遠くのサーシャ

 収納ケースを開くと、そこには見慣れた銀の乙女シルバー・ボディの触感インターフェイス筐体、つまり手足の省略された女性の半身像が横たわっている。

 私はそのつややかに輝く筐体を抱きかかえるように取り出して、ベッドの上に横たえた。

 秘密の自室で、私は一人きりだった。司令部の地下深く。たとえ、敵の致命兵器フェイタル・アトムによる総攻撃を受けても、びくともしない場所だ。


 乙女かのじょには、表情がない。両目の浅い窪みと形の良い鼻、わずかに開いたような唇が動くことはない。ただ、銀色に輝いているだけだ。

 首の後ろにあるボタンを押し込むと、乙女かのじょは内部機器が作動する微かな高周波音と共に起動した。耳鳴りにも似たその音。

 まるで条件反射のように、胸が締め付けられるような感情の昂ぶりを私は覚える。その瞬間、私はあまりにも重苦しいあのプレッシャーから、わずかに解放されるのだった。世界の命運を握っているという、常人には耐えがたい重荷から。


 起動した乙女かのじょは、すぐに温もりを帯び始めた。

 銀色の金属で覆われた、一見硬質なその表面は実は柔らい。両胸に当たる部分を両手のひらで包むようにそっと押してやると、優しく押し返してくるような弾力が感じられた。

 続いて収納ケースから、小振りのガラス水槽のような見た目のホロコミュニケータ装置を取り出し、こちらも電源を入れる。センターへの接続が、自動的に開始された。


「『館』のご利用、ありがとうございます」

 ガラスの向こうに、案内人の姿が立体的に浮かび上がった。

 彼女自身が客を取ることはないが、「彼女ヒーラーたち」と同様に肌を見せるような服装をしている。

「ヒーラーの指名を希望されますか? 指名が重複した場合は、ご希望に添えないこともございますが」


 案内人の態度は、極めて丁重だった。

 先端技術のかたまりである銀の乙女シルバー・ボディとコミュニケータ一式の価格は、一般庶民に手の届くレベルではなく、つまり客のほとんどが上流階層ということになる。

 最新のテクノロジーを惜しみなく注ぎ込んだ仮想遠隔娼館、というこのサービスは世界中で密かに大人気になっているらしかった。淋しい金持ちの男が、それだけ数多くいるということなのだろう。私の場合は、また別の事情があったが。


「……指名を。J3312に空きがあれば」

 彼女ヒーラーたちに、名前は無い。

 いや、正確に言えば、みな同じ「サーシャ」というのがその名前だとされていた。私が指名した彼女の名は、「サーシャ=J3312」だということになる。

 不運にも彼女の空きがなければ……それまでだ。そういう仕組みなのだ、仕方ない。今までは、幸いそのようなことは無かったが。


「良かったですわ。ちょうど彼女は今、休憩中のようです。それでは、彼女の部屋につなぎます。素敵な癒しのひとときを」

 案内人の姿が、バブル・チェンバーから薄れて消えた。そして入れ替わりに、私が指名したサーシャの姿が浮かび上がる。

 大柄な彼女は、黒っぽく見える下着を身に着けて、ベッドの上に体を長く横たえていた。

「こんばんは、ね。そちらの辺りは。ありがとう、また呼んでくださって」

「僕のことを、覚えてる?」

「ええ、もちろん。だって、三度目だもの、あなたに会うのは」

 遥か遠い場所で、サーシャ=J3312は微笑んだ。


 彼女ヒーラーたちは、首都圏十七区十一市の北方にある自由都市に住んでいる、とされている。そこでは、このような仕事に従事することも合法なのだ、と。

 しかし実のところ、そんな彼女たちが実在するのかどうか、そんな町が本当にあるのかどうか、全ては謎のままだった。もし彼女が人工的に合成された映像に過ぎないのだとしても、このホロコミュニケータの解像度では、判別は困難だ。

 実体として存在するのは、手許の触感インターフェイス筐体だけだった。何千キロもの距離を超えて、ネットワーク経由で感触を伝えるため、私はその銀の乙女シルバー・ボディに手を伸ばした。


 溶けるように、時は過ぎ去った。

 最後の残り時間、私はベッドに横になり、バブル・チェンバーのガラスの向こうに横たわったサーシャと、添い寝するかのように向かい合った。

「わたし、嬉しいわ。こんな風に、あなたと一緒に過ごせて」

 服装をいくらか整えたサーシャ=J3312は、微笑みながら私の目を見つめた。それが本心からの言葉なのか、そもそも彼女はこの世界に実在するのか、何一つ確かなことは無かったが、それでも私は幸せだった。

 返事の代わりに、銀の乙女シルバー・ボディを軽く撫でる。もしも、全てが事実だったところで、やはり結果は変わらない。世界のほとんど反対側、北の果ての都市に彼女を訪ねて行くことなど、もはや不可能だからだ。


「また、会いに来てくれる?」

 彼女はそう言って、ちらりと宙に目を遣った。

 もうすぐ勤めの時間が終わる、と時計を確認しているのだとしたら淋しいことかも知れなかったが、しかしその動作はまた、彼女の実在性を示しているようにも思えた。そこまで計算して合成画像が作りこまれている可能性もあったのだが。


「ああ、もちろんだよ」

 と私は答える。もしも彼女の全てが嘘だとしても、私には文句を言う資格もなかった。私もまた、嘘をついていたからだ。二度と彼女に会うことはないはずだった。

 二時間前、私は国軍のトップとして、攻撃指令への署名を終えていた。致命兵器フェイタル・アトムによる総攻撃が、間もなく始まる。

 世界が消滅するのなら、彼女たちも架空の存在であったほうが良い。生命としての死を苦しまずに済む。


 そうして始まった戦争アトミックを、私は結局生き延びることになった。

 数年間の潜伏を経て地上に戻った私が見たのは、勝者も敗者もない荒野ではあったが、人類はかろうじて滅亡を逃れ、都市――やがてシティとなる――の再建もすでに始まっていた。

 しかし、世界を破滅させた人間の一人として断罪されることからは、逃れることができなかった。私の正体を知った人々は即座に私を拘束し、処刑を決めた。当然のことだろう。もはや私は抵抗しなかった。


 あの美しいサーシャたちは、どうなったのか。私の指令がその命を奪ったのか、それとも単なるデータとして消去されてしまったのか。死後に逝くことになるはずの向こう側の世界で、私はまた彼女たちに出会うことができるのだろうか。

 電気銃の放電が自分の心臓を貫く最後の瞬間まで、私はそのことを考え続けていた。

(了)



[次回予告]

小さな民家の群れに囲まれた観覧車。空へと昇り始めたゴンドラから見下ろす風景は、母の形見であるスケッチに残された生まれ故郷、彼女が探し続ける町とは全く違って見えた。

次回第33話、「探す女と観覧車」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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