南天の恋

 とある山深い場所に一本の立派な南天の木があった。

 あまりにも山深い場所にあり、獣すらも近づかいない場所にその木はあったが、その年の夏も誰に見せびらかすでもなく白くて小さな花を沢山付けた。

 そんなところへ変わり者の若い牡鹿が通りかかった。

 夏の風に揺すられる白い花をじっと見つめた後、牡鹿はそのうちの何輪かを食んでいった。

 そうすると、三日も経たぬうちにその年の南天の花は赤い実に変わって、熟れさせるとぽとぽとと地面に落ちていった。

 そのうちの一つの実がどんな偶然かころころと斜面を転がり落ちて沢の中へ落ちていった。

 南天の実は沢を下って下って、その内沢と沢とが合流して川のようになった頃、川べりの松の木に一生懸命に取りつく蝉と出くわした。静かに松の木に止まって羽を休めていた。

 蝉が流されて行く季節外れの南天を見つけた。


「どこに行くんだい?」


 蝉が尋ねるので

「この川を下っていくのです」


 南天の実は嘘偽りなく答えた。

 すると、蝉は親切に


「この川は下っていくと南の海に出るよ」


 と教えてくれた。

 しばらくすると、ごく近くで川の音に負けない他の蝉の声が聞こえてきた。すると、蝉は大急ぎで飛び立ってしまった。

 挨拶もできなかったと南天の実が思っているうちに、蝉の落としていった水滴が川の中に落ちた。

 それからしばらく南天の実は流れた。

 激しかった流れが穏やかになり、川の幅も広くなっていた。

 ぷかぷかとのんびり浮きながらあたりを見ていた南天の実に話かけるものがあった。


「ちょっとちょっと、季節外れのそこな人」


 声の方へ向いてみると、そこにはサッカーボールの網に入れられた立派なスイカが水のなかに浮いていた。


「そこで何をしているのですか」


 と、南天の実が尋ねると、スイカは水の流れにぷかぷか浮いたまま教えてくれた。


「これからスイカ割りをするからそのために冷やされているんだ」


 川岸にはテントとバーベキューのコンロが見えた。

 南天の実が尋ねた。


「割らなければ、おいしくないのですか?」 

「とんでもない! 割らなくたって、私は甘くておいしいんだよ。みんな夏には喜んで食べるよ。君にも口があったら食べさせてあげたいくらいだよ」


 スイカが慌てたように言い返した。

 水の流れで揺れただけのスイカが、憤慨して揺れたようにも見えた。


「いいねぇ、きれいに赤くて。私も君みたいに真っ赤だといいなぁ」


 南天の実が自分のことを言われているのだと気が付いた。南天の実は実ったときから赤かったから、そんなことには気が付きもしなかった。


「赤いから、君も甘いのかもしれないね」


 返事を返す前に、南天の実はどんどん流されて行ってしまった。

 南天の実は自分の味を思った。

 それからまた暫く流れていると、川の幅が急激に狭くなった。どうやら、用水路に入ったらしかった。

 流れていると、南天の実の隣におっちょこちょいなバッタがざぶんと飛び込んできた。

 バッタは慌ててしばらくの間暴れていたが、その内動きも鈍くなってきた。何度か南天の実に助けを求めるように縋ってきたが、南天の実はどうにもすることはできなかった。 

 すると、今度は川の中にじゃぶんと元気にカエルが飛び込んできた。

 カエルは見る見るうちに溺れていたバッタを口の中に詰め込んで、それを眺めていた南天の実に視線を移した。


「なんだ、南天か。季節外れだな」


 そう言って、口をパクパク開けて、カエルは用水路の水を飲んだ。


「俺は腹がペコペコなんだ。なのに、南天の実なんか食えたもんじゃない」

「私はおいしくありませんか?」

「味なんか知らないよ。俺は肉食だからな」


 と、腹をすかせたカエルがぬめぬめと光る口の中を南天の実に見せた。

 丸くまとまったピンク色の舌の間から先ほど食われたバッタの足が見えた。


「おまえは誰かに食べられたいのか?」

「いいえ、食べられたくはありません」


 南天は答えた。


「自分の味を知りたいのです。スイカのように甘いのか」

「変わってるなぁ」


 カエルが開けていた口をパカリと閉じた。


「木の実を食べるのは鹿とか、鳥とか。後は人間かな。だから、そのあたりに頼んでみるといいよ」

「そうなんですね、ありがとうございます」


 カエルは去り際にまた「変わってるなぁ」と呟いて、水の流れに逆らってすいすいと泳いで行ってしまった。

 それからまた暫く流れて、南天の実は用水路から田んぼへとつながる側溝へと流れ込んだ。

 土で濁った水の中にぷかぷか浮いていると、ふいに何かに摘まみ上げられた。

 南天の実をつまみ上げたのは小さな子供の指だった。

 子供は泥水に濡れた南天の実をしげしげと眺めてからにっこりと笑った。


「宝石の粒みたい!」


 元気な声に南天の実は自分は山の奥深いところから流れてきた南天の実で、自分の味を知りたいので人間に食べてほしいのだと説明しようとしたが、自分がしゃべれないことに気が付いた。

 どうやら、人間相手に喋るのは難しいらしかった。

 どうか一口でいいからかじってくれと願っていたら、子どもの顔がまた南天の実に近づいた。


「飴みたい」


 南天の実をつまむ指が子供の口元に近づいていった。あともう一寸で口の中、だというのに遮る手があった。


「何でもかんでも食べたらだめよ」


 野良仕事を終えた子供の祖母だった。

 子供の手から南天の実を取り上げて、畔の上にぽとりと落とした。


「何で食べちゃダメなの?」

「外で拾ったものは食べないの。おうちにおやつがあるからね」

「あれはおいしい?」

「おばあちゃんにはわからないよ。咳には効くって言うけどね」

「そうなんだ」


 背を丸めた老婆が孫を伴って畔を歩いて行った。

 南天はそれを見守った。

 それからしばらく南天はそこへ居た。

 じりじり照り付ける太陽が南天の実を焼いたが、動ける手段はなかった。

 こんなにもいい陽気だったし、畔は程よく湿っていたので、南天の実が自分の味を知る前であるのにうっかり根を伸ばそうとした頃、南天の実はまた何か柔らかいものに摘まみ上げられた。


「なんだ、BB弾じゃないんだ」


 残念そうな声の主は嘆息した。

 そうして、南天の実を再び地面に落とそうとした瞬間、コンコンとせき込んだ。

 コンコン、ヒューヒューと苦しそうな音を聞きながら南天は自分が咳に効くことを思い出した。

 何とかそれを伝えるすべがないかと画策するが、もちろん南天の実は人間とはしゃべれなかった。水のなかにいた時のように動き回れるわけでもなく、南天の実はただ黙っていっとしているように見えた。


「やっぱりだめだな。帰ろっと」


 コンコン、ヒューヒューと夏であるのに木枯らしのような音を残して南天の実は取り残された。

 とうとう自分の味を知ることはなかった。

 しばらくして、南天の実は暑さと湿り気に誘われて芽を出した。

 驚くことにひと夏で背丈をぐんぐん伸ばし、人の背丈ほどにもなった。

 そして南天は冬に実をつけて誰かに食べられるのを待った。

 あの時の鹿のように、そっと食んでいく者を待った。

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