第33話 煙

 なにか飲めばすこしは落ち着くかなって思って、濃いめのインスタントコーヒーをいれてあげた。砂糖抜き。くっそ甘いホットミルクなんかでもよかったんだけど、たぶんきっと長い夜になりそうな気がしたから。

「環ちゃんに話さなきゃいけないことがたくさんあるの」

「いいっすよ。落ち着いてからでいいんで」

「うん」

 カップの中をスプーンでぐるぐる混ぜながら、ひとくちだけ飲んで、はなさんはゆっくり話し出してくれた。その険しい顔はコーヒーが苦かったからではないのは空気で察した。

「あたしが暮らしてるた星って、環境そのものは地球に似てるんだけど、まったく違う別の星なのね。ずっとずっと遠い過去に――今のこの時代からだと、ほんのすこし先の未来でこの地球はダメになっちゃうの。……ダメになっちゃうじゃわからないか。まぁわかりやすく言うとデストラクションするの。でもね、本格的にダメになる前にその流れを察知して地球脱出を実行した人間たちがいて、それが私たちの祖先なんだ。この現代の地球に暮らす環ちゃんの感覚だと、異星人ってさっき観た映画のやつみたいにクレイジーでイカれてて店長さんそっくりのモヒカン野郎ばっかりで、食料とか水とか空気とか星とか奪い合ったり、戦争したり殺しあったり憎しみあってるって思うかもしれないけど、実際は全然そんなことはないの。あたしの星はわりと穏やか。どちらかと言えばね、地球最後のときに日常化していた光景がそんな感じにヤバかったみたい。あたしもこの目で見てきたわけじゃないけどさ、たくさんの書物と映像とで語り継がれてるし学校の授業でだって習うんだ。ほんとに地球の最後のときは地獄みたいだった。でもね、そういう暗い伝記とは別に、環ちゃんや店長さん、あたしのことを助けてくれたおじいちゃんやおばあちゃんたちみたいに優しくって、はっちゃけた人がいて、美味しい食べ物があってみんなで食べて笑ってお話して、絵を描く人がいて見せてもらって嬉しい気持ちになって、緑も無限かってくらいにあった地球の存在も語り継がれててさ。あたしいま本当に感動してるんだから、地球やっぱやべぇって。けどね、ここもこの穏やかな時間もいずれなくなってしまう。そういう流れになってるの。流れってわかるかな。たとえばさ、何かを予感させたり気配を感じたりすることって日常的にあるでしょ。それって微かに流れを察知してるってことなんだ。例えば、春から夏へ、秋から冬へ、巡る季節があるよね。それも流れ。月の満ち欠けも、信号が青に変わるのも、お好み焼きが美味しいのも環ちゃんのお団子頭も店長さんほモヒカンも、地球には見えない流れがずっと太古からあって、その流れの分岐点が、環ちゃんのダイナマイトなんだ。それが爆発することで流れは変わるの。多くの人が望んでいない方向にね。だから私は、流れを守りにきた。地球と地球に暮らす人が好きだから」

 はなさんはふぅって一息ついてコーヒーを口にした。

「思ってたよりずっとスケールが大きくて理解が追いつかないんすけど、ダイナマイトのことはネル・ミラクルが残してくれていたメッセージで聞きました。あと、はなさんが記憶を失っているかもしれないってことも言ってました」

「そうだったの、ネルがね。あの人、心配しているのね。ちょっと長居しすぎちゃったかも」

 ため息が漏れた。はなさんはコーヒーを飲み干すと、テーブルに出しっぱなしになってたパックのカフェオレにストローをさしてから咥える。

「ダイナマイトを埋め込まれた私が存在しない方がよくて、私が死ぬことで解決するっていうなら、それでもいいかもしれません」

 口に出してみると驚くくらい生きることに執着してないことに気づいた。まるで他人事みたいに言ってる。

 たぶん私にはなにもないから、諦めとかじゃなくって、無から無に変わるだけだし。だったら無かったことになってもしかたないかなって思う。

「バカ、ほんとそういうとこバカだから」

「だって――」

「環ちゃんってさ、あたしの星じゃ神秘的な存在なんだよ。マイトガール環は、私たちを新たなステップへと導いたってね。ほとんど神」

「……そんなのわけわかんないの困るっすよ」

「私はそんなふうに困った顔する環ちゃんのことも大好きだよ。これは本心。だから死ぬとか言うな」

 照れた。はなさんの飲みかけのカフェオレをちゅーって吸った。酷く甘い。

「ダイナマイトが爆発するっていっても物理的に炸裂するわけじゃないの。だから、爆発したあとの地球で生きていく環ちゃんは、そのあともめちゃくちゃな環境でその人生を歩むことになる。それには絶対に巻き込ませたくないし、環ちゃんも、あなたが思ってる大切な人も、見ず知らずの地球の人たちだって、ずっとこのまま穏やかに暮らしてほしいとあたしは思ってる」

 私と、私の大切な人、みんなのことまで思ってくれてたんだ。

 でも地球がずっとこのままで、はなさんの祖先もずっと地球に暮らすことになったら、はなさん自身が存在しないことになるんじゃないかな。未来が変わるってことなんだし。正面を見つめた。はなさんの頭から生えてるそれが淡く点滅した。

「あたしの心配をしてくれてるのね。ありがとう。でもそういう流れにはならないから、安心して」

 なにかを確信してるその言葉を、私は信じることにした。だってはなさんが好きだから。理由なんてそれだけでいいし。

「ダイナマイトが爆発する条件はわかってるから。まだ間に合う。回避できるの」

「それ、具体的にはどうすればいいんですか」

 カフェオレを奪い取られて最後までずぞぞって吸われた。間抜けな音のわりに、はなさんの顔は硬い。

「環ちゃんにとってはつらい選択になるんだけど」

「はい」

「クリスマスパーティーに誘わらたら、それを断ってほしい」

「え、そんなことでいいんですか」

 はなさんは首を振った。そんなこと――じゃない、って言いながら。

「それになんの意味があるんですか」

「そのパーティーで環ちゃんは誰かと結ばれてしまうから。そして結ばれた瞬間、幸福だったり愛情だったりの感情が炸裂して、それをきっかけにダイナマイトが爆発しちゃうの」

 私の恋愛感情がトリガーになるって話なのかな。恋のダイナマイト? 昭和の歌謡曲みたいだよほんと。ってか、結ばれるってどういうあれなの……。デキちゃうってこと? 付き合うとか、それよかもっとそれ以上のこといってる? あぁー、ダメだダメだ。地球がヤバいとかいってる人にそんな乙女みたいなこと訊けるわけない! キスまではオッケーですか!? 手は? 手は繋いでも!?

「あの……なんていうか、その、言いづらいんすけど、お相手っていうのはもう決まってるんすかね」

 わかってるなら近寄らなきゃいいわけだし。回避できるっしょ。ちょっと残念ではあるけど、出会わなきゃ平気だよきっと。

「あたしにはわからない。わからないんだけど、環ちゃんのそのダイナマイトを反応させる人がお相手で間違いない」

「そういうことすか」

「うん。今まで誰かと接して熱くなったりしたことない?」

 あ、あぁー、んー、あるけど、ありますけど……。 

「ありますよ。はなさんとか――」

「……え? えッ!? あ、いや、あたしはダメだから、ネルがいるから! 一応これでも結婚してるし! ほら、それはあれでしょ、年上の同性に憧れちゃうとかってあるじゃん。それだよ! それで反応してただけだよきっと! っていうかネルはもっとこう、あれだし、か、かっこいいし。獣じゃないし!」

 ミラクル夫妻だったわけ!? マジかよ、今日いちばんびっくりしたかも。


 いや、まぁたしかに、本域ではなさんにLoveって感じではなかったけどさ、かっこいいしかわいいなー、くらいには思ってた。あと距離感の近い人だし変にドキッとさせられた。それが反応してたってことだったのかな。

 でもそうなると、そうなるとだよ? 残りはあとひとりしかいないわけなんだけど。

 でもなぁそれはなぁ、どうなんだろうー。こうさ、頭に思い浮かべるだけで今もほら、ダイナマイトめっちゃ熱くなってたりするわけなんだけどさ。口に出したらいろいろ認めちゃう感じになっちゃう気がするし、あ、いやでも、そういう気持ちはとくに今まで実感したこともなかったし、ほら、モヒカンだし……。たしかにね、何年もずっとすぐそばで見てるけどそれで、こう、なんて言うの? む、結ばれるとかって、ね、店長だってなに考えてるのかわかんなかったりするし――。

「他には誰かいる?」

 素直に答えることにした。隠してもしかたがない。

「あ、はい、あとは店長だけっす」

「あぁーね。環ちゃん大好きだもんね、店長さんのこと」

 そんなことをいわれて、顔が熱くなったと思ったら、襟首のあたりから白いのが、これ、え、なんか湯気みたいな……ちがう! 煙が出てるんだけど! はぁッ!? あっつい! 燃えそう! ってか燃えてんじゃないのダイナマイト! ジリジリぃーって! これ、導火線燃えてない……? ば、爆発ッする!? 地球滅亡なんじゃないの!

「はいはい、ちょっと落ち着いて深呼吸。大丈夫、まだ爆発しない。そういうイオンの流れじゃない。わかるでしょ――イマジン」

「いや、想像もつかないんですけどッ!?」

 煙が目にしみちゃってるくらいなのに深呼吸なんてしたら死んじゃうよ! ああぁもうッ、服とか燃えてるわけでもないのに煙だけバカみたいに出てるし熱いしなんなの!

「そのうち消えると思うから、ちょっと別のこと考えなよ。あたしの頭に生えてるこれのこととかさ」

 水色でふにふにしてそうなそれは、はなさんの頭の上でなんか踊ってた。意思があるんだねすごい。あとで触らせてもらえるかな――なんてことを考えてるうちに煙は治まった。

「ちょ、ちょーっと、考える時間もらってもいいすか、一晩でいいんで」

「うん。気持ちの整理がつかないよね。じゃあ今夜は特別に宇宙人添い寝してあげるから」

「え、なんすかそれ」

「いいから」

 ベッドで横になってはなさんが宇宙人添い寝をしてくれた。とくになにが宇宙人ってことはなかったけど、頭のあれがずっとぼんやり光ってて、そこはちょっと宇宙人っぽかった。いや、どちらかといえば深海魚っぽいかも。目を閉じれば気にならないくらいの発光具合だったけど、いろんなことが頭の中をぐるぐる回ってて、今夜はうまく眠れそうにもなかった。

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