第35話:圧倒的

 まるで人間のように歩くその姿からは魔獣と思えないのだが、その体躯は三メートルを超え、額からは一本の角が生えている。

 吐き出される呼気は熱を帯びているのか白く染まっており、その体皮は赤黒く染まっている。

 深紅の双眸は目の前に現れたジルたちを見据えているものの、興味を持っているかといえばそうではなかった。


『……お前たちは、俺を楽しませてくれるのか?』

「ま、魔獣が、喋っているのか?」

「そんな、あり得ないだろ!」

「……怖い……なんなの、これ?」


 あまりの恐怖にジルは困惑し、ヴィールは怒声を上げ、メリは後退る。

 その反応を見たからだろうか、謎の魔獣は双眸を三人から放すとその後ろへと向けた。


『……この先には、俺を楽しませてくれる奴がいるのか?』

「この先……スぺリーナか!」


 謎の魔獣が向かう先にスぺリーナがあることに気がついたジルは恐怖を押し殺して剣を強く握る。


『……お前が、俺と戦うのか?』

「ジ、ジル君! 逃げるんだ!」

「ダメだ、ヴィールさん! こいつは、スぺリーナに向かってます! 誰かが、倒さないと!」

「くそっ! メリちゃん、スぺリーナに援軍を――」

『行かせるとでも?』


 ヴィールの声を遮るように響いてきた謎の魔獣の声。

 それと同時にメリの後方に火柱が何本も上がり消えることもなく、逃げ道を塞いでしまう。


「……やるか、やられるかってことかよ!」

『俺を、楽しませてくれるんだろう? さっきの奴は、一人で簡単に死んでしまった。お前たちは、楽しませてくれるんだろう?』

「一人で、簡単に死んだ? ……ま、まさか!」


 覚悟を決めたジルだったが、謎の魔獣の言葉に最悪の可能性が頭をよぎってしまう。


「……ヨルドを、殺したのか?」

『知らん。あいつは、弱かった。一人で、簡単に死んでしまったからな』

「ヨルドが、死んだ? こいつが殺したのか? それなら、僕たちが勝てるわけが――」

「やるしかないでしょう!」


 ジルは駆け出した。

 謎の魔獣はその姿を見て、ヨルドの時には見せなかった笑みを刻んだ。


「——ファイアボール!」

「メリちゃんまで!」


 謎の魔獣の視線はジルに向いている。

 メリが放ったファイアボールは弧を描く軌道でジルを避けながら迫っていく。


「このままだと、リザ姉まで殺されちゃいます!」

「——! くそっ、そうだな、やるしかないんだよな!」


 ヴィールも覚悟を決めた。

 ジルの特攻とメリのファイアボールの間断を縫って仕掛けようと状況を見ながら駆け出す。


『さあ、楽しませてくれ!』

「ぐあっ!」


 振り抜かれた右拳に何とか耐えてくれた剣だったが、明らかに形が変形してしまう。

 武器としての役割をほとんど果たすことができなくなった剣を捨て、即座に双剣を手にする。

 直後に着弾したファイアボールの火の粉が周囲の木々へ燃え移る。

 森を焼かないように、という配慮をしていては殺されてしまう。メリの判断は間違いではない。

 しかし、謎の魔獣には全く効いていなかった。


「これならどうだ!」


 ジルと入れ替わるようにして前に出てきたヴィールの渾身の一突きは急所にあたる眼球めがけて放たれる。

 黒煙を抜けて目の前に現れた穂先を回避する術はなく、確かな手ごたえを得たヴィールだったが――直後に訪れた衝撃に体が後方へ吹き飛ばされてしまった。


「があっ!」

「ヴィールさん!」

「……嘘……無傷、なの?」


 ヴィールを蹴り飛ばした勢いで晴れた黒煙。

 姿を見せた謎の魔獣には傷一つなく、現れた時と同じ姿を見せつけてきた。


『……期待、したのだが』

「ま、まだまだ!」

「ジル!」


 一撃でヴィールが戦線離脱してしまった中でも、ジルは諦めることなく謎の魔獣に迫っていく。

 剣士ではなく双剣士として挑んできた相手に対して、謎の魔獣はやはり笑みを刻んでいた。


『貴様はいい、いいぞ!』

「黙れ! このままお前を生かせるわけにはいかないんだ!」


 倒せるとは思っていない。

 剣士では敵わず、さらに天職ではない双剣士で適うわけがない。

 そう分かっていても、何もせずに殺されるくらいなら僅かな可能性を手繰り寄せるためにも挑むしかなかった。

 しかし、謎の魔獣は先ほどのように剣に拳を叩きつけるようなことはせず、ただ双剣の刃をその体で受け止めている。


『……そうか、あまりにも軽いな』

「くそっ! くそっ、くそっ!」


 アトラの森に入る前は双剣の戦い方を掴んだと思っていた――思い込んでいた。

 だが、より上位の魔獣との戦いでは小手先の戦い方では意味がないことを自覚させられてしまった。

 刃が通らない、打撃としても無意味、何をしても敵わない。

 覚悟を決めていたジルの心は、折れようとしていた。


『……もう、いい』

「何を言って――がっ!」

「ジル!」


 双剣をただ受けていただけの謎の魔獣は、楽しめないと判断した途端に視覚では捉えることのできない速度で左脚が振り抜かれ、ジルのこめかみにめり込んだ。

 頭蓋が粉砕されなかったことが奇跡だと言えるだろう。

 それでも、ジルの体もヴィール同様に吹き飛ばされてしまい、その体は数本の大木を粉砕させてようやく止まった。

 一人立ち尽くしているメリの目から見ても、生きているとは到底思えない惨状が目の前に映し出されていた。

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