速佐須良比売神
「かしこみかしこみ」
襖の向こうから、少女の声が聴こえる。陽子は首をひねった。今までに聴いたことのない言葉だ。
襖がガタガタと音を立てながら開く。建て付けが悪いのだろう、途中で突っかかっている。
「こういう時は、ろうそくのろうを垂らすといいんですけどね」
子供の頃、祖母に教えてもらった豆知識を披露した陽子は周囲を見渡したが、代用できるものはなにもなかった。
「おばあちゃんみたいだね」
鳴海が遠慮のない評価を下し、陽子は得意げに微笑んだ。褒め言葉と受け取ったのだ。
「生活の知恵は人生の糧。おばあちゃんが言ってました」
「そうか。君はいい子だね。いいお母さんになるよ」
「えへへ、ありがとうございます」
名前の通り、お陽様のような陽子の笑顔をまぶしく見つめる鳴海の前に、上半身裸のおじが立ちはだかった。
「16歳以下に手を出したら殺す。どうせ死刑になるなら、一族の恥をさらす前に、この手で貴様を殺す」
「そんなつもりは全く『面接に間に合わない』毛頭ありません」
「かしこみっ! かしこめっ!」
少女の声が怒鳴り始めた。注目されていないことに腹を立てているのだろうか。
「何を言ってるんだ、あれは」
最年長の風五郎も内容が理解できていない。この間も襖はガタガタと震えている。雪代は人差し指を細いあごに当てて考えた。
「これからかちこんでやるぞって、敵意を表しているんじゃないかしら」
「その可能性も『一発で妊娠させてやるぞ』いや今のは。青山君どう思う!」
「人類を守りたい!」
「うむよし!」
「かしこまりやがれって言ってんだろが! 人間ども!」
蹴り倒された襖の向こうに、若草色の
「いい加減にしろお前ら! 好き勝手にぺっちゃくちゃぺっちゃくちゃピーチクパーチク喋りやがって! 何しに来たんだよ!」
青山大地以外の集められた4人は顔を見合わせ、それぞれ首を捻った。陽子が口を開く。
「いや、何しにと言われても。気づいたらここに連れてこられてたというか」
「え」
「精一杯理解に努めるけど、あなた多分偉い神様なのよね。説明してもらいたいんだけど」
「天使から説明は」
「何も」
「天使ども、ちょっと来ーい!」
5人の頭からそれぞれ2つずつ、合計10のキラキラした固まりが飛び出し、少女の元へ集まった。
「なんで誰も説明もしてないのか。やる気ないのか」
天使たちは口々に騒ぎ出す。
「いえ、説明しても無駄というか」
「ところどころ人間どもに知識の空白があるので」
「君を守りたい」
「そもそも自分でかしこみって言うのはどうなんですか。意味通じてないし」
「多分、主の名前を言ってもピンとこないですよ」
「よし分かった。お前ら黙れ」
集まった天使に手をかざした少女は、目を閉じて何事かをつぶやいた。
「戻ってよし。ハウス」
それぞれの宿主に天使が戻る。
最初に声を発したのは鳴海だった。
「……我々はいくつかの言葉や記憶を封印されている……ということですか?」
「そうだ」
「なぜそんなことを」
「過ちを繰り返させないためだ。お前、自分が今いる国、ドンパチ真っ最中のアホな国の正式名称を言ってみろ、アホ」
「……
うむ、と少女は満足そうに頷いた。
「それをこしらえた一族の末裔である、偉大な私の名前を、畏れ多くも声に出して言ってみろ」
陽子が声を上げる。
「……
速佐須良比売神はさらに満足そうな笑顔を浮かべた。雪代はその頭を撫でつつ
「長いし覚えにくいし誰も知らない上に敬う必要がないから、スラちゃんでいいよね」
と神をも恐れぬ提案をし、脇腹を殴られた。
「ぐへ。いやだって、名前は頭の中に入ってきたけど、聞いたことない。スラちゃんがいやなら、スラ姫でどう?」
「どうでもいい! 自分の無知を棚に上げるな!」
「けど、かなりドマイナーなんでしょ。アマテラスとかスサノオなら知ってるけど」
「うるさいよ」
「衣装もシンプルだし。こんな地味な神様もいるんだ。これ、麻の布一枚なの? 男性用じゃない?」
「うるさいな……」
「なんか、かわいそう。お母さんは?」
心無い言葉の数々に傷ついたらしく、姫は目に涙を溜めつつ言葉を絞り出した。
「……きょ、今日、集まってもらった理由を話してもいい? そ、そのまま帰りたい? ど、どっちでもいいよ、もう……」
「あ、すみません、聴きます、拝聴します。みんな、スラちゃんの話を聴きなさい」
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