第26話 あんたほんと重い
のぞき魔の話を聞いたあと、なんだか具合が悪くなってしまった。
店長の話がしんどかったとかコーヒーが腐ってたとかってわけじゃなくって、UFOを出た途端に緊張の糸が切れてがっくりきた。急に体調を崩すやつ。そういうのあるよね。あるある。ってか、いま思えば昨夜はやっぱり寒かったんだ。寒いを連呼してたカップルは正しかった。やはり人ひとりを射止めた人間の言葉は違うなって思った、やはりね。
さっきから呼吸をするとハァハァってなるし、うなじのあたりに変な汗もかいてる。暑いのかなって思ったら背中から腰がゾクゾクするし、こんなに小刻みに動くことある!? ってくらい歯はガチガチ鳴ってるけど、はなまるのバイトは休みたくなかった。
「オハョーゴザイマス……プフ」
歯から口まで振動させながら挨拶すると宇宙人みたいな口調になった。自分でも聞いたことのないくらい間抜けな声だったから、オナラみたいにだらしなく吹き出してしまったんだけど。あんまり恥ずかしくってイヤな汗がじわぁと全身を湿らせる。
「環ちゃん、ゾンビみたい」
はなさんの驚いた顔はいつも大げさで、愛らしくって、クリっと見開いたその目はどこか幼いんだ。
「えぇーゾンビ感ありましかぁ? ウチュージン意識だったんすよぉ」
悲しくなるくらいヘロヘロで間延びした自分の声を聞いて、あらためて体調を崩してることを自覚すると同時に、はなさんは私がゾンビみたいな顔色になってるって指摘したことを遅れて理解した。宇宙人がどうとかって筋違いの返答をしてしまい恥ずかしい。頭がボケてる。
「もういいから、帰んなさい」
「え、いや、大丈夫す。今日一日くらいならやれるっすよぉー」
ひゅっと鼻水が垂れてきた。
「バカ。その心意気は買うけど、うちは飲食店だからね。鼻水ズビズビな子がいちゃ困るの!」
「……でも、たぶん、大丈夫っすよ?」
「そうは見えないから言ってるんでしょバカ! もう帰んな!」
怒鳴られてしゅんとしちゃった。私はお辞儀だけして引き戸を乱暴に閉める。そのまま力なく戸にもたれると、なんかわかんないけどぽろって涙が出てきて、それをのれんで拭ってやってから逃げるみたいにしてその場を離れた。背中の方からはなさんの声が聞こえた気がしたけど、なんかどうでもよかった。
私はたぶん叱られ慣れてない。だからしょんぼりもしたし、八つ当たりに似た不条理な気持ちもこみ上げてきた。こんなにもしょうもない人間であることを晒したくなくって、隔てて距離を置くしかなかった。
「なんで……」
なんで、みんなしてバカバカっていうのさ。店長もはなさんも、なんで今日はそんなにバカっていうの。そりゃ絵も下手だし体調管理もできないし、頭もよくないかもだけど、私だっていろいろ考えてるんだから。いっぱいいっぱいでやってるんだから、バカってなんなのさ。
わかってる。そんな悪意のある意味じゃないことくらいわかってるけど。私がどうかしてるのは間違いないんだけどさ。今日はなんかもうダメだ。
UFOの店前に止めてあるオレンジ号の鍵を外した。窓から店内が見えて、呑気な店長の背中があって、ホッとして涙が溢れて視界が滲んで、今すぐ殴ってやりたかったけど、それも次の瞬間にはどうでもよくなってた。こんな顔見せらんないし。
ペダルに足を掛ける。酷く怠い。息も上がってる。発進できずに見上げた空はどよんとしてて、雲は厚くて重くて圧迫感が凄くて潰されてしまいそうな錯覚に陥った。ずっと上の方で雪が舞ってる。ふらふら揺れながら落ちてくるそれを追うと目眩がしそうだ。
頭の中のもやっとしたやつを全部かき消したくって頭を振ったけど、私の頭の中もふらふら揺れてしまうばかりでまるで意味がなかった。
「あぁー」
声まで熱を持っててうざったい。口を開けたまま振ってきた雪を食べた。味はしなかったけど、口の中がやたらとマズかった。
胸元のダイナマイトのことを思うと病院へ行くのは躊躇われる。聴診器でダイナマイトのこと調べてほしい気持ちもあるけど、大事になっちゃかなわないし、ドラッグストアで風邪薬と瓶に入った栄養ドリンク、あとおでこを冷やす湿布みたいなやつを買った。体温計はうちにあったっけ? ダブったらイヤだし買わなかった。耳の穴で測るやつにはちょっと惹かれたけど。
いつもご飯らしいご飯が家にないからコンビニかスーパーに寄らなきゃだ。そんなことをぼんやり思いながらまっすぐ家に向かってしまった。
私の住んでるアパートは、風が吹けば飛んでっちゃいそうなくらいボロっちい。その分、家賃は破格の安さだし、UFOからも近いし不満はなかった。普段ならね。
「オレンジ号……ムリ、あんたほんと重い……」
オレンジ号を持って階段を上る。今日ばかりは、どうして私は二階に住んでるんだろうって後悔もしたし過去の自分をぶん殴ってやりたい気持ちでいっぱいだ。アパートの駐輪場もあるにはあるんだけど、狭い玄関に無理やり止めてる。この自転車は私の持ち物の中でいちばん高価だから。
部屋に入るともうダメだった。壁を叩くみたいにして部屋の明かりをつけることはできたけど、着替えはおろか手洗いうがいをする気力もない。買ってきた薬、たくさん飲まなきゃ、って思いながらそのままベッドの上に倒れ込んだ。
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