音楽は残った
道沿いには、各種商業施設を中心に設計された人工の街が、いくつも新たに産まれていた。
彼女のお目当ては、広大な倉庫の中で様々な洋服が安く売られている
一方、ケンはケンで、お気に入りの場所を発見していた。商業エリアの近くにある、洒落たダイナー。
その店では、単にチョップド・ステーキやルートビアなどのおなじみの飲食物が提供されるだけではなかった。
店内に、
暮れかかる空の下、建ち並ぶ建物の黒々と大きなシルエットが二つ、三つ、窓の向こうを流れ去り、そしてその向こう側に、頭上高く掲げられたネオン看板が見えてくる。「JAY’s ”MUSIC” DINER」、そんな筆記体のネオン文字が並んで、オレンジ、グリーン、マゼンダと派手に輝いていた。
店に入ると、ちょうど壁際のオーケストリオンが、遥か昔の
ドライ・ルートビアのグラスを手に、店の奥にあるソファーに座り込んだケンは、リズムに合わせてちかちかと瞬くオーケストリオンのパイロット・ランプを眺めながら、
演奏が終わり、思わず拍手をしたケンに、オペレータは一礼して操作盤の前を離れた。
「これ、なんていう曲なんです?」
ケンは彼女に声を掛けた。白地に赤いストライプが入った、裾の短いワンピースというその服装はこの店のユニフォームで、演奏装置のオペレータといえども、あくまでウェイトレスの扱いらしかった。
「古すぎて、本当のタイトルも、誰が作った曲なのかもわからないの。『ファー・イースト・ウインド』と呼ばれているわ、今では」
アコ、という名前の女性オペレータが、そう教えてくれた。やはりこの曲は、遠くから吹く風を現しているんだ、と彼は納得して深くうなずいた。
ソファーの隣に座ったアコと、ケンは音楽談義を楽しんだ。ダイナーでは本来、同席しての接客などは行わないのだが、これはあくまで純粋に音楽好き同士の会話ということだった。楽しくて、彼は思わず時間を忘れた。
「随分楽しそうね、ケン」
背後から掛けられた声に、彼は思わず飛び上がりそうになった。
振り向くと、不機嫌そうな顔をしたメリー・アンが、細い腰に手を当てて彼をにらみつけていた。足元には、お店の大きな紙袋が二つほど転がっている。
「いや……ごめん、その、買い物は?」
「とっくに終わりましてよ。約束の時間をすっかりお忘れだったみたいね。この荷物を持って、私ここまで歩いてきたのよ」
「ごめんなさいね、ついついわたしが引き留めてしまって。お詫びに……シナモン・チャイなんて、お嫌いかしら?」
アコが、すかさずフォローに入る。
「あの、それね、私の……大好物だわ」
メリー・アンは、にっこりと微笑んだ。
ケンもルートビアのお代わりをもらい、メリー・アンと二人でソファーに並んで、オーケストリオンの演奏を楽しんだ。アコが選んだのは「浮気な夏」と呼ばれる、明るい曲調の、そしてこれもまた極めて古い曲だったが、そのタイトルについては特に説明しなかった。
「素敵ね、
すっかり機嫌を直したメリー・アンが、ケンにもたれかかった。
ケンたちの様子を見ながら、アコはそんなことを思った。
さあ次の曲は、と彼女はエミュレーションテープをセットした。古くから伝わるタイトルは「
高度技術都市と呼ばれたその都会でも、現代と同じように人々は暮らし、カップルは恋をした。全ては滅びたが、音楽は今でも当時の空気を伝えてくれる。
この時代が終わり、
(了)
[次回予告]
ウォターク砂沼の岸辺に暮らすハイエルは、沼に浮かぶ「島」へと食料品を売りに行くことで生計を立てている。だが、その人工の「島」が持つ重大な役割を、彼は知らなかった。
次回第47話、「砂の沼」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます