V30ブロックの最後
暫定市街地。
「人工地盤」という可動式の巨大な構造物の上に構築された市街地は、廃止に伴って地盤ごと移動・廃棄され、その跡地は超々高層ビルが建ち並ぶ
V30ブロックと呼ばれたこの街もまた、三級暫定商業地区に分類される、それら暫定市街地の一つだった。
廃止が決定して約二年。ついに今日、全住民の強制退去が完了することになった。住居のあらゆる場所が電磁ロックされて使えなくなるのだから、出て行くしかない。
「とうとうこうなっちゃったね、あたしらの街」
地面に転がった、ルートビアの空き瓶をすらりとした足で蹴飛ばして、ケイミはため息をついた。無人の通り。彼女が立っているのは、かつてオート・コンビニだった建物の前だった。
「何だかさ、あたしらのせいみたいな気がしちゃうんだよね、ちょっとだけ」
「関係ないわ。誰が何をしたって、こうなってたのよ、ここは」
隣に佇むユリカが、肩をすくめる。
彼女たち二人は、
「住民の反感を和らげる」という良く分からない理由で、二人はその仕事中、おへそが見えそうなノースリーブのジャケットと、ミニスカートという服装をさせられていた。
最後の仕事を終えた今は、どちらも普段通りのTシャツとジーンズ姿に戻っていた。もっとも、そのジーンズもホットパンツタイプの、両足が大きく露出したものではあったが。
「さあ、私たちも家に帰りましょうか」
ユリカは振り返って、建ち並ぶビル群を見上げる。
ここを退去しても行き場のなかった住民たちは結局、その一棟の中に新たな住まいとなる一室を与えられていた。
「みなさまに親しまれる
「あんなの、人が住むところじゃないわよ。みんなでエレベーター待って行列してさ、百十四階なんて高い所に押し込められて」
ケイミはなおも不服そうだった。このごみごみした暫定市街地が、彼女は心から好きだったのだ。
「最後にもう一度だけさ、あたし、街を見て回ってくるよ。さすがに、もう着替えたから出てけとは言われないでしょ?」
「しょうがないわね。付き合うわよ」
ユリカは笑った。彼女だって、ここが好きだったことには変わりない。
小さなブロックだった。格子状に、縦の通りが五筋、横の通りが六条。三級とは言え商業地区ブロックだから、建ち並ぶ低層の建物は、その一階部分のほとんどが商店、それも個人が経営するものが多かった。
看板などは、営業していた当時のままだから、それぞれが何の店だったのか分かる。もっとも、二人にはそんなものは不要だ。ここで十九年も暮らしたのだ。
ショートケーキが美味しかった回転洋菓子屋さん、かわいい赤い長靴を買ってもらった靴屋さん、おつかいに行ったついでにピロシキを買い食いした肉屋さん……。
最初は楽しげだった二人だが、歩き回っているうちに、次第に無口になってきた。小さい頃からの、想い出だらけのこの町が間もなく、丸ごと処分場へ移動して解体されるというのだ。
「爺さん婆さんたちがさ、あんなに立ち退き嫌がったの、分かるよ。『当局の手先め!』とか、ずいぶん怒られたけどさ。」
ケイミが、ぽつりと言った。
「そうね……」
つい先ほどまではクールな表情だったユリカも、神妙な顔をしている。
彼女が見つめる先にはフライドライス屋さんの、油で汚れた小さな看板があった。この店に、何か想い出があるのだろう。
「おい、君たち! ここは立ち入り禁止だ」
背後から、大きな声がした。ほぼ同時に二人が振り向くと、制服を着た青年が立っていた。
「まずい。保安警察だよ。ずらかるか」
ケイミがささやき声でユリカに耳打ちする。
「私たち、
しかしユリカは、堂々とそう返した。
「ああ、君らが。しかし、もう退去啓発は終わりだよ。今から、移動試験が……」
若い保安警察員がそう言いかけた時、足下から地響きのような音がし始めた。
「何があるんです?」
ユリカが訊ねる。
「人工地盤に通電して、移動装置が正常に動くかどうか再起動のテストするんだ。ほら」
青年が、目の前の建物を指さした。
ケイミたちは、目を見張った。
沈黙していた、屋上や壁の宣伝ネオンや看板灯が、一斉に点灯していた。そして次々と、周囲の建物にも。
廃墟の街が、暮れかけた空の下で、最後の輝きを放っていた。
「さ、君らもそろそろ帰りな」
「もうちょっとだけ見てちゃだめか? あたしらの街なんだよ、ここ」
ケイミが、警察員をにらむ。
「まあ……ちょっとならいいけどな」
無人の華やかな通りに、彼も目を遣った。
「俺の街、でもあるんだよな。ここは」
三人は無言のまま、消えゆくV30ブロックの姿を、いつまでも見つめ続けていた。
(了)
[次回予告]
極渦と呼ばれる暴風雨に襲われることもある、底城区の町。そんなことを何も知らずに、ラゴロフはやってきた。うまいシュニツェルを食わせるという店だけを目当てに。
次回第39話、「グルメと嵐」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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