棄てられた街の灯り

 やれやれ、ようやくシティに着いた。

 遥か前方に、市街地のシルエットを見つけたヴェンターは、ため息をついた。

 長い旅だった。まだ若く金のない彼は、鉄道も自走車も使わずに、ただひたすら街道ハイウェイを歩いてきたのだ。


 しかし、街が近付いて来るにつれて、その様子がどうもおかしいということに彼は気付いた。高いフェンスに囲まれた低層のビル群には、人の気配が全くない。

 街のすぐ近くまで来たところで、ヴェンターはその理由を悟った。フェンスには、「都市廃棄物処理センター」という文字があったのだ。

 都市の墓場タウン・グレーブとも呼ばれるこの場所は、廃止された暫定市街地の廃棄場だった。


 いずれは高度集積地区コア・エリアの一部として再開発される前提で、それまでの間に限って居住を認められている、暫定市街地。人工地盤ブロックを地面にいくつも並べる、という形で造られているその町の最後は、あっけない。

 建物を載せたままの人工地盤ブロックをタウン・グレーブへと移動させて、そこでそのまま解体してしまうのだ。解体後の資材は、高度集積地区コア・エリアに新しいビルを作る材料として再利用される。


 ここからシティまでは、まだ何ファーレンもの距離があるはずだった。

 落胆しつつも、ヴェンターは気を取り直して、目の前に横たわる無人の都市、つまりは解体を待っている人工地盤ブロックの一つを見渡す。


 そこはかつての商業地区ブロックだったらしく、ビルの屋上や壁面には、ネオン看板がいくつも並んでいた。光を失った今でも、色とりどりに輝いていた様子が想像できる。いずれ破棄される前提で造られたとは思えないほどの、立派な街だった。

 群部諸街区カウンティの各地に、これほどの規模の繁華街が果たしていくつ存在するだろう。あらゆる面で、シティは突出して大規模な都市なのだ。


 縦横のグリッド状に、いくつも並べられた人工地盤ブロックの間をヴェンターは歩き続けた。解体前の市街地はどこも元の姿そのままだったが、どんなに目を凝らしてみても、人影が見つかることは決してなかった。

 どんなに歩いても延々と無人の市街地が続く風景はあまりに異様で、北方の荒野を何日も一人で歩いた時に比べても、はるかに重い孤独感が彼の心にのしかかっていた。太陽が沈もうとしていたが、この街に灯が点ることは決してないのだ。


 前方に彼女の姿を見つけた時、孤独のあまり妄想が見えるようになったか、とヴェンターはぎくりとした。

 べトン舗装された白っぽい路面の上に立つ、すらりとした姿。体の線がはっきりと分かる、足元にスリットが入った紫色のワンピースの上から、明るいパープルのレース生地をまとっている。

 妙に妖艶なその姿は、周囲の風景とはあまりにもギャップがあり、彼が妄想かと思ったのも無理なかった。何か普通ではないものが感じられる。


 軽く会釈をしただけで、ヴェンターは黙って女性の横を通り過ぎようとした。しかし、彼女のほうから彼に声を掛けてきた。

「もしかして、あなたも?」

 そう言われて、彼は戸惑ったように振り返った。あなたも? 何のことだ。

「何か、僕にご用ですか?」

 警戒する気持ちが、声に出てしまう。

「いえ……ごめんなさい。もしかしたら、私と同じような思いでここを訪れた人なのじゃないかって、そんな気がしてしまって」

 彼女は寂し気に微笑んだ。ヴェンターよりも、いくらか年上のようだった。


「たまたま通りがかったのです、僕は。あなたは、わざわざこんな所へ?」

 関わらないほうが良い、と思いつつ、彼はつい訊ねてしまう。

「ええ。だって、あれが」

 彼女は、フェンスの向こう側を指さした。五階建てくらいのアパートがそこにあった。もちろん、窓に灯りはない。

「家があったの。私と、彼の暮らした部屋が。彼が一生を終えた場所でもあるの、ここは」

「そうですか」

 としか、ヴェンターには言えなかった。この女性がこんな服装なのも、その彼との想い出に何か関係があるのかも知れない。そんな重い話に、うかつに何か言えるものではない。


「それでは、僕は先を急ぎますので」

 頭を下げて、彼は歩き出す。しかし彼女は行く手を遮るように、彼の右足の前に立った。

「どちらまで?」

シティを目指して旅をしているのです、僕は」

「それはいけないわ、もう日が暮れてしまいます。まだまだシティまでは遠いのです。真っ暗闇の中を歩くことになってしまうわ。出発は明日の朝にされてはいかが?」

「しかし、こんな場所にいたところで……」

 無意識に後ずさりしながら、彼は周囲を見回した。夕闇の底に重く沈む、廃墟の群れ。


「大丈夫よ。私たちの部屋にいらっしゃい。朝まで、一緒に過ごしましょうよ」

 彼女はヴェンターにしなだれかかり、彼の耳元でそうささやいた。

 途端に、あの廃アパートの一室に灯が点った。誰かの黒い影が、曇りガラスの窓に映る。無人の、廃墟の窓に。

 ヴェンターは訳の分からない声を上げ、彼女を突き飛ばすようにして、走り出した。


 無我夢中でタウン・グレーブを駆け抜け、月や星の灯りを頼りに街道ハイウェイを歩き続けるうちに、彼方に摩天楼の灯りが見えてきた。今度こそ、本物のシティだった。


 後になって彼は、あの女性が「マダム・パープル」と呼ばれる有名な存在であることを知った。タウン・グレーブ唯一の住人。ただしあくまで、実在の確認されていない、噂の中の人物。

 彼女を見た、という人は何人もいたが、そこは誰も住むことを許されないはずの場所なのだ。

 侵入者を撃退するために特別に住み込んでいるのだ、という説もあったが、やり方が回りくどすぎる。もちろん当局も完全否定していた。


 事実は分からない。ただ彼は、耳元に感じた彼女の吐息の感触をどうしても忘れることができなかった。

 もう一度、彼女に会ってみたい。

 心の奥にあるそんな思いこそが、彼自身にとって、実は一番恐ろしいものなのだった。

(了)



[次回予告]

 倒壊した超々高層ビルの下敷きになった街には、人々の普通の暮らしがあった。カレスの婚約者、ちょうど誕生日を迎えた彼女もまた、そこに暮らしていた。

次回第16話「誕生日の惨劇」。

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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