恋が落ちるものならば、愛とは如何なものなのか
不破 雷堂
恋とは落ちるものなのか、愛とは如何なものなのか
愛している、とはいったいどのようなものなのだろうか。
そんな疑問を持ったのは、ふとした会話の中、よくある世間話の最中だった。
『奥様を愛されているのですね』
そう言ったのは会社の部下だった。彼女はとても優秀な人材で気がきくし私が考えることを先回りして手を打ってくれているのでとても助かるのだが、その時は彼女の立てたスケジュールと妻の誕生日が重なってしまっていた。
私としては半ば義務のように感じていた妻の誕生祝いという行事を彼女は私なりの愛情表現だと思ったのだろう。
そこで、はたと思ったのだ。私は妻を愛しているのだろうか。
または、私は妻に愛されているのだろうか、と。
そのようなことを考え始めると、私の胸の内は、握りつぶされそうになる。ギュッと見えない掌が私の中に入り込んで心臓かあるいは肺を撫ぜて楽しんだ後で掴みかかってくるような言い知れぬ不安と恐怖が私を襲うのだ。
正直なところ、私は夫として有能とは言えぬだろう。 妻には呆れられているか、諦められているかしているのではないかと怯えすらしている。
私と妻はいわゆるところの見合い結婚である。その内実はと言うと、一目惚れをした私が会社の上司を通じて見合いをセッティングしてもらったのであるが。
しかし、今考えると妻に見合いにおける選択の余地があったのかと言うと無かったとしか思えない。
なにせ、妻は私が働いている会社の下請け会社、そこの従業員だったのだから。
まだギリギリ20世紀の話だった。その当時の社会では今以上に働く女性には目に見えぬ重圧とでも言うのだろうかそれとも鎖や大波とでも言うのかもしれない。働く女性には自身の思い通りにならない圧力や縛り、流れというものがあったのだと思う。
もしやすると私はそうして身動きが取れない妻を、これ幸いと奪っていたのかもしれない。
そのような罪悪感を私は結婚当時から薄々と感じていたのだ。そして今、その問題は私の前に明確に姿を表して嘲笑っているのだ。
私はソイツと戦うことも出来ず、向き合うことすらせずに逃げ回っていた、いや、いるのだ。いま、この時でさえ。
私が妻を愛しているのか自信が持てないのもこの為だ。
もちろん、妻には感謝している。家計の管理はもちろん、家庭における諸問題への対処から炊事洗濯掃除といった日頃の家事をこなし、更には生まれた二人の娘を育ててくれたのだ。
私とて出来うる限りのことはやったが妻の果たした役割と比べればとても小さなものでしかない。
それに、結婚記念日に粧し込んだ妻とデートに行く時は今でも心が高鳴るほどなのだ。
わたしは今でも妻を好きでいる。しかし、これが未だ恋に落ちたままなのか、それとも愛に至ることが出来たのか。
この気持ちが愛だというならいったい愛とはなんなのか。
それを確かめに行かなければなるまい。
だから、私は今日という日を心待ちに
していた。
プレゼントは何日も前から用意している。妻が前から欲しがっていたコーヒーメーカーと妻に似合うだろうと思って買ったネックレス。
多少は値が張ったが仕方ない。
さぁ、目の前にあるドアを開ければその先のリビングには妻がいる。
彼女を祝った後で話をしよう。私と妻は互いを愛しているのか、そして、愛とはなんなのか、を。
「ねぇ、お姉」
「なに?」
「私たちの前でああして愛がどうだの言いながらイチャつくとかさ」
「うん」
「いい歳なのにどーかと思わない?」
「私はもー諦めたよ。あんたもいー加減に慣れな」
「あれ、いつまで続くと思う?」
「いつもどーり寝るまで続くだろーから、気になるな部屋に戻りな、あたしはドラマ観終わるまで我慢する」
恋が落ちるものならば、愛とは如何なものなのか 不破 雷堂 @fuwafuwaraidou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます