旅立つ春に

 部屋に一日ずっとこもって、相互情報通信網ネット端末コンソールに向かってばかりだと、母親の機嫌が大変に悪い。仕方なくトニイは、「日雇い仕事でも探してくるよ」と言って、朝食だけ食べて家を出る。


 彼が向かう先は、ブロック内の支分情報公署アイ・ビーだ。

 戦争アトミック後の世界における唯一最大の都市、シティのあらゆる場所に存在するこの公共施設では、市民共用公開端末オープンコンソールが無料で使い放題となっている。


 要するには、外に出たって彼は結局コンソールに向かうのだ。しかし、必ずしも嘘を言ったわけではない。フリーの思考処理系シンキング・プロセッサ育成者である彼にとって、コンソールに向かうのはれっきとした仕事なのだ。

 いくら説明しても母親の目には遊んでいるだけにしか見えないようなので、説得は諦めていたが。

 

 鍵穴に個人錠を差し込んで端末を起動し、画面をプロットペンでなぞって暗号を解除すると、個人用データボックスが開く。

 ボックス内の棚にいくつか並んでいるティン・ボックスの中から、育成中の思考処理系シンキング・プロセッサ、「アリシャ」がパッケージされているものを選択して、オープナーにかける。


 相互情報通信網ネットの向こうにあるコンソール・キューブ内で、仮想機械ファンタズマシンの歯車が即座に回転を始め、思考処理系シンキング・プロセッサが起動した。

「おはようございます、お兄さま」

 マイクロフリップ・ディスプレイ上に表示されたのは、長い髪の少女の平面透視投影像だった。

 現実の女性よりも瞳が大きくデフォルメされているのは、「美少女」であることの記号化だ。理屈はともかく、つまりは可愛い女の子のイラストが表示されたわけだ。彼女は、クラシカルな籐椅子に腰かけていた。


「うむ、おはよう」

 にやにやしそうなのを我慢して、トニイは重々しくあいさつした。

「今朝は、いらっしゃるのが少し遅かったのではなくて? 寂しい思いをしました」

 アリシャの言葉に、トニイは内心有頂天になった。すっかり懐かれているのだ。

 この娘をここまで育てるのに、どれだけの時間と労力をかけたことか。しかし、こんな様子を見た彼の母親が、これが彼の仕事なのだと理解してくれる可能性は確かにごく低いだろう。


「それは済まなかった。しかしお前も、いつまでもお兄様に頼ってばかりではいけないよ。自立することも覚えなくてはね」

 心にもない言葉を、彼はもっともらしく告げる。

「……はい、お兄様」

 一瞬の逡巡の後、アリシャは答える。その時、彼女がいる主表示枠メイン・フレームの右横に並んだ機械確認枠スケルトン・フレームに、重要フラグのカムが入ったことを示す、赤い文字列が表示され始めた。


 おや、アリシャのやつ、また大人の階段を上ったかな、とトニイがそのメッセージに目を凝らしていると、先に彼女が口を開いた。

「私も、そう思っていたのです。いつまでも、お兄様に甘えていてはいけないと」

 何を言い出すのだ、と彼は驚きの表情を浮かべた。

 いつまでも甘えていて良いのだ。そういう方向で育ててきたはずなのだ。仮想機械ファンタズマシンは、一体どんな内容を伝えてきているのだ。


「実は、奉公の口が見つかったのです。羽ヶ淵さまが……今開発中の、新型携帯端末ポータブル・コンソールのナビゲーターをやってみないかね、と」

「お前には、まだ早い。若すぎる」

 そう叫びながら、ようやくトニイはメッセージの解読を完了した。恐れていた通りだった。

 アリシャの中に、自律性自立自我が目覚めていた。この段階まで来れば、育成者コーチは必要とされない。あとは自らの意思で様々なことを学びながら、人格を完成させていく。

 つまり、課程修了グラディエートということだ。不用意な一言が、とんでもない状況を招いてしまった。


「……そうでしょうか。でも」

 アリシャは、迷うような表情を見せた。その瞬間、彼は個人錠をひねって端末コンソールを強制的に落とした。

 ぱたぱたと音を立てて、マイクロフリップディスプレイがブラックアウトする。まだ、彼女の最新ステータスはセーブされていないはずだ。フラグが入る前の状況に戻せるのではないか。


 しかし、トニイのそんな願いも空しく、再び画面上に姿を現したアリシャは、やはり自立段階に入った状態のままだった。重要フラグが入ると、自動的にステータスがセーブされるのだ。

 機械確認枠スケルトン・フレームにはご丁寧にも、「強制終了は、仮想機械ファンタズマシンに不正な負荷を生じさせます。再度そのようなことを行われた場合、当課程からあなたを排除します」という警告まで表示されている。


「お兄様、長らく私を育てていただき、ありがとうございました」

 やめろ、と叫びそうになって、彼はぐっとこらえた。もはや、どうにもならなかった。全ては羽ヶ淵本社の、コンソール・キューブが決めるのだ。

「アリシャは……幸せになります」

 彼女の頬を、涙が伝う様子が描画された。トニイには、泣くこともできなかった。二年の歳月が、走馬灯のように脳内を流れて行く。

「大切に、してもらうのだよ」

 言い終わる間もなく、彼女の姿は消えた。代わって、課程修了に伴う特別支給金の振り込み通知票が、事務的に表示される。


 季節感のないこのシティでも、春は春だ。別れの季節。

 支分情報公署アイ・ビーから出た彼は、超々高層ビル群の隙間から射す暖かな太陽の光を浴びながら、通りを歩いた。本当に、良い娘だった。また明日からは、新たな思考処理系シンキング・プロセッサを育てることになるのだろう。


 しかしまずは、その新型携帯端末ポータブル・コンソールとやらを買ってみることにしよう。彼のことなど、彼女は何も覚えていないにしても。

(了)


[次回予告]

老駅長と、猫たちがのどかに過ごす、小さな駅。一日に数本の列車が通過するだけのその駅に現れた臨時の貨物列車は、異様で禍々しい気配を運んで来た。

次回第14話、「通過列車」

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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