第2話 粋だねぇ
元来が下町育ちなようなものなので、私、「粋」という言葉に極めて敏感なんです。
下町育ちの人間が粋であるというのではないのです。
その言葉遣い、立ち居振る舞いからすれば、下町の人間というのは、決して、粋と威張って言える、そんな、者たちではありません。
どちらかといえば、口は悪く、人の心の機微を逆なですることを平気で語ります。
それは正直であるということの証ではあり、下町の人間のそれは天下一品ではあるのですが、それにしても、もう少し、相手の心を優しく包み込む、配慮というものがあっていいものだと、私は、叔父叔母たちを見ていていつも思っていたのです。
それに、下町どうし、そっちは田舎だ、こっちはお江戸に近いと領域をすこぶる気にすることにも辟易していました。
上平井の、お前さんのところは、昔から狭い道ばかりで、家も建て込んでいてむさ苦しいところだねって、両国あたりの叔母が平気で、上平井の叔父に言うのです。
彼らは、相手が住んでいる地名で、相手を呼ぶんです。
だから、そんな言葉のやりとりになるんです。
両国の叔母の言葉には、明らかに、両国の方がお江戸に近い、ずっと、格が上だと言う意識があって、上平井の叔父への問いかけとなるのです。
いや、悪気はないのです。
だから、上平井の叔父も、そうなんだよ、昔から一つも変わっちゃいない。ここらあたりは馬肉から逃れたからね。まるっきし、昔のままさ。
馬肉って何かといえば、B29のことなんです。
下町の人間にすれば、あれは、ビーニジューキューではないのです。
そんなことを言った次の言葉で、ちょっとした仕返しをします。
それにしても、横網だか、横綱だか訳のわからないあんたのところより、ここは単純明快だなんて、それとなくやり返すものの、それ以上に口論には至らないのです。
何が、どうして、どうやり返したかって、わかりましたか。
両国の国技館があるあたり、「よこあみちょう」って言うんです。漢字で書けば、横網町です。
この網が、横綱の綱と実に間違いやすい。
なにせ、国技館がありますから、てっきり、「よこづな」って、その漢字を読んでしまうんです。
それを言っているんです。
下町の人間は、複雑で厄介なことは、でぇきれいときていますから、それを揶揄して、それとなく仕返しをするんです。
粋で、両国の国技館とくれば、それは下町の人間にとっては、自慢の種です。
大相撲名古屋場所は、梅雨が明けるか明けないかの頃合いに行われていますが、観客の皆が団扇を手にして、相撲を見ているのを見て、きっと、あの叔父叔母たちは、粋がないねぇって言うと思っているんです。
相撲取りは、裸だけど、あれだけ汗をかいて相撲を取っている。
それを見ている客が暑い暑いと団扇で扇いでいるなんて、そりゃダメだよ、一緒に汗かいて、相撲を見るって言うのが、両国の相撲観戦よって、きっと、ほざくはずです。
それに、こうも言うはずです。
最近の相撲取りっていうのは、仕切りができないねぇ。ありぁ、軍配を持った行事が悪いよ、手をついてぇなんて大きな声を出して、あれが天下の大相撲かい。
ちょっとでもルールに逸れていれば、待ったをかける、あれじゃ、大相撲の面白さも半減だね。
第一、細かいことを言いすぎだねぇ、相撲っていうのは、土俵に手がついたか、つかないくらいの間合いが肝心なんだ、そして、勢いよく両者がぶつかる、その醍醐味が今は全くなくなった。
行事が悪いということは、それを強制する協会が良くないってことよ、つまり、世間がなんだかんだと自主規制っていうの、それをして、自分たちをがんじがらめにしてしまっているんだね。
てぇことは、おいらたちが悪いってことよ。
何でもかんでも、クレームをつけて、大騒ぎをして、いじめだ、パワハラだって、騒ぎすぎなんだよ。
そんなのさらりとかわすてぇのが粋って言うもんよ。
そんな言葉が聞こえてくるのです。
それから、モンゴルの力士たち、これも困ったものだね。確かに強いよ、でもね、横綱が張り手をしちゃいけないよぉ。
でも、奴らはやはり草原で羊を手に掛ける人種なんだね。
相手を破った後もとどめを刺すかのような振る舞いがあるよ、ありゃ、魚に包丁を入れる国の人間にはない仕草だね。
なんてことも、きっと語るに違いあるまいと思っているのです。
上平井の叔父はトビの親方をしていた男です。
地下足袋を履いて、ニッカポッカを履いて、半纏を羽織って、それに、昔ながらのふんわりとしたハンチングを被っているのです。
あの呼び出しの履いているやつ、ありぁ、たっつき袴ってんだ。
いなせだねぇ。俺らと同じに、膝から下がすぼまって、ふくらはぎに沿って、きちんと履き、それに腰から膝までが大きく開けてある、あれがいなせなんだ。
でも、俺たちの仕事には向かねぇ、第一、あれだけあいていりゃ、ひっかって、屋根の上じゃ危なくていけねぇ、まぁ、やることが異なるから、それはそれでいいが、それにしてもいなせだぁって、うろ覚えではありますが、そんなことを白黒のテレビで相撲中継を見ていた時に語ったことを記憶の片隅に、私は置いているのです。
白鵬ならぬ、大鵬が全盛であった時、待ったなどもなく、がっぷりの四つ相撲で、まさに、手に汗を握ったあの時代です。
叔父と叔母の語りが脳裏に蘇ります。
なんだって、お前さん、良いものは、必ず、ぶり返してくるものよ、いつだってそうじゃないか、震災の後も、空襲の後も、ここは大きな被害を受けたけんども、その都度、立ち直ってきたよ、
相撲だって、同じ。
きっと、昔のように、心意気で、立ち会って、ぶつかりあって、手に汗握る相撲が見られるようになるわさって。
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