探す女と観覧車

 迷路のように入り組んだ街路を何刻もさまよい続けて、ようやくリルは目指す観覧車ホイールの足元にたどり着くことができた。

 郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンを降りたその時から、平べったい街を見下ろすように屹立する姿がずっと見えていた、巨大な車輪ホイール。尖塔の類が全くないこの街区においては、唯一のランドマークとなっているようだった。


 観覧車が立っているのは、貧しげな小さな民家の群れに囲まれた、広場の真ん中だった。

 いや、広場というよりも、単に「家の建っていない場所」と言ったほうが良さそうだ。その部分のみ、ゴツゴツとした岩で地面が覆われていて、黒い土がむき出しになっている周囲の土地とは全く異質な感じだった。


 回転している気配のないその観覧車ホイールだったが、地上近くで停止したゴンドラのそばには作業着姿の老人が立っていて、どうやらお客を待っているようだった。

「ごきげんよう。この立派な観覧車、乗せていただくことはできるのかしら?」

 老人に、リルは訊ねる。物腰の柔らかさは、女一人で長年商売をしてきた、その経験から身についたものだ。

「観覧車ですからな。そりゃ乗れますが」

 愛想のない顔で老人は言って、弧を描いて頭上に連なるゴンドラたちを見上げた。


「なら、お願いしようかしら。おいくら?」

 老人が口にした額は、ごく安かった。二人乗りの小さなゴンドラに乗り込み、扉の掛け金を下ろしてもらうと、モートルの唸り声と共に、観覧車は回転を始めた。動き始めてすぐに、たちまちに視界が開けてくる。周囲に建つのは背の低い建物ばかりで、眺望を遮るものは何もない。


 右手に持ったバッグから、リルは一枚の絵を取り出した。高い場所から眺めた、小さな町の全景。それは、母親の形見だった。

 リルの父親と母親が最初に出会い、暮らした町をスケッチしたものらしく、戦争アトミック前に描かれたものだと思われる。つまりは、彼女の生まれ故郷を描いたものだということだ。


 父親は、戦争アトミックで亡くなった。

 珊瑚細工を売って回る行商人だった母親は、幼いリルを抱えて各地を旅するうち、致命ヴィールス感染症に倒れ、命を落とした。

 救護院で育つことになったリルにとって、そのスケッチ画は、自らのルーツを伝える唯一の手掛かりだ。仕事からの引退後、彼女はそこに描かれた風景だけを頼りに、故郷を探す旅を続けていたのだった。


 ごく粗い線画ではあったが、そこに描かれた風景にはいくつかの特徴があった。地形には起伏が見当たらず、高い建物もない。そしてそんな市街地の真ん中を、十字状の大通りが縦と横に伸びる様子が、はっきりと見て取れた。

 ゴンドラから見える風景にも、そのスケッチと共通する点があった。この町も、やはりひたすらに平坦だ。

 しかし、無秩序に狭い街路が張り巡らされたこの町には、大通りらしきものは見当たらないようだった。リルは落胆の面持ちで、地平線に沈みゆく夕陽に照らされた町の風景をじっと眺めていた。


 ゴンドラが地上に戻り、彼女が地面に降り立つと、観覧車は回転を止めた。

「どうも、ありがとう。こんな立派な観覧車をわたし一人で貸し切りだなんて、何だか申し訳なかったみたいだけど」

 乗り場の老人に、リルはお礼を言った。

「客がいれば回す、それだけのことです。こいつは、そのためにここにある」

 あくまで老人は不愛想だ。

「それにしても、随分な年代物みたいですね、この観覧車。貴重なものなのでしょう」

 リルは改めて、観覧車を見上げた。オリーブグリーンに塗装された鉄骨で組まれた支柱には無数のリベットが目立ち、いかにも古めかしい印象を与える。


戦争アトミック前から、この場所にあったものですからな。古いのは間違いない」

 老人の表情がいくらか和らいだようだった。

「そんなに前から……。やはり、貴重なものなのですね」

 リルは深くうなずくと、試しに例の風景画を老人に見せてみた。

「実はわたし、この絵の町を探して各地を旅してるんです。こんな風景に、心当たりはありませんか?」


 老人は眼鏡をずらして、彼女が示したスケッチ画をのぞきこんだ。その表情が、変わる。

「これは……竪ノ街と、横大筋通りじゃないか。旧街だな、恐らく」

「心当たりが、おありなのですか?」

 リルの声のトーンが、跳ね上がった。

「ええ。この、十字に交差している大きな通りがあるでしょう。この角度に見覚えがある。恐らく、間違いないでしょう」

「そこは……その町は、一体どこに」


 老人は、悲し気な顔になった。そして、足元を指さした。

「この、地面の下に」

 戦争アトミックの際、この町は壊滅的な被害を受けた。結局、市街地は放棄されて地中に埋められ、その上に構築された人工地盤上に新たな街が作られた。

 小さな岩山の上に立っていた観覧車は、その支柱だけが生き残り、こうして再建されたのだった。


 こみ上げる感情に、目を見開いたまま、声を失っているリルに老人は言った。

「もう、陽も落ちた。もう一度、こいつに乗って御覧なさい。それで分かります」

 彼女は、ゴンドラに乗り込んだ。点り始めた町の灯りが、眼下に広がる。

 その中にひときわ目立つ、十字状の光の列があった。かつて大通りがあった地点をたどるように、街灯を模したモニュメントが設置されており、平和を祈念する青い光を放っているのだった。


 あふれる涙を拭おうともしないで、彼女は町の夜景を見つめ続けた。ついに帰ってきた、私は生まれ故郷に。

(了)


[次回予告]

注文のあったケーキの配達先は、シティの都心、高度集積地区にあるマンションだった。一人で足を踏み入れたことのない、超高層ビルの並ぶ大都会に、メイベルは決死の覚悟で配達に向かう。

次回第34話、「はじめての配達」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。


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