与えられた眠り

「で、そいつが何をしたと?」

 と、私はいつも通りのセリフを、放り投げてみた。この暑いのに、上下漆黒のスーツにサングラス。そのくせ、汗一つかいていない、不気味なその使者に。


「お答えすることは、できません。単に、処理が必要な人物ターゲットです。このシティと、世界の平穏が保たれるために」

 録音データを再生でもしているかのように、使者はいつも通りの返事を投げ返してきた。

 そもそも、こいつが答えを知っているのかも怪しい。羽ヶ淵本社の下にあるシティ当局の第九清掃部分室、さらにその下に何階層かがあって、この使者はその底辺に近いところにいるだけだ。

 で、本物の底辺、実際に手をかけるのが仕事人ころしやのこの私という訳だ。


「では、いつも通り、対象に平穏な眠りを、世界に平和を。よろしく、ミスター・ザントマン」

「報酬は? 今日は封印容器シールドも用意してあるぜ」

 使者は、軽く目を見開いた。

共通液体通貨リキドマネーでのお支払いをお願いするつもりでした。なぜ南方絡みの案件だと?」


 共通液体通貨リキドマネーは主に南方地方で決済手段として用いられている通貨だ。親指くらいの大きさをしたガラス容器、アンプル・ウォレットに封入された高価な液体を通貨として用いる。

 その受け渡しには、専用の封印容器シールドが必要だった。近頃は、偽造の認証オモロガードシールで封印された粗悪液体が出回っているからなおさらだ。


「勘だよ。俺は勘がいいのさ」

 南方絡みで、何かキナ臭い動きが起きていることくらいは、情報屋から聞いてはいた。この手のハッタリは、名を上げるには効く。

「さすがですね。では、決して仕損じだけはないように。たとえ屍になって転がっても、当局に拾うものはいませんから」

「心得てるよ」


 手渡されたホロ・キューブの偏光フィルムをはがし、バチェラー燈の下で回転させて「対象ターゲット」の姿を確認する。

 本名不明。「スバル」と呼ばれる、ごく若い女性。路上で詩集――紙に印刷して製本したやつらしい――を売ったり、時には彼女自身を売ったりして生活している。

 まあ、そこは公序例規違反かも知れん。しかし、大金を出して消すほどの相手とも思えない。

 沈静スティックを咥えた。セロトニンセプターの味。

 まだ普通の人生を送っていた頃。私の、あの娘が生きていれば。ちょうどこれくらいの年頃だ。


「やあ。これは、何の本だい?」

 道端に詩集を並べて、膝を抱えて座っている仏頂面の少女に、私は声を掛けた。渡守区わたしもりくのメインストリート。なかなかの人通りだ。

「お、おじさま、こんにちは。私の詩集なんです、これ」

 一瞬で、彼女は愛らしい笑顔に変わった。売り子としては、なかなか優秀だ。


「ちょっと、見せてもらっていいかい?」

 どうぞどうぞ、と手渡された数冊の本の中身、詩の良し悪しは、文学などには縁もゆかりもない私には正直判断をつけかねた。

 ただ、ある一冊に収録された詩に、懐かしいような、人生における最も輝かしい瞬間がよみがえるような、そんな柔らかい感触があった。


「じゃあ、これを一冊いだだこうかな」

「ありがとうございます!」

 スバルの笑顔が弾けた。

「じゃあ、これで」

 冗談のつもりで、私はアンプル・ウォレット、液体通貨リキドマネーを充填した、ガラス容器を取り出した。こんなもの、見たこともないだろう。当然、ちゃんと金属コインで支払うつもりだった。


「あ、いいですよ」

 ところが彼女は平気な顔で、封印容器シールドを取り出した。

 私の顔色は、少し変わったはずだ。この北方に暮らす、普通の市民が封印容器シールドなど持ち歩いているはずがない。ただ単に、南方出身というだけなのか、それとも。

 やはり、南方絡みで起きているという案件に絡む、対象ターゲットなのだ。


 路上に座ったままうつむいて、代金相当分の液体通貨リキドマネーを、封印容器シールドへと引出サーブしている少女。数滴の高価な液体の引出サーブは気を遣うから、今の彼女は無防備そのものだ。


 目に見えないくらいに細く、鋭いガラスの針先を、私は少女の首筋にそっと当てた。

 わずかに力を加えて刺してやるだけで、この子は苦しまずに旅立つことが出来る。気持ちの動揺に震えそうになる指先は、徹底的な訓練によって、実際には微動だにしない。


「おじさん、私ね」

 相変わらずうつむいたまま、彼女は言った。

「きっとおじさんも、もっと幸せに生きられたと思うんだ。だから、さっきの本を買ってくれたんでしょ? あれは、そういううただもの。ほんとはね、まだチャンス、あったんだと思う」


 指先に、私は力を込めた。しかし、手応えは無かった。ガラス針は、細かい破片となり、足元に散らばった。

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 少女は顔を上げ、悲し気に微笑んだ。

「あなた方が私をマークしてたのと一緒で、『組織わたしたち』もあなたのことは分かっていたの。ごめんね。ありがとう、本を買ってくれて」

「組織」? しかし、それが何者なのかを私が知ることはなかった。彼女が、どんな手段を使ったのかさえ分からなかった。私を旅立たせるために。


 シティと渡守区の間を流れる大きな川。そこを流れて行く、中年男の死体。

 引き上げられはしたが、死因も個人特定も不能とされた。無名墓地に葬られた、ミスター・ザントマン。

 そしてようやく彼は、自分自身の安らかな眠りを得た。

(了)


[次回予告]

サーシャ=J3312。彼女が実在するのかどうか、私は知らない。確かなものは、シルバー・ボディの温もりだけだ。世界が消滅するのなら、彼女たちも架空の存在であったほうが良い。生命としての死を苦しまずに済む。

次回第32話、「遠くのサーシャ」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。



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