羽蟻の話
「やっほー、ミキ。元気?」
「ササは元気そうね」
久しぶりに会う友人だった。女子高のあの重ったるいセーラー服は脱ぎ捨てられ、爽やかな花柄のワンピースへとすり替わっていた。一方ササはあの頃のまま。日に焼けた茶髪と、開けてまだ日の立っていないピアスが、膿んでズキズキと傷んでいた。
お互いの家のちょうど中間地点にあるカフェで、ミキは待ち合わせ10分前に到着して、一方ササは5分も遅刻して現れた。
ササが申し訳なさそうに笑って席に座る。
ソファーの合皮の生地が汗をかいた太ももに気持ち悪かった。
高校生のバイトらしい少女がお冷を持ってきてくれる。ササがアイスコーヒーを注文した。
「それで、突然呼び出して何?」
ミキが少し笑う。諦めているというよりは、懐かしんでいる幼な顔だった。まだ懐かしむにはずっと早いに決まっている。二人が別れてからまだ数ヶ月しか経っていなかった。ミキは就職し、ササはまだ勉学に勤しんでいる。
ミキの前には少し中身の減ったアイスティーが置かれていた。冷房で寒いほどの室内なのに、縦に細長いグラスには水滴がプツプツとついている。
「いやね、ちょっと話したくなっただけって言ったじゃん。別に変な含みはないよ」
「そうかしらね。あんた昔っからそうだったじゃない。出かけるのも嫌なくせに、こんな暑い中人のこと呼び出すなんて何か変よ」
「全部お見通しって?」
「そうよ」
ミキが頷いてササを見る。なまじ綺麗な顔なので、ササの方がどきりとしてしまった。
彼女に話さなければならないことがあるのだ。新しい環境でできた友人よりも、この状況になった瞬間彼女の顔が浮かんだ。経験豊富な彼女ならなんとか突破口を見つけてくれると思ったのだ。彼女が学生だった時も、ササはなんどもなんども助けてもらっている。
ササの下にもアイスコーヒーが運ばれてきた。
「ミキは最近どうなの? いい感じ?」
「まあ、それなりに。やっと仕事に慣れた感じ」
「いやね、そっちじゃないわよ。彼氏さんとよ、彼氏さん」
「なにそれ? いつの話? もうとっくの昔に別れたわよ」
「えぇ?」
初耳だった。ミキとその恋人はそれなりに上手くいっていたはずだ。それが何を間違えれば別れたなどと、そんなことになるのか。
ササがなんども目を瞬いた。
「やだぁ、何? ウワキ、とか?」
ササが尋ねるのに、ミキが首を横に振る。
「違うわよ。お互いにさ、生活時間合わなくなって……」
「あんなにラブラブだったのに、そんなことで別れちゃうの?」
「別れちゃうわよ。そんなものよ。あんたまだ大学生にもなって夢見てんのね」
「だってまだ誰とも付き合ったことないもーん。ちょっとくらい夢見たっていいじゃーん」
ササがアイスコーヒーにガムシロップをいれてかき回す。カラカラと氷がなった。
彼女の姿を見てミキがくすくすと笑う。恋人がいなくても生き生きとしているので、ミキの生きがいは別れたその彼ではなかったのだろう。
「ササはちょっとは危機感持ったら? ヤラハタ近いよ? もう高校生じゃないんだから……」
「JKブランドだって大したことなかったよ」
「強気な発言じゃない?」
「それに私もう処女じゃないし」
「え?」
ミキに、自分の成長か損害かどちらか未だに判断のついていない真実告げれば彼女が目を丸くする。もう、目にムカデをつけるのは卒業したらしかった。
カラーコンタクトの入った不気味な瞳がササを値踏みするように見ている。
ミキは何を考えているのか。ササが少し笑って尋ねた。
「驚いた?」
「うん」
「本当に?」
「ほんとよ」
ミキが何度も頷いて、それから髪の毛を触り始める。大して傷んでもいない毛先と、ササの顔を見比べている。ミキは高校時代の彼女の潔癖とも言える発言から彼女が処女を喪失したのすら想像できなかったのだ。
ニコニコと笑う彼女の顔をもう一度見返す。ブラウン系のアイシャドウと、髪の毛と同じ色できりりと引かれた眉。彼女の眉毛はほとんどが書かれたもので、毛は生えていない。中学校時代から執拗に抜いて今では眉頭の方に数本残っているのみだ。太陽光と汗をひどく嫌っていたのをミキは知っている。
今はあの汗と埃の匂いの染み付いた後者ではない。ふたりは夏にふさわしいワンピースと白いTシャツだ。
ある日の午後ササがほかのクラスの気に入らない男の話を熱くしてくれたのをミキは思い出した。
「それでさ、今日の本題なんだけど……」
「何?」
「どっかにいい産婦人科ない?」
「赤ちゃん?」
「うん。そう」
ササが恥ずかしげに笑んで頷いた。人を殺すという感覚はない。お互いにまだ子供のままだ。
ミキがゆっくりと高校時代を思い出した。
「駅の通りから一本入ったところの古い貸しビル。あそこの産婦人科なら平気だよ」
「えへへ、ありがとう」
ササがまた笑った。
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