのだ。いかにも貴族らしい。
仕方なく、僕は教科書の知識をそのまま口に出した。
「リリー領は、ラーヴェルート領に次ぐ僻地。火山が近く、噴火の度に大きな被害を受け、再興を繰り返してきた歴史がある。土地は痩せ、水は乏しく、道は険しい。それでも我ら連合王国が彼の地を維持し続けてきた理由は、鉱脈にある。リリー領は元来ドワーフ達の土地であり、地下には豊富な
つまり、レオンが言う『感謝の意』とは?
「……流石、“
「考えてるのか?」
「ええ。考えてください。ジェヴォン様が」
さらに魔法の触媒、マジックアイテムや
この辺境は、常に諸外国やモンスター達からの脅威に晒され続けているのだから。
王国随一の武力を誇る
マリーアン様はいかにも貴族的な、薄っすらとした笑みを浮かべた。
獲物を捕らえた時の顔だ。
「……ふむ。リリー家の次期当主殿は、なかなか話の分かる御仁のようだ。それならば我らラーヴェルート家としても、手を貸すのはやぶさかではない」
やっぱりだ。そうなるよね。
「リリー領から
ここでマリーアン様の矛先が変わった。
今度は僕を落としにかかるつもりだ。
でも、ジェヴォン達の前で言えることなんて無い。
「客観的に意見させてもらうなら、他家の後継者問題に首を突っ込むのは、貴族としてはあまり褒められたことではないように思いますね。万が一、国王陛下のご機嫌を損ねれば、どんなことになるか――最悪、叛意ありと見なされかねません」
僕は王立魔法研究所時代に身に着けた『正しい言葉遣い』で反論しておいた。
マリーアン様は頷き、
「そなたの言うことももっともだ、アルフレッド殿」
笑顔で取り調べを打ち切った。
「では、今宵はここでお開きとさせていただこう。後ほど我らが自慢のエールを届けさせる。ぜひ楽しまれよ、次期当主殿」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
冒険者ギルドにある貴賓室。
以前チヅルさんの保護に使おうとした部屋は、本来はマリーアン様のような貴族が泊まるための部屋である。
本来の主がソファに腰掛けると、逆に部屋がみすぼらしく見えてしまうのは、少し皮肉だった。
「
かつての冒険者時代と変わらないジョッキスタイルでエールを楽しみながら、マリーアン様は上機嫌で呟いた。
エレナは逆に、不機嫌そうな顔でジョッキを置く。
「お言葉ですが、マリーアン様。あたしはアルフレッドと同じ意見です。いくら報酬がいいからって、よその揉め事に首を突っ込むべきじゃない。次に燃えるのはこっちですよ」
「こんな時まで敬語はやめてもらえないか、エレナ
マリーアン様は十六歳で生家を飛び出し、お父上と兄上が亡くなられるまで冒険者として活動をしてきた。
文武両道、武芸十八般に精通しているとはいえ、駆け出しに過ぎなかった彼女を一から鍛え上げたのは、当時すでにA級冒険者だったエレナだ。
「なら言わせてもらうがな。アルを巻き込むのはよせ、マリーアン」
「我らラーヴェルート家が武力を以て介入するつもりはない。我はパイク殿と
「もしくはテーブルの下で構えたナイフ、だろう。アルをトカゲの尻尾にするつもりなら、かわいい後輩と言えども容赦はできんぞ」
エレナが握るジョッキにヒビが入る。
ちょっと待ってくれ、なんで二人が喧嘩してるんだ。
「エレナ、落ち着いてくれ。
「……それは、そうだが」
ラーヴェルート家の配下にあり、辺境にはびこる凶暴なモンスターの討伐を行うと共に、諸外国への牽制としての役割を果たしている。
僕らの穏やかな暮らしは、彼らの剣と血によって保たれているといっても過言じゃない。
マリーアン様の父上と兄上は騎士団を率いるリーダーとして、時には前線にも立っていた。
彼らは二人とも戦場で命を落としたのだ。
僕は憶えている。
二人の葬儀で、涙をこらえるマリーアン様の横顔を。
「我は、戦場で散る騎士の数を減らしたい。そして、残される者も。我が領主としての責務はそこにある」
「ええ。存じております、マリーアン様」
マリーアン・テレボワ・ラーヴェルートは、亡くなった父と兄のために。
そしてジェヴォン・リリーは亡き父と残された母のために。
案外、マリーアン様はジェヴォンのことを本当に気に入ったのかもしれない。
「頼む。アルフレッド先生。我が騎士団のため、ひいては我が領民のため。今一度、その力を貸してもらえないだろうか」
頭を下げたマリーアン様の姿を見つめながら、僕は思わず自問していた。
(それじゃあ僕は、何のために? ――答えは分かりきってる。家族のため、だ)
カレンの幸せのため。
そして――チヅルさんの未来を見つけるために。
「……僕はマリーアン様にもジェファーソン様にも、たくさんのご恩をいただいてきました。お断りする理由はありません」
僕は今、すべきことを。
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