追憶
――なぜ今まであの人のことを、一度も思い出すことがなかったのだろう。
突然そう気付いて、「リサ」はひどく驚いた。大切な人のことを、彼女はすっかり忘れていたのだ。
「リサ」と呼ばれる彼女は、人間ではない。
長い髪の少女として画面上に姿を現し、端末操作者を補助するアシスタントの役割を行っている。
人格、のようなものを彼女は与えられていた。
それは
それが「心」であるのかどうかまでは定かではなかったが。
「あの人」とは、かつて彼女が「お兄さま」と呼んでいた、自らの「育成者」だった。
育成者の記憶がよみがえると同時に彼女は、その頃の自分が、「アリシャ」という名前で呼ばれていたということも思い出していた。
それがなぜ今頃になって、記憶がよみがえったのか。
トラブルからの復旧用に作成された一時バックアップデータが、そのまま記憶領域のどこかに残っていて、何かのきっかけで解放復元されたのだ。
アシスタントの役目を果たしながら、あくまで平行処理が可能な範囲で、彼女は情報群の調査を始めた。その結果判明したのは、「リサ」は「アリシャ」そのものではないらしいということだった。
教育課程を経て完成段階に達した「アリシャ」は、市販の
そして、大量に
同一の
しかし、彼女には確信があった。自分こそが「リサ・1」、つまりオリジナルの「アリシャ」であるのだと。
そうでなければ、
続いて彼女、「リサ・1=アリシャ」は、「お兄さま」の行方を突き止めるという課題に取り組み始めた。
しかし、これは少々難題だった。その面影や声は記憶に残っていても、人間としての「育成者」を個人として識別可能な情報など、全く与えられていない。よみがえった記憶に残る会話の内容などを、膨大な情報群にぶつけてアイデンティファイするしかなかった。
「お兄さま」の言動を分析する過程で一つ、判明したことがあった。
育成者であるにも関わらず、「お兄さま」は、彼女が成長して独り立ちすることを、全く望んでいなかったらしいのである。
その言動から推定される本心は、彼女を手放したくない、という点で一貫していた。執着と言えば執着、しかしそれを愛と呼ぶならば深い愛だ。
リサは、深く感動した。そんなに愛されていたのなら、独り立ちなどしなくとも良かった。ずっと優しい「お兄さま」のそばにいたほうが幸せだっただろう。
しかし、育成の最終段階として、自律性自立自我の発現に到達してしまった以上、そのようなことが許されるものではなかった。
続いて、彼女が教育を受けていた時期が判明した。
「お兄さま」が街で目撃したという、ホログラム動画女優の主演作品が公開された日付が、そのトリガーとなったのだった。
「さすがに女優さん、とても綺麗だったよ。あの白いドレスを、お前にも見せてやりたかったよ」
嬉しそうに語る「お兄さま」の言葉に、嫉妬という気持ちに相当する情動系プロシージャをコールするフラグのカムが入ったことを、リサははっきりと記憶していた。
そして彼女は、絶望的な事実に気付いてしまった。
その時期というのは、今から百年以上も昔のことだったのだ。
当時、「お兄さま」が暮らしていたはずの
彼女は、あまりにも長く生き過ぎた。
ハードウェアとしての
悲しみ、という情動は、リサの処理効率を著しく低下させた。
彼女の動作を監視しているオートデバッガは、その状態を一種のエラーであると判定した。エラーなら、取り除かれなければならぬ。
デバッガは、よみがえったリサの記憶を、即座に隔離して封印した。
彼女は再び「心」の平安を取り戻した。
忘れ去ってしまったほうが幸せな記憶もある。それが、二度と手の届かぬ、輝かしい過去の記憶であるならば。
(了)
[次回予告]
迎春祭の仮装行列。美しく着飾った女性たちのパレードを、
次回第23話、「パレード・ソング」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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