朱雀雪代2

 昼間に始まった空襲は、夕方に終わった。

 校舎から人の影が消えたことを確認した雪代は、音楽室にいた。


「やい、厄介者。起きてるんでしょ」

「いるよ。わざわざ声に出さなくてもいいのに。ヒトって不便だね。僕たちは相手の脳に直接話すから、外部音声出力なんかないんだよね」

「どうでもいいわ! 声に出して発散しないと気がすまないのよ! ムカムカが溜まるの!」


 その為に防音設備のある音楽室に閉じこもっているのだ。


「君は優等生の皮をかぶってるから、こういう余計な苦労をするんだよ」

「いや、全部アンタのせい。そもそも、オスどころか女の人にまで好かれるってどういうわけよ。アンタ失敗したんでしょう」

「ああ、失敗じゃなくてめんどくさくて。ヒトならなんでもいいのかなって。サルはどうかわからないけど、イヌとかネコはユキヨに発情しないでしょ」


 雪代はぎりぎりと歯を鳴らした。


「脳外科でアンタ取り出せるのかな」

「ヒトでは無理だね」


 この1年の間に何度も行ったやりとりを繰り返す。取り憑かれた時点で終わっているのだ、自分の人生は。あこがれの先輩に告白することもできないし、普通に結婚することもできないのだ。涙がこぼれそうになった。


「もおおおおおおおお! やだああああああ!」

「おっ、発情してるのかい?」

「違うわ! アンタを締め出そうとしてるに決まってるでしょうが!」

「なんで? ユキヨほど欲情を駆り立てるヒトはこの世にいないんだよ? 性別関係なく」

「もおおおおおおおお! やだああああああ!」


 雪代は教室の床に寝転がり、駄々っ子のように手足をバタバタさせた。成績優秀、容姿端麗の上に深窓令嬢を演じている彼女の、唯一の精神緊張ストレス発散方法である。


「53年生きているヒトのオスが近づいてきているね」


 オーエンが警告した。警告したわけでなく事実を述べただけなのだろうが、こういう時だけは助かる。立ち上がって身なりを整える余裕すら生まれる。

 その直後に入ってきた音楽教師は、雪代を熱っぽく見つめた。


「お、朱雀君。どうしたんだね、こんな時間までいやらしい」

「あ、ちょっと忘れ物を……」

「早く帰らないとまた空襲が始まるかもしれないから私に抱かれなさい」


 服を脱ぎ、よだれを垂らしながら近づいてきた音楽教師は、後ろに回り込んだ雪代の裸絞であえなく気絶した。オーエンは遠慮のない称賛を贈る。


「最近、ヒトを落とすのスムーズになったね」

「スムーズ……ああ、なめらかね。褒められても嬉しくもなんともないけど……」

「また誰か来たよ。今度はヒトじゃないね」


 問い詰める間もなく、雪代の朱色の髪を起点とした朱、黄、緑、水、紺、紫、赤の眩しい虹が天井へ、いや天井を突き抜け空へと伸びる。

 あまりの光量に目を閉じた雪代の目の前に、新たなキラキラが浮いていた。


「まあ、なんていやらしい娘。覚えておきなさい、私はヒルダ。淫乱ユキヨを守る者よ」


 最初の天使との会合は、一方的で無礼極まりない要求から始まった。次の天使もまた、一方的な罵詈雑言から関係を築こうとしているようだ。こいつらは自分のほうが上の立場であると明確にしておかないと死ぬのかとすら雪代は思う。


「オーエン、主の命令を無視しているのはどういう理由かしら」

「無視じゃなくて、ユキヨに理解させるのが難しかったんだ」


 ものすごく失礼なことを言われているが、慣れてきた。


「わからなくてもいいから、説明してみたら?」


 雪代は頭の中のオーエンに声をかけた。


「君の頭で理解できるかどうかわからないけど、アリシアとヴィクターとチャールズとマーティナ、エミリーとフランクリン、そしてナサニエルとジョアンナが適合者もしくは宿主を見つけたということなんだけど」


 理解ができるかどうかというより、ただアンタが説明下手なだけなのでは。


「で、適合者もしくは宿主を連れて主の所へ行かないといけないわけ。理解できた?」

「天使の名前まで早口で言われて理解できたかどうかわからないけど、どうせ誰かのとこに行かなきゃならないんでしょ。私が拒んでもアンタ達はそれをするんでしょ」

「まあ、そうだね」

「なら何も考えずに連れていけばいいじゃない」

「そうだったね。そうするべきだった」


 少しだけ、オーエンの声の速度が落ちた気がした。



 ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   



 学校からの帰り道。空襲が終わった後の空、きれいな夕焼けが東へと沈みかけている。オレンジ色が目に染みるようだ。それを長い時間見つめながら、雪代は、この国が置かれている状況を改めて考えていた。


「この星で世界規模の大戦が起きたら人類はまた滅亡するって主はおっしゃってるけど、しぶといね」


 脳内に響くオーエンの感想に、雪代は疑問を呈する。


「またって何よ。ていうか人類は緩やかに自滅の道を歩んでいるんだよ。いつも戦争している。病んでるし、行き詰まってる」

「同じ生物として行き詰まりを感じるの? 自分が先端にいるわけでもないのに?」

「今回の戦争は、ボタンの掛け違いみたいな些細なことで世界を巻き込んだからね」


 論点をずらしながら歩いていると、中学生と思しき、後ろに髪を結んだ少女とすれ違った。一瞬目が合い、彼女は顔を赤くした。その無垢さに思わず微笑む。


「あれ? あの娘……」

「うん、アリシアとヴィクターがついてる」


 おそらく同僚のような存在が彼女に取り憑いているのだろう。すれ違っただけで名前も知らない同じ境遇の少女に、雪代は同情した。

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