砂の沼

 流動性の砂に満たされた砂沼さしょう、そこでは通常の船は使い物にならない。すぐに砂面に沈み込んで、身動き取れなくなってしまう。

 移動手段として役に立つのは、砂の上を滑るように移動する、「スキー船」という特殊な船だけだ。船と言っても船体らしいものはなく、要するには砂沼に浮かべた大きな一枚板のようなものだった。

 先端がスキー板の如く上方へと反り返っているのが、名前の由来だ。船縁には低い囲いがあるが、砂沼では波をかぶるようなことは無い。


 そのスキー船を自分の舟屋から砂面へと押し出して、ハイエルは船上に飛び乗った。船体よりも大きな三角形の帆を張ってやると、荷物を満載した船は朝の西風を受けて、ゆっくりと動き始める。

 まだ十五の彼だが、スキー船の操船については幼いころから父親に叩きこまれて、もはやベテランの域だった。

 ウォターク砂沼は、この世界でも最大の砂の沼だ。対岸は、遠く霞んでいる。水分を含んだ砂に、薄曇りの空から降り注ぐ陽の光が当たって、広大な砂面はキラキラと輝いていた。

 沖に出ると風は強まり、スキー船が滑走する速度は上がる。

 船から振り落とされないように、ハイエルはソールにしっかりと腰を下ろし、船縁につかまった。沼に落ちても、すぐに体が沈んでしまうということはない。しかし、船が去って行ったあと、いつまでも助けが来なければ、いずれは重い砂の底に飲み込まれてしまうことになる。


 このベージュ色の砂面の下には、様々なものが沈んでいるのかもしれない。船尾のブレードキールを操作しながら、ハイエルはそう思う。

 しかし、恐ろしいとは感じなかった。あらゆるものがいずれ砂の底に沈む、それは最後の救いなのだというのが、この地に住む者たちの共通の思いだからだ。

 ずっと昔、墜落して砂沼の底に沈んだという大きな飛行機を探しに来た男がいたが、そのような行為は忌むべきことで、住民たちからはひどく嫌われていた。今でもその男が住んだ場所には、飛行機のプロペラだったという巨大な羽が記念碑のように立ったままだ。


 ハイエルは空を見上げ、太陽の位置を目測した。朝の西風が、そろそろ弱まる時間だった。しかし、目指す「島」まではもうすぐで、風のあるうちには到達できるはずだった。

 本来、この砂沼に島などは無く、「島」と呼ばれるそれは流動性の砂に浮かぶ巨大な人工物だった。

 遠くの大都会メトロポリスにある会社が作ったものだという話だが、それが何のためのものなのか、ハイエルも周囲の人間も、誰も知らなかった。彼らにとってはただ、自分の村で採れた食品や、近くの街区で仕入れた雑貨を売り込みに行く先だというだけである。


 複雑な多面体の壁が鈍く光り、一つの窓もないその外見からは、それこそ取り付く島もないような印象を受ける。しかし、砂面すれすれの所に開口部があり、船はそこから中に入ることが出来た。中には小さな桟橋がある。

「やあ、こいつはどれもうまそうだな」

 停滞保存庫ステイシス・フリッジから取り出した新鮮な魚や野菜を並べて見せると、顔なじみの買い付け担当者は、嬉しそうな顔をした。彼よりは年上ではあったが、まだ若い青年だ。

「よし、今日は全部買おう。今夜はごちそうが出せるな。工業食プロセスドばかりじゃ嫌になっちゃうからね」


 ハイエルは丁寧にお辞儀して、礼を言った。そしてつい、前々から疑問に思っていたことを、その青年に訊ねてしまった。

「あの、ここには何人くらいで……みなさんはどんなことをしているのですか?」

 途端に、青年は考え込むような顔をして、黙り込んでしまった。

 しまった、と彼は思う。余計なことは聞かないほうが良いのだ。都会から来たような人間には、特に。好奇心は、決して良い結果をもたらさない。


「これだけの量の食べ物があれば、みんなの夕食には十分、そんなところかな。次からもこんな感じでお願いしたいな」

 ややあって青年は笑顔に戻り、そう言ってくれた。ハイエルが、仕入れの量を気にしているのではないか、そう判断したようだった。

「ここはね、そうだな……世界の中心を守ってる、そんなところかな。みんなが元気に活動できないと、困ってしまうんだ。だから、こういう美味しいものを頼むよ、次回も」

 分かりました、と彼は再び頭を下げて、スキー船に戻った。桟橋を蹴り、櫂を使って「島」を離れる。


 遠ざかる「島」を、ハイエルは何度も振り返った。

 世界の中心とは、どういうことだろう。夜に見えるあの光と、何か関係があるのだろうか。考えても良くは分からなかったが、ハイエルは何だか嬉しくなった。あそこはとても重要な場所で、彼はその役目にいくらかの貢献をしている、ということになるのだ。

 その晩、彼は何度も岸辺に立って「島」の方角を眺めた。

 細い月が美しく光る夜空のあらゆる方角に向かって、「島」の辺りから、赤や緑に輝く幾筋もの細い糸のような光が、目まぐるしく放たれていた。


 そのコヒーレント光の一筋に、Jオクテットクラスの膨大な情報量が含まれているということを、ハイエルは知らない。

 あの多面体の壁は、致命兵器フェイタル・アトムによる攻撃にも耐え、しかも非常時には「島」は砂沼に潜ることさえできる能力を有していたのだが、もちろんそんなことも知らない。

「全てのコンソール・キューブの母」、それがこの「島」の名前だった。相互情報通信網ネットを流れるあらゆる情報は、全てここに集まり、蓄積される。もしも何者かに狙い撃たれて一帯が焼き払われても、「島」だけは生き残り、それらの情報を守るのだ。


 しかし今の所、そんな事態は起きそうにもない。砂沼は明日も平和だろう。朝の西風が吹き始めれば、何艘ものスキー船が沖へと出て行くはずだ。砂面を、滑るように。

(了)


[次回予告]

戦争前の芸術、特に絵画は復元困難とされていた。ところが、地中深くに大量に眠る複製陶板画の発見が、状況を変えた。人類は、かつて存在した「美」を、再び手にする。

次回第48話、「美を知る者」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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