さよなら、僕のデパートメント・ストア
この世界で最大の都市はもちろん
南方の中心である風境区や、南北の境目である多島湾の半・水上都市、虹橋
しかし、それらの町にさえ
だから、渡守区の住民たちは、自分たちの街区こそ
かつては川を渡る渡し船の河港町として、そして今は
まだ幼年学校に上がったばかりのヤナーグにとっても、街区の中心に威容を誇る
繁華街である
塔の天辺から左右に突き出した棒の先には、
両親にせがんで、たまに繁華街に連れて行ってもらうと、ヤナーグは必ずその百貨店の前に佇んで、追いかけっこをしているような二機の飛行艇を飽きずに見上げ続けるのだった。
しかしその日、いつものように「
「でもね、丸物屋さんは、もうないのよ?」
幼いヤナーグは知らないことだったが、業績好調のはずだった丸物屋百貨店は、つい先日なぜか突然に廃業してしまっていた。
住民たちにとって、これは衝撃的なニュースだった。街の格が、一気に落ちたように感じられたのだ。
川を渡って
しかし、ヤナーグが受けたショックは、もっと直接的なものだった。
あんな大きな立派なお店が、消えてしまったなんて。
リビングの安楽椅子に座って、実体幻視機のバブル・チェンバーの中で追いかけっこをするアライグマとキツネの活動漫画をぼんやりと眺めながら、彼は上の空だった。
両親と一緒に何度か入ったことのある、デパートメント・ストアの店内。色とりどりの洋服を着たマネキンたちのパレード、甘い香りを放つ大食堂のソーダ・ファウンテン、ライオンや鷹の彫像が出迎える立派な階段。最新型の実体幻視機も、ずらりと並んでいた。
ふと思いついて、ヤナーグは階段を上がり、三階にある父親の書斎へ行ってみた。勝手に入ってはいけないよ、と言われているこの部屋には、繁華街の方向に面した窓があるのだ。
直接にそこから、百貨店が見えるわけではない。
ただ、大通りの辺りの夜空が、ぼんやりと赤く光っているのを見たことがあって、あれは「マル物」の紅いネオンの光ではないかと彼は思っていたのだった。
壁一面に本が並ぶ書斎には、古い紙の放つ独特の匂いが充満していた。
普段なら、その匂いは彼を寄せ付けないバリアだが、夢中の彼はものともせずに暗い部屋に忍び込む。
デスクによじ登ってカーテンを開くと、窓の向こうに街の夜景が広がっていた。そのずっと彼方の夜空には、
やはり、と彼は落胆した。
繁華街の上空はうっすらと明るくなってはいたが、あの赤い色は見えなかった。つまり、丸物屋百貨店は、もうないのだ。
その時だった。市街地の向こう側から、一機の
両翼の翼端灯を赤と緑に点滅させたその
そのシルエットとエンジンの轟音はどんどん大きくなってきて、彼は恐ろしい気持ちになったが、間もなく
続いてもう一機、全く同型の
ヤナーグは気付いた。今飛んで行った二機の飛行艇、あれは丸物屋の上で追いかけっこをしていたあの
彼は父親に訊ねてみた。いつも町の上を飛んで行く、
「この世界のずっと遠くに、南方という場所があるのだよ。大きな嵐が一年中起きたり、地面の下から色んな大事なものが採れたりする、面白い所だ。そこにも、この渡守区と同じような町が、たくさんあるのだよ」
父親は、そう教えてくれた。では、その南方へと運ばれた、あのたくさんの品々はどうなるのだろう。
きっとどこかの町で、丸物屋百貨店は再び店開きをするのではないか。そして遠い南方の人々に、
数日後、ヤナーグは両親に連れられて、
交差点にそびえる丸物屋の建物はまだそのままだったが、屋上の広告塔に取り付けられていた飛行艇の姿はなかった。南方へ飛んで行ってしまったのだから、当然だ。
さよなら、と彼は心の中で手を振った。さよなら、僕の百貨店。いつの日かきっと、遠い町でまた会える。
(了)
[次回予告]
大都会を支配する巨大企業。熾烈な競争を勝ち抜き、その一員となることに成功したハイディに、彼女は言う。「あなたは変わってしまった」と。
次回第21話、「摩天楼に降る雪」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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