街角の取り立て
予定の時間よりも少し早く、私は目指すカフェーに到着することが出来た。
林立するオフィスビルの間を、勤め人の群れが流れて行く。
天然レンガ舗装の路面に街路樹の枯れ葉が舞い落ちて、季節感のないこの大都会にしては珍しく、晩秋の雰囲気が色濃く立ち込めていた。
窓際の席に陣取った私は、普段はまず読まないタブロイド判の業界紙を広げた。一部を切り取って、覗き穴が開けてある。そんなことまでする必要はないのだが、念の為だ。
フリーの
しかし、αランク程度の資格しか持たないありふれたPIAがフリーでやっていくとなると、依頼の選り好みなどしていられなかった。
覗き穴越しに監視を続けるうちに、写真で見慣れた目標の人物が通りの向こうに姿を現した。私は慌てて、店を飛び出す。
「コーネルさん、ですね?」
灰色のバーバリアル・ギャルソン・コートを着た細身の男が、ゆっくりと振り返った。
さらさらとした長めの髪に、整った顔。ブルーのサングラスをかけたその表情は「ニュートラル」で、そこからは何の感情も読み取れない。むしろ硬い無表情であれば、そこから判断できるものもあるのだが。
「何か、ご用でしょうか?」
と男は、落ち着いた低い声で言った。その声からも、不審に思う気持ちや警戒感、逆に好奇心など、あらゆる感情が除去されているようだった。
これは厄介だ、そう思いながらも私は、使命を遂行しようとした。
「パティスリー・ゴートからの依頼を受けたものです。コーネルさん、あなた、『絶品モンブラン』のツケが随分溜まっているでしょう。食べに食べて、三十二個分も」
「ああ、なんだ」
何かのバリアが解除されたかのように、コーネルの声と表情に感情が戻った。
「というかゴートのおやじ、そんな取り立てをなぜわざわざ人に頼むんだ。店に行った時に、直接言えばいいではないか、私に」
私も、そこは不思議に思っていたのだった。
「店で催促しても、うまく言いくるめられて代金を取り損なうので困っているのだ、と」
「そうか、それは悪いことをしたな。関係性操作で支払いをどこまで引き延ばせるものか、軽い腕試しくらいのつもりだったんだが」
ここで私は気付いた。このコーネルという男、私と同じ
「大丈夫だ、金がないわけじゃないよ。あのモンブランは確かに絶品だ。今度、ちゃんと払うさ。そんなことよりも」
コーネルはサングラスを外し、私を見た。
「君も、PIAだね? デザート代の取り立てくらいじゃ、大した売り上げにならないだろう。ちょうどいい。助手を探していたところなのだよ、このゼロ・コーネルが」
男は親指で、自分の胸を指さした。
しかし、私は彼が何者なのか知らない。同業だということさえ、気付いたばかりなのだ。先ほどの感情表現中和の見事さからすれば上級資格なのだろうが、ならば私のそんな困惑ぶりなど簡単に読み取れるはずなのだ。
「はい、あの、どうも。それはともかく、モンブランの代金をですね」
愚直に依頼をこなす、という現実的ポジションから私は動かない。
コーネルとしては、
こいつ、この私を知らないのか、という表情をコーネルは露骨に浮かべた。動揺しているのは、むしろあちらのほうではないか。
「私の折角の提案も、君には無駄なようだね。そんなに大事かね、ケーキの代金が」
渋い顔をしながら、彼は銀色に輝く小箱をポケットから取り出した。
勝った、そう思った私にコーネルが差し出したのは、親指ほどの大きさのガラス容器だった。中には、青い光を放つ液体。それはアンプル・ウォレット、
「仕方ない。ここから代金を
極めて貴重な
しかし、液体通貨の利用が主流となっているのはあくまで南方地方だ。
「そう言われても……
私は慌てた。液体通貨を引き出すには、専用のスロットを備えた封印容器が必要だ。
「金属コインなど、あんな重いものを、私は決して持ち歩かない。事前に調べておけば分かることだ。取り立てをしようというのなら、相応の準備をしておくべきだよ。違うかね?」
引き下がるしかなかった。舞い散る木の葉の中、レンガ敷きの通りを遠ざかる奴の後姿を、私は情けない思いで見送った。ケーキ代のツケを溜めるような男に、説教されるとは。
考えてみれば、こんな風に扱いの難しい液体通貨しか持ち歩かないというのでは、不便でまともに生活できるわけがない。その時の私は、そんなことにも気付かなかった。
後で分かったが、奴が言ったことは丸っきり嘘なのだった。それを知った時の、悔しかったこと。
奴は結局ケーキ屋のレジで、普通に金属コインで代金を支払ったということだ。
(了)
[次回予告]
繁華街の大通りに出るたび見上げた、
次回第20話「さよなら、僕のデパートメント・ストア」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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