美を知る者

 戦前文化復元官事務室オフィスによる懸命な調査によっても、戦争アトミック前の芸術、特に絵画については、その復元が極めて難航していた。

 油絵というものは、温度や湿度などの空気の状態によって、いとも簡単に損傷してしまうからだ。画像データとして、解凍不要の非圧縮形式で残されていた名画もあった。しかし、それを油絵として復元するだけの技能は、もう残されていなかった。

 素人が試してみても、かつての救世主メシアの絵が、まるで猿のような姿になってしまうだけだ。


 最も保存性が高かったのは、陶器の板に焼き付ける形で造られた、複製陶板画ポーセリン・パネルだった。元が焼き物だから、相当な悪条件にも耐える。

 しかも平面のデータとは違い、油絵の表面のタッチなどもある程度再現されている。これはまさに、第一級の文化財なのだった。


「レオナール書記官! 大変な情報が入りました」

 そう叫びながら、復元官事務室オフィスに駆けこんで来たのは、若手書記官のソージュ主任補だった。

「何だねソージュ君、騒々しい」

 そう言いながらも、レオナール筆頭書記官は、にこやかな表情のまま資料を見つめている。孫娘くらいの歳のこの部下、その熱意を彼は評価していた。

「地下深くの展示室で、複製陶板画ポーセリン・パネルを大量に展示していた美術館が、戦争アトミック前に実在したらしいのです。それも、全世界の名画の複製が、約一千点も」

「本当かね?」

 レオナールは、首を傾げた。そんな都合の良い美術館が存在していたとは、にわかに信じがたかった。


「本物ではなく、わざわざ複製をそんなに大量に? 戦争アトミックを見越していたのとでもいうのかね?」

「理由は分かりませんが……」

 ソージュ主任補は、一枚の紙きれを差し出した。その美術館の広告用ビラらしい。

「これは、先日発掘された、地下商店街の中で発見されました。観覧チケットを、安値で販売していた店みたいです」

 ボロボロで、すっかり色もあせたその紙を見て、レオナールは目を見張った。

 表意文字は一部しか読めないのだが、共通言語での解説も小さく添えられている。確かにそこには、ソージュ主任補が言った通りの内容が記されているようだった。しかも、単に絵画だけではなく、礼拝堂などの宗教施設の内部までが何か所も、壁画ごと再現されているらしい。


「この地点の、現状はどうなっておる?」

 思わず彼は、大声を上げた。もしこれが残っていれば、戦争後最大の発見だ。

「地形図によれば、一部は海中に没しているみたいです。しかし、地上からの発掘も可能かと」

「すぐに調査だ。特別機動調査隊を編成するぞ!」

 そう叫んで、レオナール書記官は立ち上がった。こうしてはいられない。

 相当に大規模な調査となるはずで、その予算額からしてシティ当局の上に立つ羽ケ淵本社の承認までが必要と思われた。


 しかし、彼の予算要求は意外なくらいにあっさりと裁可された。

「すごいですね! こんな額が付くなんて」

 送られてきた予算配分書を見て、ソージュ主任補は目を丸くした。

「これなら、海底掘削調査だって可能ですよ。さすがです!」

「まあ、な」

 涼しい顔で答えながら、当局の財政部で耳にした噂のことを彼は思い出していた。今回の判断には、羽ケ淵本社の総帥、ド・コーネリアス会長直々の意向が働いているのだ、と。金の亡者のような絶対権力者、と思っていただけに意外だったが、この際まあ何でも良い。

 ありあまる予算の威力で、発掘調査はすぐに開始された。大量の人員と、最新の掘削機械エクスカベータ。たちまちのうちに、地下に眠った空間が掘り起こされた。


 そこには数百点に及ぶ複製陶板画ポーセリン・パネルに加え、解説のプレート――金属板に共通言語で彫り込まれていた――までもが残されていた。これで作品の由来や作者の名前、人物像までが全てわかる。人類が残した芸術の完璧なデータベース。まさに、戦争アトミック後最大の発見だった。

 発掘された「宝物」は、羽ケ淵本社の手によって新たに建設される美術館において展示されることになった。レオナールもソージュも、これには大賛成だった。


 美術復興ルネサンス計画と名付けられた巨大プロジェクトは、長い年月をかけてようやく完了した。すでに退官していたレオナールだったが、その功績によって、新美術館「メトロポリタン・ミュージアム」の内覧会に招待してもらうことができた。

「レオナールさん、お久しぶりです!」

 集合場所のエントランスで手を振ってくれたのは、新美術館の学芸員キュレーターとなった、ソージュ元復元官。彼女が、館内を案内してくれることになっていた。


 きちんと計算された照明の下で見る、名画の数々。年老いたレオナールは涙を流した。

 そんな彼の所へ、一人の小柄な紳士が歩み寄ってきた。レオナールと同じく涙ぐんでいる様子の紳士は、彼に向かって深々と頭を下げた。

「あなたが、レオナール元復元官ですね? 良い仕事をして下さいました。心から感謝いたします」

 この紳士がどこの誰で、なぜ自分のことを知っているのか。

 それは分からなかったが、レオナールもまた、丁寧にお辞儀を返した。自分が生きたことの価値は、確かにあったのだ。改めてそう思えた。


 紳士の名を知ったら、レオナールはさらに感激したかもしれない。その人こそド・コーネリアス、羽ケ淵本社会長。この世界を支配する地位にある者。そして、美術復興ルネサンスプロジェクトの最高責任者。

 コーネリアス会長もまた、美の価値を知る者なのであった。

(了)


[次回予告]

林立する超高層ビル群の真ん中に残された、たった一軒の古ぼけた民家は、巨大都市が支配するこの世界の原点とされた。正気とも思えぬその物語を、彼は必要としていたのだ。

次回第49話、「谷間の一軒家」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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