イラストレーション編
第25話 のぞき魔の言葉
夜の星見ヶ丘公園に来るのもなんだか久しぶりだ。
保温ポットに入ってるのはUFOで淹れてきたカフェオレ。口の中でもぐもぐしてるのは、はなさんが作った試作品の焼きそばパン。どっちも美味しいし相性もぴったりだ。ほっとして肩の力が抜けて口から溶けちゃいそうで、睡魔がすごくて、このままもぐもぐしながら石のベンチで横になっちゃいたい気持ち。
バイトの掛け持ちを始めてから生活リズムが狂っちゃったこともあって、なかなかここへ来る余力がなかった。バイトして絵を描いて帰って寝るみたいな繰り返し繰り返しのぐるぐるぐるぐる……やっぱよくないなって、いま実感してる。何もしない時間が必要なんだきっと。すぐ横のベンチにはやっぱりカップルがいて、さっきから寒い寒いしかいってない。たしかにすごく寒いけど、うるさいので早急にお引き取り願いたい。ここは私の秘密基地だぞ。
バッグからリングノートを取り出した。ぼやけた外灯の明かりが絵を照らす。店長とはなさんの絵は完成した。最初は人物だけだったけど、ここ数日で背景の小物も描き込んで色鉛筆で塗って、奥行きが増したと思う。自分でいうのもなんだけど、よく撮れた写真みたいに生々しい。
店長の絵はレコード片手にカウンターの上にノートPCを広げて作業してる姿で、はなさんのは鉄板の上をゴシゴシって磨いてる感じ。こうやって見比べてから気づいたんだけど、二人とも横顔なんだよね。でも意図的にそういう構図にしたわけじゃなくって、無意識というか、なんだろう。深層心理みたいなものがもしあるのだとしたら、たぶん私は二人の隣りにいるのが好きなんだよね。二人と並んだ位置から見えるものが好きなんだ。背伸びしてでも同じ視点に立っていたい。
「でも、なんだかなぁ!」
カップルが怪訝そうに様子を伺ってきたけど無視した。
絵に描いたこの風景には臨場感もあるし、触れば体温だって感じるくらいだけど、なんかなぁー! なんか違うんだよな。お仕事してる姿が二人ともかっこよくて素敵で羨ましくって、その瞬間を閉じ込めたくって私は描いたんだ。でも、その瞬間だけ切り取っても何も意味がないような気がしてきた。あの人たちはそれだけじゃないから。瞬間だけ光る人たちじゃない。これは予感ではなくて、ぼんやりした私なりに導き出した正解。
もしかしたらこの絵を見た人は、二人のことをいいなって思ってくれるかもしれないけど、私の思ういいなって感じは伝わらない気もして、それが伝わらないなら私が描いてる意味もない気がしてくる。写真でもいいんじゃないの、って思う。
「あぁ」
偉そうなこといってるな。こんなんじゃモラトリアム湖の畔で足ばしゃばしゃしてる状態からなにも進歩がない。停滞だ。
「あー、絵がわからんッ!」
具体的にどこをどうすれば、私の気持ちがちゃんと絵にのるんだろう。技術的に不足してる部分なんてあげたらキリがない。そこを補うことなんてすぐさまできることでもないし、だからって後回しにするつもりなんてないけど、それにしてもだよ。自分にがっかりだよ。環ちゃんさぁ、もっと描けるでしょ? これでいいやっていつも見切りつけるの早すぎなんだから――みたいに脳内で自分お説教が始まると死にたくなる。
ため息をついた。白い息が、ごぼぉぉーって炎みたいになって出てきた。私は怪獣だ。全部ぶち壊してやろうか――。そんなことを思いながら、荷物をショルダーバッグに詰めてオレンジ号にたまがる。
オムそばを作った日から胸元のダイナマイトはわりと静かになってくれた。急に熱くなったりはしないけど、ずっとじんわりと熱を持ってる。今が十二月ですこしだけありがたかった。
「あぁー」
夏になってもこいつが胸元にあったらきっと暑いんだろうな。汗疹とかできちゃうんじゃないの。いや、そんなことよかその前にあれだよね、爆発しちゃうかもしれないよね。このダイナマイトが爆発したら、リューミャクがデストラクションして地球がダメになってしまう。地球が終わるってことは私も終わる。よくわからない。どうなっちゃうんだろう。粉々になって死ぬとかそういう単純なことでもなさそうだしさ。なんか、未来が見えないな最近。
「あー。何からどうしたらいいんだろ」
独り言は大事なものが抜けていく気がしてよくない。あとカップルの視線もさすがにちょっと痛いし。オレンジ号のペダルを踏み込む。ザッ! っていって後輪がすこしだけ空回りした。ぶっ飛ばせっていわれた気がしてすこし嬉しかった。
*
夕方までUFOで働いて、三十分間水増しした退勤時間を記入すると、コーヒーを淹れていつものカウンター席に座った。
昨夜、絵がわからん! ってなった。それからオレンジ号でぶっ飛ばして冷えた頭で思いついたことがあった。それを今から実行する。
「店長ッ! 私が描いたの見てもらっていいすか!」
「はーい」
「……」
くそッ。レコード盤しか見ちゃいねぇ! いいけど! 仕事だから仕方ないし、そのキラキラした目とか緩んだ目元とかちょっといいけど! いいんだけど、すこしだけ時間をくれ……ください。
「店長の絵、できあがったんすけど。これどう思いますか」
眼球とレコード盤の間――その隙間にリングノートで割り込んでやった。
店長なら歯に絹着せぬ言葉で私の背中を押してくれる気がした。だから一度ちゃんと見てもらおうと思ったんだ。口調とは裏腹に、私はいま酷く緊張している。
「いや、ちけぇよ。見えねぇっつーの」
レコード盤を受け取る。店長は流しで手を洗ってからノートを手に取り、まじまじと絵を見つめていた。明かりかざしてみたり、角度を変えてみたり。レコードのキズをチェックするみたいにしてる。
「俺、絵のことわかんねぇんだけど」
「はい」
「あー、いや、いいと思う」
「歯切れ悪いすね」
睨まれた。正直な言葉を口にすることは酷く危ういことだから、それを回避すると曖昧になってしまうことくらいわかってるけど。店長ならきっと私に突き刺さる言葉をくれると思ってるから。だからカウンター擦り付けるみたいにして頭を下げた。めり込むくらいに。
「え、なに。団子頭触れって?」
「は? 無理なんで、アンタッチャブルなんで」
店長はノートPCをゆっくりと閉じると、カウンターの中から出てきて私の隣に座った。それからノートをぱらぱらめくりながら頬杖をついて小さくため息を漏らす。いよいよ喋りだすのかと思ったら、わざとらしく背伸びしたり目頭を揉んだりしてから、私の顔をチラ見した。その所作がいちいち仰々しくてやたらと緊張感を煽る。面接されてるみたいで落ち着かない。ってか、他のページも見ていいよ、なんていった覚えないんだけど。
「何年もお前の描いた絵を盗み見してきた、のぞきのプロとして言わせてもらうと、素人目にも技術は上達はしてるとは思う」
プロなのか素人なのか。謎の立ち位置からの言葉だった。
「でも、この絵はなんか、見てて楽しくねぇかな」
「はい」
「見たものを――まぁモデルは俺自身なんだけど。この絵は俺のことを忠実に描きすぎてるし、それと同時に盛りすぎでもある」
「はい」
「このまえ描いた値札の落書きの方がよっぽど愛嬌があっていい」
「はい」
「あと、背景にある壁掛けのレコードのこれ。タイトルのスペルが間違ってるし。パースが狂ってるおかけでカウンター長すぎで、最後の晩餐の会場みたいなわりには木目も安っぽいし、マグカップだって同じブランドで揃えてんのに雑だし、PCに貼ってるステッカーなんか完全無視されて描かれてすらねぇし、そんで極めつけはこのモヒカン。俺のモヒカンこんなオシャレ気取りじゃねぇだろ、バカか。勇ましさが足りてねぇつーの。つーか毎日なに見てんだ。節穴か? それかバカなんじゃねぇの。いや、バカだな」
「はッ? ば、バカはいま関係ないっすよね!」
バカ呼ばわりしたかっただけなんじゃないの!
「まぁ、バカかどうかは次の絵に期待するとして。もっと思うように描けばいいと思う。それが難しいことはなんとなくわかるけど。うまくやれ。俺からは以上だ」
「はい。ありがとうございました。覚えてろよ」
ズーンときた。のぞき魔の言葉は重たかった。背中を押してもらおうとしたら殴れた、みたいな気分だ。でもこのまま殴られっぱなしじゃ悔しいから、可及的速やかにぎゃふんといわせてやる必要があった。
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