第9話 ☆はなちゃんの宇宙焼き☆

 目を覚ますと、店長のモヒカンが私のすぐ側にあった。

「目に刺さるんすけど……あぁ」

 自分の描いた絵に向かって呟いて、照れた。ヨダレでびしょびしょにしてなくってよかった。ほんと、こたつで寝落ちするのはよくない。ノートを畳んでカーテンを開ける。晴れてる! 今日は水曜日。星見ヶ丘公園のマウンテンバイクコースが開放される日だ。道はぬかるんでそうだけど、たぶんきっと大丈夫でしょ。

 サイクルジャージって呼べるほどの本格的なやつじゃないけど、ツルッとした素材の服に着替えて、ゼリー飲料を咥えながら寝起き十分で家を出る。朝ご飯はしっかり食べたい、って思いながらペダルに足を掛けた。今から数時間だけはダイナマイトのことも宇宙人とか未来人のことも全部忘れていたかった。


 山道の入り口あたりには仮設テントがあって、公園管理事務所の人がサイクリングロード入場用のパスを販売している。それを太ももにパシッと貼って、ヘルメットとグローブをはめてゆっくり侵入した。早朝にも関わらず先客はすでにいるらしく、泥道に何本ものタイヤ跡が残っている。平日だし仕事前に汗を流しに来てる人もいるっぽい。

 地面に敷き詰められた落ち葉のおかげでぬかるみは目立たないけど、こいつらは水分をたっぷり含むとズルズル滑って厄介だ。自然と、不自然にハンドルを握る手に力がこもる。

 このコースには春も夏も秋にも来たことがあるけどやっぱり冬がいい。殺風景な木々と冷たい空気と自分の口から吐き出される白い息と虫がいないことが、生きてることを実感させてくれる。うおぉぉって叫びたくなる感じ。

 って、絶叫するわけにもいかないから噛みしめながら、お散歩してるみたいにゆっくり登った。ここから脇道に逸れると途端に険しくなるんだけど、そっちのコースはごつごつ岩が剥き出しのロックセクションで今日みたいな日には向いてない。路面状況とか熟練度の問題もあるにはあるけど気分的に、今日はこっちがいい。


 頂上についた瞬間にお腹がぐぅぐぅ鳴り始めた。いい匂いがする。もうひとつのお楽しみ、それは屋台メシだ!

 サイクリングロードの開放日は県の内外からも自転車乗りが集まることもあって、頂上の広場にはいつも屋台が並んでいる。まぁ屋台っていっても、お祭りとか花火大会で見かけるタイプのとはちょっと違ってて、星見ヶ丘商店街の商店が特別なメニューを引っさげて出張してくるんだ。昨日サンドイッチを買ったパン屋さんは常連だし、お寿司さんのいなり寿司とお味噌汁セットは朝ご飯にぴったり。あとはケバブサンドとかミニラーメンなんかもある。それはもう、選べないほどにたくさん。私の資金も胃袋も無限ではないのだ。

「UFOの子ー! 限定のヒレカツサンドあるよー!」

 ヨダレを垂らしながら指をくわえる勢いで見て回ってると、パン屋さんのおじさんに声をかけたれた。その、UFOの子って呼び方どうなの。っていうかバイトしてまだ数日なのに情報網すごいな。

「ヒレカツサンドっすかぁ、いいすねー!」

「いやいや、朝っぱらからヒレカツとか重いでしょ! あったかいお味噌汁あるよ! ほら五目いなりも!」

 割って入ってきたのはお寿司屋さんだ。

「今日のお味噌汁って具はなんですか?」

「あおさと豆腐だね。いいでしょ?」

「いいっすねぇ!」

 ここは回ってない方のお寿司屋さんだから食べられる機会もないし……迷うなぁ。

「お前ら抜け駆けしてんじゃねぇぞ。今日こそはうちのラーメン食ってもらうんだっつーの!」

「ぬ、抜け駆け!? 人聞きの悪いことを言うんじゃない! 今日はうちの番だ!」

「あんたこの前も食ってもらってたろ!? だいたいな、俺が最初に声かけたんだっつーの!」

「……あはは」

 私の小銭にどんだけ必死なの。注文しづらいじゃん。

 いい大人がつかみ合いの喧嘩でも始めそうだったので、端っこの屋台に逃げ込んだ。

 飛び込んだその店先で、お姉さんとばっちり目が合ってしまった。ソースの焦げるいい匂いがする。お腹の下の方がキューってなって締め付けられるみたいだ。口の中はツバでいっぱい。曖昧に笑って視線を落とすとダンボールの切れっ端に読みにくい字で『焼きそば五百円』って書かれてるのを見つけた。焼きそば専門店なのかな、見たことのないお店だったけど……しんぼうたまらん。

「焼きそばひとつ下さい!」

 口が勝手に動いた。ソースの匂いに思考回路をぶち壊されたみたいになってちょっと悔しい。

「いらっしゃい! ブタ、イカ、ミックス、どれにしますか?」

「えっと、じゃあ、ミックスでお願いします!」

「承知!」

 お姉さんはそれまで炒めてた焼きそばを皿に移して、これはあたしの朝ご飯だから、ごめんねって、目の下にえくぼを作ってにっこり笑った。作務衣みたいな濃紺の服にキャスケットが抜群のバランスではまっててかわいい。

 やっぱミックスだよねぇ、とか言いながらコテで鉄板の上の擦るみたいにして焦げカスを掃除すると、油をひいてまんべんなく伸ばしていく。鉄板の端っこに豚バラ肉を二枚広げて焼いて、真ん中ではキャベツともやしを塩コショウで炒めて、またすぐ側でイカの切り身はプチプチいって踊ってた。細い指でゆで麺が野菜の上でほぐされて、水だか出汁だかわかんないけど液体を掛けられて、湯気が立ち上ったから思うと丸く膨らんだ蓋で閉じ込められる。どうしよう、ワクワクする。こんなまじまじと焼きそばの過程を観察するの始めてかもしれない。色々と同時進行で忙しいんだね。ライブ感が凄い。

「おじさんたちの言ってたことわかった気がするわ」

「え、なんすか?」

「なんでもなーい。ほら、見てて」

 蓋が開けられた。湯気がもわーっと立ち上りお姉さんの顔に当たって、綺麗な肌が一気に瑞々しくなる。袖で顔を拭ってから、こんがり焼き上がった豚肉をテコで切って、ぷりっとしたイカを乗せて、また軽くほぐしてソースをたっぷり掛ける。ジュワーって、もう音が美味しい。鼻が幸せ。口と胃袋が急かしてくる。

 ソースをかるくこがしながら手早く絡めて、お皿に盛ってから青のりと大きめの天かすをふりかけて紅しょうがを添えてくれた。冷める前に食べちゃいたい。

「ほんとおいしそう!」

「あら、よかった。熱いから気をつけてね」

 代金を支払って、いつものベンチに座ってからヘルメットを被りっぱなしなのに気が付いた。まぁいいかって思って、割り箸を咥えると、背後に気配を感じてなに気なく振り向く。

「となりいい? あたしもまだなんだ朝ご飯」

 へへへ、と照れくさそうに笑っているのは焼きそば屋のお姉さん。

 片手にお皿を持って、もう片方の手はお尻のポケットに入れてる。キャスケットを脱いでた。さっきは気づかなかったけど、しっとりな黒髪でそれを後ろでひとつに結ってる。それが和風な顔立ちにめちゃ似合ってた。凜々しい奥二重に化粧っ気のない肌、こめかみあたりの産毛は汗ですこし濡れる。頬もほんのりピンク色だし、ソース以外にも、ふんわりしたいい匂いがするし、なんか全体的に色っぽかったし、普段街で見かける綺麗なお姉さんたちとは違う、健康的でまっすぐな清々しさで溢れてる。

「あぁー大丈夫です、どうぞどうぞ」

「ありがとう。景色いいね」

「ですねー」

 そう返事したあとは無言で食べちゃった。ソースうめぇつって。ソース以外の麺も野菜もおいしいけどね。とくにイカ天がいい感じにシナってなっててアクセントになってた。

「金髪の子がいい、って話してたのよ。商店街の人たちと」

「え、私のことですか」

「そうそう。ほんとにおいしそうに食べるから嬉しいって。あたしも凝視しちゃった」

「ぜんぜん気づかなかったです……」

 普段から素の顔して食べてるだけなのに、そんな風に思われてたんだ。ま、まぁ運動のあとのご飯って別物だしね。おいしくなっちゃうしね。でも恥ずかしいから今度からはハフハフいって食べんの自重しよ……。


 食べ終わったあとのお皿と割り箸はお姉さんが回収してくれた。お礼して、ごちそうさまでした、とだけ言うと眩しい笑顔が満開で返ってきて、私は照れて曖昧に視線をそらしてしまった。

「じゃあ、あたしは戻るね。よかったらまた今度食べにきて」

「あ、はい是非」

「嬉しい。今日は焼きそばだけだったけど、ほんとこっちが本業なの。すんごいのご馳走したげるから。約束」

 一枚のチラシを手渡された。それには下手くそな字で、こう書いてある。


『近日オープン お好み焼き はなまる』


 お好み焼きかぁ。へぇ。へぇー……。

 チラシには地図も載っていた。

 これ、UFOのお向かいさんじゃん……。

 UFOで お好み焼きで 私のすぐそば――ネル・ミラクルの声が頭を駆け巡る。

 あのお姉さんが宇宙人で未来人なの? え、そういうこと? ええぇでも、店長みたく変な人じゃなかったし。むしろかっこよくて色っぽくってちょっと憧れちゃったくらいなんだけど。まさかね……、もういちどチラシを見た。

『近日オープン お好み焼き はなまる』の下に絵が描いてあるのを見つけた。それは一見してお好み焼きのようではあるけど、見ようによっては円盤型のUFOにも見える謎の下手くそイラストだった。

「これはいったい……」

 その横に住所や営業時間も書かれてるけど、いくら筆書きで崩してあるからとはいえ、やりすぎてる。ほとんど象形文字だよ。きっとこれは現代の地球人にはまだ理解できない言語なのだろう。そう思うと、そんな気がしてきた。たぶん字が下手とかじゃなくって、もともとこういう文字なんだ。そう、これは宇宙語だ。

「いや、でもこれだけじゃ……あ、あぁー……」

一押しメニューは、『はなちゃんの宇宙焼き』だそうだ。なんてこった。もはやお好み焼きかどうなのかもわからない。これは食べて確かめてみるしかない、私はそう心に決めた。

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