空へ続く階梯《ラダー》
「先生怒らないから、学校にこれを持って来た人は正直に手を挙げなさい」
というミス・フラワーロードの目はすっかり吊り上がっていて、いやどう見てもすでにかなり怒っているでしょあんた、と窮屈な紺の
「こんなものに頼って答えを出しても、何にもなりません。愚かなことです。馬鹿です」
教壇で甲高い声を上げる彼女の手の中にあるのは、金属棒の先に短い円筒がついたような形の、
この円筒部分に、解くべき数式に合わせて磁性活字を組んで作った
電源の要らない簡便な計算機として、
巨大都市、
相当に裕福な家庭の子弟でもなければ、高額な学費が必要な、こんな学校に通うことなどできないからだ。
ほとんどの生徒が結果的に、この
アマーレの父親も羽ヶ淵傘下にある化学会社の取締役工場長だったが、専務でも常務でもないただの取締役というのでは、どうも格が落ちる。
周囲の生徒と比べてしまうと、無理に背伸びして上流階層に割り込んできた感が否定できなかった。
「はい。俺ですが、何か」
しかし、一人の生徒が手を挙げた。やっぱりね、とアマーレは内心うなずく。
倍率一千倍の救貧奨学試験を突破して入ってきたという、リュージという男だ。
あちこち継ぎだらけ、裾もボロボロの
「……この授業の目的は、答えを出すことではなく、考え方を理解することです。こういう道具に頼っては、意味がありませんよ」
「でもフラワーロード先生、
彼女は、答えに窮した。こんな原始的な機械の使い方など知らない。
「とにかく、計算補助装置は禁止と学則に書いてあります。
「学則には、アバカスしか列挙されてなかったように思いますが……。指示なら、従います。申し訳ありませんでした」
リュージは立ち上がり、深々と頭を下げた。先生は、ばつの悪そうな顔でうなずく。
あの「ヒステリー」フラワーロードに一泡吹かせたわけだ。実際の所、超難関の試験を突破してきたリュージに、この学校の教師程度では誰一人として敵う訳はなかった。
「やるじゃない、あんた。わざとでしょ、あんなもの持ち込んで」
教室外の通路で佇んでいたリュージに、アマーレは話しかけた。
「まあな。
彼は、窓の向こうを流れる雲を見つめていた。高層ビルの百十四階、もはやここは青空の真っただ中だ。
「ま、要するにゃ、あんたらお嬢さん方の箔付けのためにあるような学校だもんな」
「誰がお嬢さんよ。あたしなんかね、」
「親父さん、羽ヶ淵の人間なんだろ? 十分偉いさんだよ、俺ら庶民から見りゃ」
そうは言いながらも、リュージの表情には親しみが感じられた。
全くの別人種として、校内では敬して遠ざけられている彼だが、家の格の低さからみんなに軽んじられているアマーレが、多少は同類に思えるのだろう。
「まあ、いいさ。ここで我慢すれば、次は
空の彼方に霞む超々高層ビルを、彼は見上げた。羽ヶ淵本社、セントラルタワー。
「あんた、やっぱり面白いわ。ねえ、それうまく行ったら、嫁に行ったげるよ、あたし」
「あ?」
リュージの鋭い目が、珍しく丸くなった。浅黒い顔が、赤みを帯びているようだ。
「お前……まさか、俺のこと好きなのか」
「別に、それほど」
彼女はわざと、素っ気なく答えた。彼の反応には、脈ありの気配があった。特別美人という訳ではないアマーレだったが、リュージとは対照的な白い肌の、透き通るような美しさには自信がある。
「でも、あんたの人生には興味あるよ。それに、あんたも言ってたけど、うちの親だって一応は羽ヶ淵の社員だからね。多少はメリットあるんじゃない? あたしと一緒だと」
「なんだよ……。ま、考えておくよ」
照れを隠そうとするように彼は顔を背け、彼方にそびえる本社ビルの天辺、五百五十五階を再び見上げた。そこにはグループのオーナー、ド・コーネリアスの部屋があるはずだった。
この巨大都市には、その頂上まで続く長い長い
実際に登り切るのは容易なことではない。しかし、リュージと一緒なら、彼女もいつかはたどり着けそうな気がした。高くて遠い、自由の空へと。
「うん、考えておいてね」
微笑んで、アマーレは立ち去った。彼女の
(了)
[次回予告]
小さな港町に、機関故障した
次回メトロポリタン・ストーリーズ、「冬の夜の来訪者」
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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