機関車の美女

 朝ご飯を平らげたコハクは、ちゃんと初等学校の制服に着替えてから、軒先の長椅子へ座り込んだ。

 彼の家は大通りに面していて、通りを行き交う人や乗り物が良く見えた。母親が、さあ学校の時間だよと急かしに来るまで、彼は決してそこを動こうとはしない。


 大通りの真ん中には、二本のレールが敷かれていた。「紅珊瑚べにさんご支線」と呼ばれる、郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンの末端にぶら下がったローカル線。

 町の南側に広がる巨大なうみで採れた魚介類や、特産品である各種の希少なサンゴ類を運ぶために作られた路線だ。

 朝のこの時間には小さな電動客車が必ず一両、北から南に向かって走って行くことになっていた。

 これは定期運行されている旅客列車だが、それ以外にもまれに、自由運行フリーによる貨物列車が、古びた電気機関車イーエルを先頭に走って来ることがあった。


 郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンの軌間は狭く、コハクでもレールとレールの間を一またぎで渡ることができるほどだ。

 そんな特殊狭軌道ナローゲージの鉄道ではあっても、ゴツゴツとした鉄の塊のような機関車には重々しい迫力があった。彼のお目当ては、その電気機関車のほうだった。

 待ち続ける彼の前を、くすんだ青の電動客車が満員のお客を載せて、それでも案外軽快なモートルの音を立てて走り抜けていく。ゆらゆらと左右に大きく揺れているのは、軌道自体が波打っているからだ。

 シティにある鉄軌機構本社による管理もこのような末端の支線にまでは及んでおらず、一応は準区の役場に線路保守が委託されていることになっていたのだが、実際に行われているメンテナンスは全く不十分なものなのだった。


 電客が走り去った大通りを、くろがね三輪などの小型自動車や、ランドウレットやフェートンといった高級車が通り過ぎて行く。それらの乗り物は、それはそれで興味深いものなのではあったが、コハクにとってはあくまで脇役に過ぎない。

 今日は駄目かな、と街灯の球状時計を見上げたその時、耳慣れない甲高い電笛の音が通りに響いた。

 弾かれたように立ち上がり、彼は通りの北方向へと目を凝らす。二条の波打つレールの彼方に、電気機関車の黒っぽい姿が見えた。


 電動客車のとは全く違う、野獣のうなりのようなモートル音と共に、機関車は近づいてきた。

 これは、いつも見かける奴とは違う。重量級の、大型機関車だ。

 その重量でレールを押さえつけているからか、いつもの機関車に比べると車体の揺れも少ないようだ。その後ろには十両、いや十五両にも達する、様々な貨車の列が連なっていた。

 真四角の白い箱のようなもの、銀色に輝く円筒を横倒しに積んだ台車、電動客車にも似たたくさんの窓がある車両。

 これほど長大な編成の列車は、この辺りでは滅多に見られるものではなかった。それぞれがどのような役割を持っているのか、コハクには分からない。


 機関車がすぐ目の前にまで近づいて来たところで、彼は運転台のほうに向かって思い切り手を振った。朝日に照らされたその車体は、実は黒ではなく濃いぶどう色だ。

 操縦席のガラスの向こうに動力車操縦者モートルマンの姿が見えた。驚いたことに、ブロンドの長い髪が美しい女性操縦者だった。

 何て素敵で、格好いいのだろう。彼が思わず見とれたその瞬間、ごく短く鋭い電笛の音が彼の両耳を貫いた。

 返事をしてくれた! コハクは有頂天になって、さらに大きく手を振った。その彼の前を機関車はモートルの音を残して走り去り、続いて貨車の列がゴトンゴトンと音を立てて進んで行った。


 彼は、あの機関車にすっかり夢中になった。鉄軌機構の年鑑アルマナックには、「TYPE・EEⅡ」という形式名称と、機関車の簡単なイラストが掲載されていた。

 幼年学校のクラスでも、彼は貴重な大型機関車を見たことと、操縦者が珍しい女性だったという話を少し自慢げに披露してしまった。

 すると、少し意地悪な級友が、やっかみ半分で彼をからかい始めた。

動力車操縦者モートルマンが美人だったもんだから、それでコハク君は一生懸命手を振ったりしたんだろう」

「違う。違うぞ、そんなの」

 赤くなりながら否定する彼を、クラスのみんながはやし立てる。それ以降彼は、あの機関車の話をするのをやめてしまった。


 それからも毎朝、「TYPE・EEⅡ」を待ち続けた彼だったが、やってくるのはいつもの電動客車と、小型機関車がけん引する短編成の貨物列車ばかりだった。本来、この「紅珊瑚支線」に重量級の大型機関車がやってくることなど、滅多にないのだ。

 しかし、あれから何十日も経った秋の終わり、彼はついに待ちに待ったあの甲高い電笛の音を耳にした。

 よれよれのレールの向こうに、黒っぽい大型機関車の姿が見える。モートルの唸り声と共にやってくる、鉄の塊。

 大きく振ろうとした、彼の手が止まった。操縦者が違う。あの女性操縦者ではない。


 いや、そんなの関係ない。コハクは改めて、機関車に向かって手を振った。動力車操縦者のおじさんも、ごく短い電笛の音で返事を返してくれた。

 しかし、長大な貨物列車が走り去るのを見送りながら、彼は寂しさのようなものを感じていた。彼自身も気付いていなかったが、コハクが本当に待っていたのはきっと、あの女性操縦者のほうだったのだろう。

 初恋のような、淡い思い。残念ながら、彼女が操縦者として姿を現すことは、二度となかった。

(了)


[次回予告]

ケンが見つけた、お気に入りの店。洒落た雰囲気のそのダイナーでは、傑作機と呼ばれた電子オーケストリオンによる、古典テクノポップの演奏を聴くことができた。

次回第46話、「音楽は残った」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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