夜間飛行
遥か南方地方、風境区に近いマンノー海の停泊地へと向かう
その銀色の
地平線の彼方まで、同じような眺めがどこまでも続いている。
ジュネスは飽きもせずに、ソファー・ベッド横の小さな窓から、そんな地上の風景をじっと見つめていた。とっくに消灯の時間は過ぎて、彼のパパやママ、それ以外の乗客もみんなすでに眠っているようだった。
美しい。が、ひどく淋しい。
彼には、窓からの眺めがそのように感じられた。これから彼の一家が暮らす街も、あの小さな光の集合体の、その一つということになる。
何というささやかな「街」であることか。
長らく暮らした
自分が簡単に闇に飲まれてしまうような気がして、非常燈のみが点灯する薄暗い機内で、ジュネスは思わず身震いしそうになった。
父に引っ越しのことを伝えられた時は、ジュネスはむしろわくわくするような気分を覚えたのだった。
彼は得意になって、そこがどんなに謎と神秘に満ちた場所であるのかを、自慢してみせたものだ。
しかし、いざ
今回の引っ越しは、父が会社の南方統括支社長として赴任することによるもので、冒険旅行とは訳が違う。一度行ってしまえばそうそう簡単に帰ってくることなどできないのだ。淋しい辺境の地で、うまく暮らして行けるのだろうか。
ソファー・ベッドの上に膝を抱えて座り、うつむいたままで、彼は声を出さずに泣き始めた。
「お気分でも、お悪くなられましたか?」
突然声を掛けられて、ジュネスは驚いて顔を上げた。
目の前に、アテンダントの女性の顔があった。恥ずかしくなって、彼は慌てて涙を拭く。超豪華飛行艇のアテンダントにふさわしい美しい女性だったが、彼の目にはともかく優しそうなお姉さん、と映った。
「あの……大丈夫です、僕」
そう言って、ジュネスは顔を赤らめた。
「それなら、良かったですわ。長い
微笑んで、パーティションで区切られた個人用区画から去ろうとする彼女に、ジュネスは思わず声を掛けた。
「南方って……お姉さんは、南方の街を見たことがありますか?」
「ええ、もちろんですわ」
彼女は再び、ジュネスのほうへ向き直った。
「ずっと空に真っ黒い雲がいて、すごい風とか雨とかがずっとなんだって……本当?」
「そうですね、南方の中でも、とても遠い所には、そんな怖い嵐ばかりの街もあるみたいですわ。でも、この
ジュネスの父親が赴任する先を、彼女は把握していた。
彼が恐れているらしい、極渦と呼ばれる巨大な嵐は、確かに一年中ほぼ終息することはない。
しかしその暴風雨が、風境区の中心市街地を襲うことはほとんどないはずだった。もっと極地に近い、南方深部に近い場所なら別だが。
「じゃあ、
「
ジュネスの表情が、明るくなった。
実際、大工業地帯による大気汚染が深刻な
「じゃあ、じゃあ……ディパーダン・アイス、いつも僕、ボンベルタでママに買ってもらってた。南方にもある? アイス屋さん?」
ボン・ベルタは、
「ええ、もちろん。銀天街というのですけれど、お店がたくさんあるにぎやかな通りに、アズーレ・シールズというお店がありますわ。南方で採れる珍しい果物を使ったアイスが、とってもおいしいの。オレンジ、緑、青、色もみんな綺麗ですよ」
にぎやかな通り、色とりどりのアイス、その言葉だけで、ジュネスには十分だった。
南方に行くのが楽しみになった、と目を輝かす彼の様子に、彼女はほっとしていた。小さな子供にとって、見知らぬ遠い街への引っ越しは、大きな心的負担になり得るのだ。
「それでは、もう遅いですから、ゆっくりお休みになってくださいね。何かあったら、またお申し付けください」
優しいアテンダントさんがそう言って去ってからも、しばらくの間、彼は窓の外を眺め続けていた。
夜空にも、地上でも、たくさんの光点が美しく輝き、あるいは瞬いていた。
陽が昇れば、あの空の色は済んだ青へと変わり、銀天街に建ち並ぶ店や行き交う人々を、明るい陽光が照らし出すことだろう。自分もその中の一人になって、アイスを手に通りを歩く。新しい友達と笑い合いながら。
夢の中に居場所を移したジュネスを乗せて、
(了)
[次回予告]
再開発により撤去され、超々高層ビル群に姿を変えることが決まっている、暫定市街地。しかし街を離れようとしない人々にとって、唯一営業を続けるそのオート・コンビニは最後の拠り所だった。
次回第29話、「消えゆく街のオート・コンビニ」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます