高い塔と彼女
中でも一番の高さを誇るのが、南方の中心である風境区のマンノー海沿いに近年建った、ラジオの送信塔だった。ビルの高さに換算すると百五十階建てくらいだから、超々高層ビルにも匹敵する。支えのない、自立型の鉄塔で、足元近くだけが僅かに広がったその形は、枝を全て失った大木のようにも見えた。
取り付けられた
人工湖であるマンノー海は、
暗い湖の畔に独りそびえる、その存在感に息を呑む旅行者も多かったが、逆に言えば、この地にはそれくらい他に何もないということでもある。
つい先ほどの便で
確かに美しいけれど、何て寂しい風景なのだろう。
彼女がこの南方へとやってきたのは、
と言っても、シーナはまだそのお相手を見たことがない。
北方と南方の有力者同士であるそれぞれの両親が、一方的に決めた政略結婚の道具、それが今の彼女だった。その引き替えに、彼女の父は
もちろん、相手のホログラフ画像を見せてもらうことは可能だったが、シーナは拒否した。相手がどんな姿形だろうと、もう決められてしまった話だ。
この拒絶は、彼女にとってのささやかな、最後の抵抗だった。
彼女の目に映る塔は、絶望の象徴だった。こんな最果ての街で、見知らぬ他人の妻として、暮らして行くことになるなんて。鳶色の美しい瞳から流れる涙を、彼女は止めることができなかった。
桟橋にはすでに、迎えのフェートンが来ていた。高級自走車のふかふかのリアシートは、
しかし、車窓を流れる街の風景は、いかにもみすぼらしく、侘しかった。五階建て程度の貧相なビルでも、ここでは一番立派な建物の部類に入るのだ。
やがて車は、大きなお屋敷に到着した。広大な敷地と、その周囲を囲む塀。門をくぐってからしばらく走らないと玄関にたどり着かないほどで、これほど立派な邸宅というものは、過密の
車を降りて振り返るとやはり、夜空に独りで佇むあの塔が見える。まるで手が届くように、すぐ近くに立っているかのように。彼女はふと、塔に親しみを覚えた。
玄関で出迎えてくれたのは、執事と女中頭だった。
「本日は、もうお時間が遅うございますから」
見事な総白髪の執事は、優しい声で言った。
「お部屋でお休みくださいませ。旦那様とファラディ様は、明日の朝改めて、ご挨拶さしあげるとのことです」
ファラディ様、というのが、件の
どうして本人が出迎えないのかと彼女は不満に思ったが、相手はこの土地の名士だ。こんなものなのだろう。
結局良く眠れないまま、朝がやってきた。応接間に通された彼女は、目の下の隈を気にしながら、
執事が扉が開くと、恰幅の良い紳士と、長身の青年が部屋に入って来た。義理の父、それに夫となる人。
よく似た二人の、穏やかで知性を感じさせる表情を目にした彼女は、重く沈んでいた心に光が射すのを感じた。いかにもまっとうな、感じの良い人たちだった。
儀礼的に挨拶を交わす間、青年はずっと優し気な青い瞳で、シーナのことを見ていた。ドキドキして、彼女はまともにしゃべるのも難しいほどだった。
「少し、二人きりで散歩でもして来てはいかがかな?」
義父にそう勧められて、青年と彼女はお屋敷の広大な庭に出た。
歩き始めてすぐに、青年が口を開いた。
「この婚約が、あなたの意に沿わないものであったことを、僕は知っています。事業のために、あなたが犠牲になる必要などありません。もし、今からでもお断わりになるのなら、僕が父たちを説得しましょう」
この言葉に、シーナは強く心を打たれた。
確かに、意に沿わない婚約だった。しかし、実際に彼の姿を目にして、彼女の気持ちは変わっていた。しかも、この人は自分のことをこんなに大切に思ってくれているのだ。
「いえ……。ファラディ様さえ、おいやでなければ……このお話、ぜひ進めていただければ」
青年の表情が、ぱっと明るくなった。
「良かった! 正直に言いますが、一目見て、僕はあなたのことを……。大切にします、必ず」
幸福な気持ちに包まれながら、シーナは空を見上げた。そこには、あの赤い電波塔。しかし今の彼女には、あの塔が彼女の未来を高い所から祝福してくれているように見えた。
物言わぬ孤独な塔は、見る者の心を映す、鏡のようなものなのだった。
(了)
[次回予告]
地区の人達が開設した診療所にやって来た患者は、重い脳疾患の兆候を示していた。しかし、指示を仰ぐべき中央病院との光通信がつながらない。果たして処置は間に合うのか。
次回第44話、「光の糸の下で」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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