光の糸の下で
川べりのその地区に、ただ一個所だけ存在する
そこで働いているのは
各種の診断は、
准医師的位置づけである、
その夜も、何人もの患者が診療を受けに訪れ、待合室は満員だった。
地区集会所の三階にある診療所の窓からは、運河の向こうのビル群、
ちょうどここは、
「次の患者さん、どうぞ。二十二番の札の人ですよ!」
ざわめく待合室に向かって、
「前が……おかしなものがずっと目の前に見えて、前がよく見えないのです」
額を抑えながら、若い母親は言った。傍らの子供は、不安そうな顔をしている。
「見えるのは、どんな色や形をしたものですか?」
「はい。何というか……ギザギザした形で、ギラギラ光ってものすごく眩しいというか、それが目の前に広がって」
「それが見え始めたのは、いつ頃からでしょうか? 頭痛はありますか?」
「この子を迎えに行った時からだから……二時間くらいでしょうか。頭痛はありません」
症状の持続時間が長いことと、頭痛がないということが逆にチエには気になった。脳血管疾患の兆候という可能性も捨てきれない。
「わかりました。ドクターの指示を仰ぐことにします。少々お待ちくださいね」
彼女は、
この端末には臨床検査機器が接続されていて、その操作は
この辺りには基幹回線が通っておらず、コヒーレント光通信によってセンターへの接続を行っていたが、この通信方式は不安定なことも多く、遠隔診断に頼るこの診療所にとって頭の痛い問題になっていた。
患者にはとりあえず、診察室の奥にある計測ベッドに横になってもらい、同僚のテツコにも手伝ってもらって、チエは診療所の屋上にある光通信筒の調整を試みた。
筒先の光学コイルからは紅い糸のような細い光が、夜空目がけて放たれている。
これが光通信に使われるコヒーレント光で、接続先の送受光装置とやり取りを行うことで、
ところが今夜は、
テツコを屋上に残して診察室に戻り、今から緊急医療隊による移送を行うということを患者に説明しようとしたチエは、その若い母親が受け答えする様子に、顔色を変えた。
「あの、もおぜすか。あの……なんといしまたっけ、ゆうゆうさいで、たぴおけな?」
異様な空気に、子供が泣き始める。患者は重篤な失語症を起こしかけていた。明らかに脳疾患の症状で、一刻を争う状況だった。
その時、背後の端末からチャイムの音が聞こえた。
はっと振り返ったチエは、マイクロフリップ・ディスプレイに表示された「*Ready*」の文字を目にした。
慌てて端末に飛びついた彼女は、担当のドクターを呼び出そうとして、その接続先が
中央病院への接続を断念したテツコが、とっさの機転で反対方向へと光通信筒の向きを変えて、渡守区の医療センター上空に設置された送受光ゾンデへと光通信を接続してくれたのだった。
今までに実際に発動したことはなかったが、渡守区立医療センターとも遠隔診療協定は締結してはあったから、当番のドクターは快く診療を引き受けてくれた。
今夜は、他の
即座に
発症から三時間以内の処置が奏功して、患者の若い母親は後遺症もなく完治し、費用も救貧医療制度の範囲内に収まったのだった。
診療時間終了後、チエとテツコは再び屋上に立って、夜空を貫いて高く伸びる紅い光を見上げた。
今夜のような事態はまたいつ起こるか分からず、早急な基幹回線の整備が必要となるだろう。しかし、その日が来るまでは……この美しくも力強い紅い光の糸が、地区の人々の生命を支え続けるのだ。
(了)
[次回予告]
湖で採れた産物を運ぶための、短い支線。大通りの路面を走るそのレールの上に、珍しい大型機関車が姿を現した。幼いコハクは、夢中で手を振った。
次回第45話、「機関車の美女」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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