澄んだ視線のその先は

 ところどころ欠け落ちている薄汚い円卓に集められた人間たちは、ボロボロの座布団に座らされ、薄すぎるお茶と、しけたせんべいを供された。6帖一間の部屋の調度は、よく言えばあばら家。遠慮なく見積もれば廃墟のようである。穴だらけの漆喰の壁に、これまた傷だらけの襖がよく似合う。

 最年少の一人、黄海このみようは、頭の中のアリシアに小声で話しかけた。


「なんだろう、裏切られた気がする。このみすぼらしさ」

「あなたたちの生活レベルに合わせたつもりなのだけれど」

「合ってないよ。ぜんっぜん合ってない。思ってたのはなんか意味不明の黒い円柱がいっぱいあって、赤い文字が点滅して、真ん中に偉い人が腕組みして、高級な椅子にふんぞり返っているようなのだったんだけど……」


 陽子は下を見た。


「まさかの畳」

「その方が落ち着くかなって」


 早朝、起床と同時に「今日は主の元へ出かけるよ」とアリシアに告げられた陽子は、いつの間にかこの空間に立っていた。

 否応なくどころではない。もはや事後報告である。寝間着のままなのも致し方ない。

 他の人達もそんな感じで連れてこられたのだろうか。陽子は周囲を見渡した。

 年齢と服装に統一感がなく、また面識もない一同が薄汚れた円卓を囲み、それぞれ小さな独り言をつぶやいている。頭の中にいる天使を相手にしていることは理解していても、その光景に限りない不安と恐怖を抱いた。


「ねえ、あなた」


 急に横から話しかけられ、陽子は背筋を伸ばした。


「前に一度会ったよね。空襲のあとの夕方に」

「あ、あの時の……」


 いやらしいお姉さんと口に出しかけ、陽子は相手を見た。

 恐らく、寝起きなのだろう。丈の長い白いTシャツしか身に着けていない朱雀すざくゆきは、やはり必要以上にいやらしかった。下を履いているのかどうか訊くのはためらわれたが、陽子の目線で気づいたのか、雪代は自らTシャツをまくって短パンを見せた。


「寝起きでね……」

「やっぱり……」


 雪代は薄く笑い、陽子に問いかけた。


「あなた、名前は?」

「こ、黄海陽子です」

「陽子ちゃんか。私は朱雀雪代。高2。年上だけど気にせず好きに呼んでね。女の子は他にいないし」

「よろしくおねが『しこたま性的な女だね。天使持ちじゃなければ女の子でも耐えられないよ。オーエンの仕業かい?』ちち違います」


 陽子の中のヴィクターが急に声を上げた。声を上げたと言っても天使にとっての外部音声出力は宿主の口になるので、傍から見れば陽子が喋ったとしか映らない。陽子は両手で口を閉じ、涙をこらえながら首を左右に振った。雪代は短い髪をかきむしり、硬い笑顔で応える。


「あ、うん陽子ちゃん、分かってる『そうなんだよヴィクター、このユキヨは他のオスと交尾したいから、フェロモンとホルモン特盛で』アンタ本当にいい加減にしなさいよ」

「君たちは学生さんかな?」


 混乱を切り裂くように、低い声が割って入った。ステテコ一丁のこんふうろうは、傷だらけの上半身をむき出しにしている。


「着替える最中でいきなり飛ばされてしまってな。こんな格好ですまない。自分は紺野風五郎、陸軍に所属している」


 幾多の死地をくぐり抜けてきた者に相応しい、鋼のような声で風五郎は社会的立ち位置を表した。年頃の女性の会話に堂々と入っていけるあたりからも貫禄を漂わせている。陽子と雪代はそれぞれ自己紹介をした。


「そうか、君たちもなんで集められたのかはわからないか」

「はい、気づいたらいきなり」

「あそこに甥っ子もいるんだが、奴にも訊いて『けしからん体をしたいやらしい小娘め子供の前でなければなんとしても押し倒してや』」


 右手で己の顎を押し上げて黙った風五郎は、雪代の表情を伺った。分かってますという意思表示なのか、手を上げているが、笑顔はない。


「ち、ちち違ういい、今のはじじ自分ではないフランクリンが『ひいひい言わせて』」

「あ、分かってますんで。甥っ子さんに話を訊いてもらえますか。陽子ちゃん危ないからおいで。ああいうムッツリ系は爆発するからね」


 抗議を続けようとした風五郎だが、大人しく引き下がった。どう考えても自分が悪い。ならば今は味方を増やすべきだ。風五郎は背広姿のみどりかわ鳴海なるみに擦り寄った。


「よ、よう、緑川一等……じゃなかった鳴海。お出かけのところだったか」

「あ、おじさん。面接に行く予定だったんですけど、間に合うのかな……」

「『間に合わんなお前は無職のままだ一生な』。違うぞ鳴海。今のはおれの考えではない」

「はい、分かってます。分かってますけど、おじさんの顔で言われるとやっぱりきっついですね……」


 鳴海は拗ねたように目をそらす。その視線の先には、学生服を着こなした短髪の中学生がいた。美形である。正座をし、まっすぐ前を見つめていた。その切羽詰まったような表情に気を引かれ、思わず話しかける。


「君は中学生?」

青山あおやまだい、中学1年です」


 大地は息を吸い込み、大声を出した。


「人類を守りたい!」


 大地に焦りや戸惑いは現れていない。ということは、いきなりすぎる主張というか個性の設定は本心なのだろう。鳴海には理解ができないので、風五郎に託す。


「おじさん、替わってください。僕では対処できません」

「あー聴いてた。めんどくさそうな、こじらせてる感じの少年だな」


 風五郎は立ち上がり、大地の隣に座った。


「青山大地君だったね。はじめまして。国防陸軍の大佐をしている紺野風五郎だ」

「紺野大佐、僕は人類を守りたいのです!」

「あ、そう」


 こいつはすげえ。入隊したところで根拠不明の万能感に乗っ取られたまま、積極的に統率を乱す部類だ。


「なんで君はそんなに張り切っているのかな」

「僕にはその力があるし、黄海陽子といやらしい女子高生を守って恩を売りたいのです。色んな体位や事柄を要求したいのです」


 風五郎は自分の頭をコツコツと叩き、ゆっくりと鳴海の隣へ戻って耳打ちした。


「無理」

「おじさんでも無理ですか」

「ああ、動揺のかけらもない。見ろあの澄んだ目を。朱雀君の胸から一瞬たりとも視線を外していない。人生を3回くらいやり直している目だ」

「さっきの台詞も本心なんでしょう。末恐ろしい性欲の化け物で『天使持ちは他の能力に耐性はつくけど、あの子の場合はちょっと不明ね。チャールズとマーティナも呼びかけに応えないし』だそうです」


 真剣な顔でささやきあっている風五郎と鳴海を見て、陽子は不安に駆られた。大の大人があれほど真剣に話し込んでいる姿を見たことがない。何か良くないことがあったのかもしれない。

 視線を横にやると、美形の男子が真っ直ぐにどこかを見つめている。思い出した。あれは同じ学級の青なんとか君だ。防空壕に向かっている時、爆撃機を睨みつけていた彼だ。少し怖い雰囲気なので話しかけたことはないが、今ならばと声をかけた。


「あの、あなた、私と同じ学級だよね。『名前覚えてないんで名乗ってくれないかハンサムボーイ』いやこれは」

「黄海陽子、話しかけてくれて嬉しい。僕は青山大地。君を守りたい。そして肉体的な見返りを要求する」


 話に全くついていけない。思わず陽子が目を天井に向けた時、襖がガタガタと音を立てながら開いた。

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