誕生日の惨劇

「θ77地区の悲劇」。歴史に残るその大惨事は、高度集積地区コア・エリアの拡張工事中に発生した。建設中だった超々高層ビルが、破滅的な倒壊事故を起こしたのである。

 戦争アトミック後の世界で唯一最大の都市であるシティの、まさに中心部で起きた惨事だった。


 二百五十五階建てのビルの全高は、送受光塔部分まで含めて約一千メートル。それが、完成間近なところで、横倒しに倒れてしまったのだ。基礎部分の設計に、致命的なミスがあったのが原因だったとされる。

 超々高層ビルが倒れた下には再開発を控えた暫定市街地があり、しかしまだ居住廃止はされていなかった。つまり、多くの住民が暮らしていたわけだ。その頭上に一キロ近い全長の、巨大な構造物が降ってきたのである。


 街路アヴェニュー一つ分に相当する市街地が、瞬時に壊滅した。死者の数は数千に達したと言われる。

 この大都会メトロポリスの事実上の支配者オーナーである羽ケ淵本社は、傘下のシティ当局に命じて、全ての超々高層ビルの建設を中止させた。

 しかし、事故の責任追及については、羽ケ淵内部の査問会による処罰のみにとどまり、シティ当局や十五条委員会コートによる強制捜査が行われることもなかった。それが、この世界の現実なのだ。


 信じがたい惨事であり、もしも特別な関わりがなかったとしても、カレスは心を痛めただろうし、当局への怒りを覚えただろう。

 しかし彼は、ビルの下敷きになったその街に、特別な関わりを持っていた。

 婚約者フィアンセであるクエナ・ヴェラーノの住まい、そして勤め先がそこにあったのだ。


 南北幹線アーティリアル沿いの衣料市場クローズ・ウェアハウスで働くカレスは、店内で流されていた音声ラジオ放送のニュースで、「θ77地区の悲劇」を知った。晴れた空に轟いた先ほどの雷鳴、その正体。

 今日はクエナの誕生日だったのだが、どうしても深夜までの勤務シフトが入ってしまったということで、明日にお祝いをする予定になっていた。

 つまり、彼女は確実に事故現場にいるのだ。彼が叫んだクエナの名は、近隣の店舗にまで聞こえたという。


 先輩のくろがね三輪に乗せてもらい、すぐに現地へ駆けつけた。舞い上がった砂塵で、市内一帯は夕闇のような暗さだ。

 地区の境界付近では、電気銃で武装した威力警備官がずらりと並んで、非常線を張っていた。空から舞う大量の灰や砂塵で、紺色の制服がみな真っ白になっている。


「お願いです、通してください。婚約者フィアンセがいるのです」

 カレスの叫びに、警備官たちの無表情が僅かに崩れた。その一人が、口を開く。

「お気の毒だが……。この先は、極めて危険な状況です。生存者の救出については、我々が責任をもって行います。どうか、退去を」


 しかしそんな言葉を、冷静に聞けるような状態ではない。

「すぐ、その先の街なんだ、クエナがいる、ベーカリーカフェが」

 彼が指さした先に、しかし街など無かった。良く分からない、黒い山脈のようなものが横たわるばかりだった。

「人工地盤が、崩壊しているのです。この先では、まともに歩くこともできない。あなたの婚約者フィアンセは、必ず我々が救出しますから」

 先ほどとは別の警備官が、宥めるように言った。地盤が崩壊。そんな状態で、どうやって救出するというのか。


 気休めを言うな、と怒鳴る代わりに、僕はその場に座り込んだ。クエナが無事に姿を現すまで、せめてこの場所に。警備官たちは、何も言わなかった。

 本物の夕闇が近付いてきても、事態の進展はなかった。カレスは、真っ暗な天を仰ぐ。ビルが崩れ落ちてきたという、恐ろしい空を。


「カレス」

 聞きなれた声が、背後で彼の名を呼んだ。弾かれたように、彼は振り返る。そこには、生還を願い続けたクエナの姿があった。

「クエナ……クエナ! 無事だったんだね。君は、あの事故に……」

 彼女に飛びつこうとして、カレスは足を止めた。妙に着飾ったクエナの隣に、見慣れぬ男が立っていたからだ。

 高級そうな三つ揃いのスーツを着た男は、まるで憐れむような眼をして、彼のことをじっと見ていた。


「今日は……君は仕事で」

「ごめんなさい。わたし……。明日、ちゃんとあなたに伝えるつもりだったの」

 クエナのほおを、涙が伝った。彼女の薬指には、彼が贈ったのとは違うリングが光っている。それ以上の説明は不要だった。


 この男が。こいつがクエナを連れ出していなければ、彼女は命を落としていたかもしれない。これで、良いのだ。

「彼女のこと、よろしくお願いします」

 彼は、その男に頭を下げた。

「無事で良かったよ……幸せにね」

 彼女に手を振り、カレスは二人に背を向けて、歩き始めた。背後の大惨事など、もう僕には関係ない。そう思った。


 θ77地区の暫定市街地は、崩壊した人工地盤ごと全て撤去されて、再開発に向けて更地とされた。生き残った住民は、田園都市街区ガーデン・シティーに仮設された居住カプセル群へと移り住んだ。


 その新たな居住地区に、あのカレスの姿があった。店で集めた古着を彼なりのセンスでセレクトして、被災した人たちに配るという活動を始めていたのだ。彼女が住んだ街で起きた惨劇。やはりどうしても他人事とは思えなかった。今は高度集積地区コア・エリアで暮らす彼女と、もう会うことは無かったが。


 住民たちは喜び、彼に感謝した。ほんの小さな幸福が、大きな悲しみを少しずつ埋めて行く。彼の心の中で起きた惨劇、その傷もいつかは癒されるのだろう。それは、ずっと先のことになるのかも知れなかったけれども。

(了)


[次回予告]

 怪しげな劇場主の親父に出演依頼を受けて、辺境の街へとやってきた歌姫。駅を降りた彼女の目の前には、遥か下方の街へと続く、長い長い階段が続いていた。

次回第17話「駆け降りる歌姫」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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