ハチワレ猫のシロクロ

@niguruma_cod

第1話 ハチワレ猫と私

 その年は例年よりも春が早く目覚めかけていて、冬は急かされるように眠りにつき始めていたのかもしれない。過去の傾向をたどるなら、まだ蕾であるはずの桜が既に咲き乱れていて、風が吹くたびに花弁が空に舞い上がっていた。その日の空は見事に透き通っていたことを覚えている。透き通っていたのは風のせいだったのだろう。西の果てから東の彼方へ、雲は止まることなく流されていった。


 私は海辺の道路を一人で歩いていた。リュックサックには二日分の着替えと携帯電話と財布が入っていた。靴は長い間履き古した赤い布地のスニーカーだった。右足の親指の先端に小さな穴が空いていて、穴の縁は布がほつれていた。


 歩き続けて疲れてしまった。私は一休みすることに決めた。歩いていると、おっ、ちょうどいい。バス停の側にベンチがある。ベンチは「ここに座りなさい」と、私を吸い寄せた。吸い寄せられた私はリュックサックを傍らに置いて、リュックサックの外ポケットにしまっていたボトル缶コーヒーを一口飲んだ。ブラックだった。


 ベンチに座って空を眺めた。すると足元で、ニャアという声がした。道を尋ねるおばあちゃんが「あの。」と人に声をかけるような、静かなトーンだった。その声の主は黒と白の毛並みを持ったニャンコだった。

 体格は少し太り気味で、虹彩は菜の花よりも少しくすんだ黄色だった。目はビー玉みたいにつるんとした丸であった。顔の模様は七三分けというほどかしこまっていないし、五五分けというには対称ではなかった。強いていうなら、六割五厘三割五厘分けといったところか。黒い毛並みは目を包んでそのように別れていた。口元はお菓子のポポロみたいに尖っていて、ヒゲは鯵の小骨のようにハリがあり透明に近い白色だった。尻尾はうなぎぐらいの太さだが、長さはボールペンほどの短い尻尾であった。その黒い尻尾を左右にゆっくり振りながら僕の方を見つめていた。鼻は八重桜のような薄桃色であった。後でスマホで調べたが、この猫の模様はタキシードキャット、ハチワレというらしい。


 「ニャーア」今度はその白黒のケモノは甘えるように鳴いた。その甘え声を聞いた人間はついつい気が緩んで何かを食べ物をあげたくなってしまう、恐ろしい呪文のように思えた。おそらく、「よこせ。」といっている気がした。私はその呪文に抗うことはできず、何か、このケモノに献上できるものはないかとリュックサックやズボンやコートのポッケに乱雑に手を突っ込んで探し始めた。


 すると、ズボンの左ポケットにプラスチックの小袋のようなものの感触を感じた。取り出してみるとそれは熊本県産の味海苔のパックであった。

 その日の朝まで泊まっていたホテルの朝食は和食であり、その時に味つき海苔のパックがついてきた。しかし、僕はそれにご飯を包んで口に運ぶことをしなかった。むしろおかずの鮭と付け合わせの黄色いたくあんを食べることに気を取られ、海苔の存在を朝食中は忘れてしまっていた。味海苔以外の品物を一式胃袋に納めた後、その味海苔に気が付いた。残してしまおうかと思ったが、「もったいない」の心が発動して、ズボンに入れてしまったのであった。


「こんなものしかないですけれども、よろしいですか?」僕は心の中で一言告げてから、白黒のケモノ様に目線を送った。ニャアと、喉からゆっくり発したような声で、そのケモノ様は海苔を見て、目を光らせた。


 その猫の口元に味海苔を一枚近づけた。猫は桜色の鼻を近付けて、ヒクヒクと匂いを嗅いだ後、少しずつ海苔に口元を近づけて、ひと噛み、ふた噛みと鋭く尖った歯を見せながら海苔を食べ始めた。時折首を左右に素早く振りながら、海苔を噛むたび、猫は顔をしかめた。私はシュレッダーを思い出した。海苔シュレッダーである。ただし、そのシュレッダーは機械ではない。白黒の毛並みの猫である。

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