誕生日の惨劇
「θ77地区の悲劇」。歴史に残るその大惨事は、
二百五十五階建てのビルの全高は、送受光塔部分まで含めて約一千メートル。それが、完成間近なところで、横倒しに倒れてしまったのだ。基礎部分の設計に、致命的なミスがあったのが原因だったとされる。
超々高層ビルが倒れた下には再開発を控えた暫定市街地があり、しかしまだ居住廃止はされていなかった。つまり、多くの住民が暮らしていたわけだ。その頭上に一キロ近い全長の、巨大な構造物が降ってきたのである。
この
しかし、事故の責任追及については、羽ケ淵内部の査問会による処罰のみにとどまり、
信じがたい惨事であり、もしも特別な関わりがなかったとしても、カレスは心を痛めただろうし、当局への怒りを覚えただろう。
しかし彼は、ビルの下敷きになったその街に、特別な関わりを持っていた。
今日はクエナの誕生日だったのだが、どうしても深夜までの勤務シフトが入ってしまったということで、明日にお祝いをする予定になっていた。
つまり、彼女は確実に事故現場にいるのだ。彼が叫んだクエナの名は、近隣の店舗にまで聞こえたという。
先輩のくろがね三輪に乗せてもらい、すぐに現地へ駆けつけた。舞い上がった砂塵で、市内一帯は夕闇のような暗さだ。
地区の境界付近では、電気銃で武装した威力警備官がずらりと並んで、非常線を張っていた。空から舞う大量の灰や砂塵で、紺色の制服がみな真っ白になっている。
「お願いです、通してください。
カレスの叫びに、警備官たちの無表情が僅かに崩れた。その一人が、口を開く。
「お気の毒だが……。この先は、極めて危険な状況です。生存者の救出については、我々が責任をもって行います。どうか、退去を」
しかしそんな言葉を、冷静に聞けるような状態ではない。
「すぐ、その先の街なんだ、クエナがいる、ベーカリーカフェが」
彼が指さした先に、しかし街など無かった。良く分からない、黒い山脈のようなものが横たわるばかりだった。
「人工地盤が、崩壊しているのです。この先では、まともに歩くこともできない。あなたの
先ほどとは別の警備官が、宥めるように言った。地盤が崩壊。そんな状態で、どうやって救出するというのか。
気休めを言うな、と怒鳴る代わりに、僕はその場に座り込んだ。クエナが無事に姿を現すまで、せめてこの場所に。警備官たちは、何も言わなかった。
本物の夕闇が近付いてきても、事態の進展はなかった。カレスは、真っ暗な天を仰ぐ。ビルが崩れ落ちてきたという、恐ろしい空を。
「カレス」
聞きなれた声が、背後で彼の名を呼んだ。弾かれたように、彼は振り返る。そこには、生還を願い続けたクエナの姿があった。
「クエナ……クエナ! 無事だったんだね。君は、あの事故に……」
彼女に飛びつこうとして、カレスは足を止めた。妙に着飾ったクエナの隣に、見慣れぬ男が立っていたからだ。
高級そうな三つ揃いのスーツを着た男は、まるで憐れむような眼をして、彼のことをじっと見ていた。
「今日は……君は仕事で」
「ごめんなさい。わたし……。明日、ちゃんとあなたに伝えるつもりだったの」
クエナのほおを、涙が伝った。彼女の薬指には、彼が贈ったのとは違うリングが光っている。それ以上の説明は不要だった。
この男が。こいつがクエナを連れ出していなければ、彼女は命を落としていたかもしれない。これで、良いのだ。
「彼女のこと、よろしくお願いします」
彼は、その男に頭を下げた。
「無事で良かったよ……幸せにね」
彼女に手を振り、カレスは二人に背を向けて、歩き始めた。背後の大惨事など、もう僕には関係ない。そう思った。
θ77地区の暫定市街地は、崩壊した人工地盤ごと全て撤去されて、再開発に向けて更地とされた。生き残った住民は、
その新たな居住地区に、あのカレスの姿があった。店で集めた古着を彼なりのセンスでセレクトして、被災した人たちに配るという活動を始めていたのだ。彼女が住んだ街で起きた惨劇。やはりどうしても他人事とは思えなかった。今は
住民たちは喜び、彼に感謝した。ほんの小さな幸福が、大きな悲しみを少しずつ埋めて行く。彼の心の中で起きた惨劇、その傷もいつかは癒されるのだろう。それは、ずっと先のことになるのかも知れなかったけれども。
(了)
[次回予告]
怪しげな劇場主の親父に出演依頼を受けて、辺境の街へとやってきた歌姫。駅を降りた彼女の目の前には、遥か下方の街へと続く、長い長い階段が続いていた。
次回第17話「駆け降りる歌姫」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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