第69話:迷宮⑧

 到着した十一階層は、ひんやりとした空気が階層全体を満たしていた。

 何も考えず攻略だけを目的として辿り着いたなら、この空気に多祥なり体を休めることができたかもしれない。

 しかし、下りた階段の先にはすぐに人間だったであろう肉の塊が転がっていることに全員が気がついていた。


「そんな……酷すぎる……」

「これじゃあ、どうしようもないよ……」


 リザが口を押さえながら呟き、メリは生きていれば魔法でなんとかできるかもしれないと考えていた自分に後悔する。


「これだけのことをできる魔獣が、この階層にいるってことかよ」

「油断はできないようだね」


 ジルとヴィールは倒すべき魔獣の気配を探りながら周囲に視線を向けていく。

 すると、死体の先の地面に血痕を見つけ、さらに奥の方へ点々と続いている。


「どうやら、この先に行くしかなさそうだな」


 ジルの言葉に全員が頷き、慎重に足を進めていく。

 時折魔獣の鳴き声が聞こえてくるが姿までは現さない。この異常な状況にさらなる緊張感が四人を包み込んでいた。


「……また、死体ですね」

「……あぁ。これで三人目か」


 結構な距離を歩いているが、最初に見つけた男か女か判断がつかない死体に続いて男性の死体、そして今回も男性の死体を見つけた。


「この人は、何かを叩きつけられたように見えますね」

「魔獣の死体か、もしくは人間の死体か」

「……残酷、ですね」

「魔獣にそんな感情がないから、こんなこともできるんだね」


 見つけた死体に手を合わせているメリとリザ、そしてジルとヴィールは魔獣の手掛かりになりそうなものがないか周囲を探る。

 すると、壁際で何かが動いたような気がした。


「あれは、なんだ?」

「ジル君、気をつけてね」


 ジルが歩き出すとメリとリザが視線を向け、ヴィールは女性陣の近くで槍を構える。

 魔獣だと思っていた壁際の何かは――辛うじて命を繋いでいた女性の冒険者だった。


「メ、メリ! 生き残りだ、こっちに来てくれ!」


 魔獣に気づかれることを気にすることなく、ジルは大声でメリを呼ぶ。

 三人もその声を聞いて駆け出し、倒れている女性の横にメリが膝を付いた。


「こんな、酷過ぎる!」

「は、早く回復魔法を!」

「うん、任せて! 絶対に死なせないわ!」


 リザが声を詰まらせている中、ジルの言葉を受けてメリがパーフェクトヒールを発動する。

 見た目の傷はすぐに癒されていったが、臓腑の損傷はすぐに回復することはなく、そして失われた血を魔法で生成することはできない。

 生きて迷宮を脱出できるかどうかは彼女の気力次第かもしれない。


「……ふぅ。なんとか回復は終わらせたけど、すぐに外に出ないと危ないかも」

「だよなぁ。でも、俺たちはこの迷宮の攻略」

「パーティを分断するか、このまま攻略するか、すぐに戻るか」


 メリ、ジル、ヴィールの言葉に全員が黙り込む。

 そして、全員の視線はジルに向けられた。


「……やっぱり決定権は俺にあるってことか」


 頭を掻きながら一度目を閉じ、そして開いた視線は目を覚まさない女性に向けられた。


「……戻ろう」

「ジルならそう言うと思ったよ」

「仕方ないか。でも、あの転移魔法陣を使えばすぐにここまで来られるさ」

「ありがとう、ジル!」


 ジルの決定を受けて、ヴィールが女性を抱き上げて十一階層を出ようとしたのだが――


 ――ドスン、ドスン。


 ジルたちが通ってきた通路――一〇階層へと戻る階段がある先から謎の音が響いてきた。


「……これは、やられたみたいだ」

「くそっ、結局は倒さないと戻れないってことかよ」

「こんな一刻を争う状況で、そんな!」

「……」


 ヴィールは女性を抱えている。逃げるにしても戦闘には参加できない。

 ジルとメリの二人で三人の冒険者を殺し、そして女性を瀕死の状態に追い込んだ魔獣と戦わなければならなくなった。


「……ヴィール、彼女のことは私が見ているわ」

「どちらにしても、護衛として誰かが残らないといけないんだ」

「そうだけど、今は迅速に魔獣を倒す必要がある。私も考えなしについてきたわけじゃないんだよ?」


 震える体を自らの手で抑えながら、それでも笑って見せるリザ。

 ヴィールはそれでも女性を降ろそうとはしなかったが、そこに声を掛けてきたのはジルだった。


「ヴィールさん。こうなったリザ姉は何を言っても聞かないよ」

「それは知っているけど、さすがに無視はできないよ」

「だったら、私が二人の近くから魔法で援護するわ」

「メリちゃんまで」

「リザ姉は、何か策があるんだろう?」

「ふっふふーん、これでも高鍛冶師ハイスミスなんだよ? 私が戦えなくてもちょっとした自衛はできるんだからね」

「……」


 ヴィールは黙ったままリザを見つめていた。

 リザの無茶を、夫として認めたくないと思いながらも、別のことを考えている。


「ヴィール」

「……」

「私を、信じてくれる?」

「……はぁ。妻を信じられない夫なんて、見捨てられるかもしれないね」

「見捨てるわけないじゃない。私はヴィールの選択に従う。だけど、ただ信じてほしいってだけよ」


 この状況で冒険者でもないリザが笑みを浮かべてくれた。

 それだけで、ヴィールの答えは決まった。


「……彼女のことを任せるよ」

「もちろんよ!」


 女性を床に寝かせたヴィールはシルスライドを握り直してジルの隣に立つ。


「すまないね、ジル君」

「いいえ、俺も迷っていましたから」


 足音はどんどん近づいてきている。そして――その姿はすぐに四人の目の前へと現れた。

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