雨の日のアンブレラ
中川 弘
第1話 雨の日に野菜は色づく
雨の日は、色が消え失せ、それまでの鮮やかな世界が一転して、モノクロームの世界に変貌を遂げます。
遠くに見える森さえも、あのみどりみどりした濃い松のみどりを薄めて、ほのかに、淡く色を消していくのです。
近くに見える幼稚園の、御伽の国のような塔の、その黄色の屋根さえも、雨は薄めていってしまうのです。
雨が激しく降っている時には、我が宅の前をしぶきを上げて、車が、大変だ、大変だ、濡れてしまうって声を上げるかのように、走り去っていきます。
その激しく降る雨は、まるで色合いに満ちた世界に靄をかけたように、周囲に散在する色を消していくのです。
道端の雑草のその色も、道路に描かれた黄色のラインも、鮮やかな塗装の車の色さえも、線を何万本も引いたように降る雨が、その色を消し去っていくのです。
雨は、色を消し去る消しゴムか、それとも、鮮やかな絵の具の上に落とされた水滴か、そして、その水滴がそこにあった色を滲ませて、次第には、色をなくしていくのです。
ウッドデッキにしつらえた屋根のあるところに出て、そこに置かれたガーデン・チェアに腰をおろします。
雨の音を聞きながら、ポットに植えられている野菜を眺めます。
キュウリが黄色の花をいくつも咲かせて、そのうちのいくつかは、その根本に、小さな赤児のキュウリをつけています。
早く大きくなってくれって、声を潜めて、呼びかけます。
そうか、君は、黄色の瓜だから、キュウリって言うんだって、今更のように気がつくのです。
そんなことを思っていたら、ナスのポットにも目がいきました。
鮮やかな紫の色の花が、そこにありました。
ナスの花は下を向いています。
下を向くには、それなりのわけがあります。
花の中央にある雌しべ、それが突出して長く伸びています。その周りを、背の低い雄しべが取り囲んでいます。雄しべはその先端から花粉を落とすのです。背の高い雌しべがその落ちた花粉を受け止めるのです。
受粉に成功すれば、あの紫色のナスとなるんだと思うと、その色が愛おしくなりました。
それより何より、私、ナスを薄く切って、多めの油で焼き、そこにすり下ろした生姜を落とした、あれが大好物だからです。
そうだ、ナスの色は何と言えばいいのかと、思案を巡らします。
茄子紺(なすこん)なんて言葉があったことに思いたります。
藍染職人が理想とした色合いです。
ナスと言う植物がいとも簡単に引き出す色合いを、人間は、長い間、容易に出せなかったのです。だから、その色合いは高貴な色として、昔の日本人は茄子紺などと言う洒落た言葉を生み出したに違いないって思ったのです。
いや、面白くなってきたぞ。
軒下にぶら下げてある玉ねぎ、今年、初めて収穫したものだ。
あの玉ねぎだって、昔の日本人は、その醸し出す色合いを言葉に残しているんだ。
萌葱色だ。
玉ねぎそのものの、それは色ではない。玉ねぎの地上に出ているあのみどりみどりした濃い葉の色合いを言うのだ。
十二単衣の襲(かさね)の式目を思い出します。
明るい緑を萌黄と表現し、濃い緑を萌葱と表現した時代があったのです。
日本人は色に関しては、なかなかにうるさい民族だったのです。
現代人よりも、平安人の目は、確かに、多くの色合いを認識していたに違いないって、吊るされた玉ねぎを見て思うのです。
トマトは、毎年、何種類かのものをポットで育てます。
今年は、大玉、中玉、ミニ、そして、イタリアントマトと四ポットを植え込んでいます。
どれも実は赤くなるはずなのに、花は黄色だって、これまた今更のごとく気がつきます。
トマトって、へそ曲がりか?
キュウリだって、ナスだって、花と実は同じ色合いなのに、トマトは違うって。
そういえば、サフランの雌しべ、あれも赤かった。でも、それを水に溶かして、ご飯を炊けば、そのご飯の色は黄色になった。
黄色が赤になり、赤が黄色になる。
サフランもトマトも、きっと、魔法使いに違いない。
雨の粒を受けて、野菜の葉の上に水玉がいくつも付いています。
そういえば、その水玉で思い出すことがあります。
溢泌と言う言葉です。
いっぴつって読みます。
植物が、成長に必要な水分を得て、そのあまりを葉から出す液のことを言うのです。
それを虫たちが舐めて、栄養にすると言う循環です。
溢泌は学術的な色合いの濃い言葉ですが、私の頭の中には、乳草なる言葉もありました。
これはちぐさと読みます。
伸び切った我が宅の山吹の枝を伐採すると、その枝先からミルクのような樹液が溢れ出してきます。そのようなのが乳草です。
トマトが赤くなると医者が青くなるなんて言葉があったなと、そんなことを思いながら、魔法使いのトマトのポットになっているまだ青いトマトを見ていたのです。
雨の季節が終われば、この青いトマトは赤くなって、食卓に鮮やかな色合いを添えるに違いないって。
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