ファンタスティック・ヴォヤージ

 どうも右側エンジンの回転が上がらない、そう気づいてシュバルトは渋い顔になった。

 軽貨物飛行艇のカーゴ・スペースは、積み荷でいっぱいだ。この調子のまま、目的地まで飛行を続けるのはさすがに無理がありそうだった。思うように高度が上げられないというのは、やはり危険だ。


 恐らくは、点火系の異常だろう。このタイプの機種はイグニッション・コイルが弱点と言われていて、彼としても点検は怠らなかったつもりなのだが、それでも壊れる時は壊れる。気筒が一本死んでいる可能性があった。

 すでに北方と南方の境目、多島湾の上空辺りまで来てしまっているはずだった。出発地の港へ引き返すには、いささか遠すぎる。

 シュバルトは、傍らの書類ケースから航空海図を取り出して、現在地の状況を確認した。


 硝子ガラス島列島が近い、と彼は地図の上を指でなぞる。

 湾の中ほどにあるこの小さな列島の東端には、水上の街として知られる虹橋新街区ネオポリスが存在する。多島湾全体の中心機能を持つここでなら、部品の調達やエンジンの修理も出来るかも知れない。

 彼は機体をいくらか右旋回させつつ、降下を始めた。

 ミント色の青い海が、前方ウインドシールド一杯に広がる。南方の美しい海、と呼ばれるのは、ちょうどこの辺りの海のことだ。これ以上南下すれば、極渦の影響を受けた荒々しい波が海を覆う。


 エンジン不調につき臨時着陸を許可されたい、という管制官への申し出は即座に認められた。

 機首の前方に一列に並ぶ緑の島が見えてきた辺りで、彼はさらに高度を下げ、余裕を取って着水を行う。たどり着いた虹橋港は小規模な港で、五本の突堤はいずれも市街地に直結する場所にあった。

 ボラードに舫い綱を掛けてふねを係留し、主翼上面に取り付けられたエンジンを点検してみると、やはり一本の気筒のイグニッション・コイルが死んでいるようだった。とりあえず、部品屋を探すしかない。パーツさえ見つかれば、修理そのものは簡単だ。


 街へと向かって突堤を歩きながら、水上街区とはこういうものか、とシュバルトは感心していた。この突堤も、その先に見える市街地も、無数の柱を海中に立てて建造された人工地盤の上に構築されているらしかった。

 多島湾には広い平地を持つ島がほとんどなく、苦肉の策で無理やりに中心街区を造ったものらしい。町なかの普通の小路でも、足の下には海があるというわけだ。


 当然にというべきか、虹橋の街区はごく狭く、それを補うように建物は高層化していた。

 ビル群の中には、「垂直商店街」と名付けられた商業ビルが何棟かあって、これは一階から十数階までの全てのフロアに、様々な商店がぎっしり詰まっているというものだ。

 シュバルトが機械部品屋を見つけたのは、「第三垂直商店街」の七階だった。

 比較的新しい、清潔な感じのビルの中で、油の匂いがする金属パーツが積み上げられた店先が、いかにも不似合いに見える。


 商品を整理している店番らしい青年に、彼は声を掛けた。

「RB26系のイグニッション・コイルが欲しいんだがね。DiTT用を、十二本」

 金髪にブルーの瞳、というこちらも店の雰囲気に不似合いに見える青年はゆっくりと振り返り、静かな声で答えた。

「申し訳ないのですが、26系は今ちょうど切らしているのです。シティからの取り寄せになりますが、少々お日にちがかかります」

「そうか……入荷の見通しは?」

「不明ですが、最短でも七日程度は」

 この湾に、他の部品屋はないということだった。それでは、待つしかない。積み荷は、友人のふねに立ち寄ってもらい、そちらに積み替えた。しかし彼自身は動くことができない。

 この際だから、とシュバルトは割り切って、休暇代わりに島でのんびり過ごすことにした。

 パイロット生活四十年、休みなどほとんど取ったことが無かったのだ。本当なら、引退して年金暮らしでもおかしくはない年齢だった。


 突堤に近い安ホテルの十階に部屋を取り、バルコニーで青く光る海を眺めながら、書店で買ってきた小説本を読んだ。

 読書に飽きると今度は愛機のそば、突堤の先で海中に釣り糸を垂れる。夜は月を見上げ、ラジオ放送を聴きながら眠りに就く。悪くない一日である。


 三日後、彼は再び垂直商店街に赴いた。やはり、部品の入荷はまだ無いということだった。話をしているうちに、店番かと思っていた青年が、実は店主であることが判明した。

「一本だけの不良なら、SR20系のものを流用しても問題ないはずですよ。故障の確率はごく低いし、万一また止まっても、残りの気筒でマンノー海まで飛べるでしょう」

 と店主は言ってくれたが、彼としては気が進まなかった。

 一本が故障したということは、残りの十一気筒もいつ壊れるか分からないのだ。それに、急いでここを発たなければならない理由も、特には無かった。


 予定の七日が過ぎても、部品は入らなかった。

 店主の青年は特に申し訳なさそうな様子でもなく、ただ「まだ入りませんね」と告げるだけだった。

 三週間を過ぎた辺りで、シュバルトはホテルを引き上げて、小さなアパートメントの一室を借りた。海岸からは少し離れたが、十五階のその部屋からは、市街地越しに明るい青の海がよく見えた。

 格納庫も借りて、愛機はそちらに移した。散歩途中で立ち寄り、機体を磨き上げることが、新たな日課となった。部品屋にも時折立ち寄ったが、「まだですね、なぜでしょう。不思議です」と店主も首を傾げる始末だった。


 そして、二年が過ぎた。部品はまだ届かない。長旅ヴォヤージの途中に立ち止まったまま、彼は今日も待ち続ける。

(了)


[次回予告]

暫定市街地、V30ブロック。今日でこの街はその寿命を終える。解体されて、跡地は超々高層ビル群に姿を変えるのだ。その街の最後の輝きを、ケイミとユリカは見つめる。

次回第38話、「V30ブロックの最後」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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