カルメン・シータ

 最果ての準区セミウォードのさらに外れ、街区とも呼べないその小さな街には、たった一軒だけ酒場があり、夜になると男たち、女たちで賑わった。

 しかしこのところ、その賑わいぶりにも陰りが感じられた。元々の主役、街一番の美女と謳われたその女が、不在だったからだ。


 彼女は本名をミーヤ・ジギトワと言ったが、ここでその名を耳にすることはまずなかった。

「カルメン・シータ」、みな彼女をそう呼んだ。昔の歌劇に出てくる多情な女と、そっくりだと言うのである。

 歌劇のカルメンは元の恋人に刺し殺されて終わるのだが、こちらのカルメン・シータも、やはり色恋沙汰で揉めた挙句に刃物で刺されたことがあり、それはこの小さな街においては大変な事件だった。


 ちょうど保安警察の若い駐在警備官(なかなかのハンサムだと、街の女たちには人気だった)と交際していた最中に、たまたま巡業でやってきた舞台格闘家アングル・アクターとつい浮気してしまった彼女は、それを知って逆上した警備官に古風な金属ナイフで刺されたのだ。

 殺傷力の高い分子揺動モルスイングナイフを使わなかったのは、古典にちなんで「カルメン」と呼ばれている女に対する彼なりのロマンではあるらしかったが、やはり本心では彼女の命を奪いたくはなかったのだろう。


 幸い傷は浅く、命に別状はなかったものの、若い警備官は当然に更迭。そしてむしろ彼女は、美女としての名を上げることになった。

 お腹のどこかに残ったという、金属ナイフによる傷跡を実際に目にすることに街の男は血眼になったが、しかし彼女は周囲の男どもを手玉に取りながら、結局は誰のものにもなろうとしなかった。


 そんなカルメン・シータが、突然に不可解な形で街から姿を消したのは、事件から五年も経った頃だった。その夜、いつものように上等なシェリーを呑みすぎた彼女は、

「今夜は、この辺にしておくわ。どなたか、あたしを家まで送ってくださる立派な紳士がいればいいのだけれどね?」

 と、得意の台詞と共に周囲の男どもに流し目を送った。


 ちょっとした諍いの末に、カルメン・シータに最も距離が近い男、を自称しているジェルジュという農場主が、今夜も彼女を送っていく栄誉にあずかることになった。

 彼は中古の高級フェートンを所持しており、つまりその快適な後席目当てに、彼女はジョルジュを指名することが多かった。要するにはお抱え運転手代わりであり、彼女が住む家の周りを囲む塀の門をくぐることすら、彼は一度も許されたことがなかった。


 ところが今夜に限っては、その家に近づくことさえなかった。帰り道の途中でカルメン・シータはなぜか突然、「駅に寄ってくださるわね?」と言い出して、訳がわからないまま「もちろんだよ」と答えたジェルジュは、素直にフェートンを郡部諸街区連接鉄道ディジーチェーンの駅舎の車寄せに横付けした。

 不可解なのは、そこからの展開だった。と言っても、目撃者はジェルジュ一人で、それが事実かどうか確かめようがなかったのだが。


 停車中の夜行列車から、黒いマントをまとった若い男がホームへと降り立った。

 カルメン・シータはその男の元へ駆け寄って、二言、三言、何かを告げる。その様子をいぶかしく思いつつ運転席から眺めていたジェルジュは、次の瞬間目を疑った。

 マントの男が、「Rotten organs腐ったはらわたが!」と叫んで思い切り彼女を蹴りつけたのだ。

 足蹴にされた彼女はホームに転がり、しかしすぐに起き上がると、列車へと戻った男を追って自分も列車の中へと消えた。ほぼ同時に機関車がモートルを唸らせて走り出し、列車は駅を出て行く。ジェルジュは阿呆のように、その情景を呆然と眺めるばかりだった。


 家に入れてもらえなかった恨みで、カルメン・シータを殺して埋めたのではないか、と彼は最初疑われた。そもそも「駅」とは言っても、寂れたこの街にやってくる列車などなく、つまり事実上の廃線なのである。しかし、

「そんな簡単に殺せる女なものかね!」

 というジェルジュの叫びに、皆はようやく、それもそうかと納得した。


 数年後、カルメン・シータの名前を耳にすることもすっかりなくなった街に、久々に彼女の消息につながる報せがもたらされた。

 準区セミウォード役場が発行している広報誌の一面に、「ワニブ鉱山会社社長夫妻、準区長を表敬訪問」という記事があり、そこに写っていた「夫妻」が、どう見てもあのカルメン・シータと、立派な髭をたくわえてはいたが、彼女を刺した警備官だったのである。

 間抜けなことに、その写真を目にして初めてジェルジュは、ホームで見た黒マントの男こそ、例の若い警備官、アザマ・カンティーニ本人だったことに気付いたのだった。


 全てを失ったカンティーニは、贋金造りの一味に雇われることになった。

 表向きはまっとうな鉱山会社だが、裏では認証外の液体通貨リキドマネーを闇で売りさばくというその会社で、彼はたちまちに頭角を現す。警備官崩れの彼が悪事に本腰を入れれば、これは強力である。

 ついに彼は、重役の座にまで上り詰めた。


 そこで彼が考えたのが、カルメン・シータへの復讐である。

 郡の名士となった彼は、密かに彼女に恋文を送った。僕は、これこれの高い地位に着いた。しかし、今でも君が忘れられぬ。専用の列車を仕立てて迎えに行くから、誰にでも内緒で駅まで来て欲しい、と。

 もしも、彼女が駅にやって来れば、さんざ罵倒して足蹴にしてやろう、というつもりだった。大悪人にしてはやることがせこいが、彼女を拉致して売り飛ばそうとは思わなかったのは、やはりまだ未練があったらしい。


 予想外にも、蹴られた彼女は彼を追って列車に乗り込んできた。

 実のところ、カルメン・シータもまた、彼を忘れられずにいたのだ。自分を愛するあまりに刺した男、これ以上の愛がこの世にあるだろうか。金属ナイフの痛々しい傷跡こそ、自分の勲章ではないのか、と。


 そういう訳で二人は夫婦となり、ハッピー・エンドというつまらぬことになった。劇的に始まり、平凡に終わる。現実というものは、歌劇のように面白くはないらしい。

(了)


[次回予告]

シティと世界にとって、有害な存在」だと、使者は常にそう言うだけだ。もし私の娘が生きていたなら、標的の少女と同じくらいの歳だったろう。しかしプロとして、私は仕事に赴く。

次回第31話、「与えられた眠り」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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