指し示す機体

 オレンジから紺色へと変わりつつある空に向かって、ポロットは思い切り手を振った。流れる雲よりも高い空の上を、銀色の機体が遠ざかってゆく。

 幼年学校からの帰り道、夕方のこの時刻には必ず、北へ向かう大型旅客飛行艇クリッパーが、彼の住む準区セミウォードの上を飛んで行くのだった。


 草原の小路に佇んで、エンジン音の微かな残響に耳を傾けながら、いつか一度でいいからあの飛行艇に乗ってみたいと彼は思う。その進路のはるか先には、世界最大の都市であるシティがあるのだ。

 超々高層ビルが林立するその街の風景を、ポロットは良く知っている。去年の降誕祭ナビダードに、棹差区の伯父さんがプレゼントしてくれたホロドーム。その手のひらサイズのガラス球の中には、シティ中心部の市街地が、小さく圧縮されて再現されていた。

 暗い部屋に持って行くとビル群の無数の窓にはちゃんと灯りが点り、彼はベッドに潜り込んでは、そのまばゆいばかりの夜景をいつまでも飽きずに眺めるのだった。


 憧れの、大都会メトロポリス。でも、長距離列車で何日もかかるそんな遠い街に行くなんて到底無理だと、彼はため息をつく。飛行艇に至っては、よっぽどのお金持ちでもなければ、まず一生乗る機会はない。


 ポロットにとっての現実的な「都会」とは、簡易軌道で半刻ほどの距離にある準区の中心、錨星カシオペヤ街だった。にぎやかなマーケットには、ありとあらゆるものが揃っている。特別なお祭りなどの日には、遠足班長である上級生の引率の下で、子供たちだけで街へ出ることも許されていた。


 迎春祭カルナバルのその日、仮装行列を見物するため、班長に連れられたポロットたちは街へ向かう動力客車に乗り込んだ。

 草原の上に直接ドコービル・レールを並べて敷いた、その名の通り簡易なこの軌道においては、客車と言っても木箱に台車を取り付けた程度の粗末なものだ。車体後部にぶら下げた焼玉発動機でそれを走らせるわけだが、やかましいわひたすら揺れるわで、ろくな乗り物ではない。

 しかしポロットにとっては、このスリル満点のオンボロ軌道に乗るのもまた、楽しみの一つだった。操縦者である老人も、子供たちが乗る時には、わざと荒っぽい運転をして喜ばせようとしているようだった。


 錨星カシオペヤ街の北外れにある簡易軌道の駅――と言ってもレールがぶっつりと途切れる地点に立札が立っているだけだが――で動力客車を降りたポロットたちは、草原の中を伸びるレンガ舗装の小路を、市街へと向かって歩いた。

 石材やモルタルを用いた真四角な建物が、真っすぐな通りに沿って整然と並ぶこの街は、どこを歩いても似たような風景ばかりで、ある種の迷路のようである。


 中央円形広場サーカスに隣接するマーケットの大屋根の下は、いつものように活気にあふれていた。

 吊り下げられた色とりどりの反物、停滞保存庫ステイシス・フリッジに並ぶ豚の首、何十本もの蝋燭の灯にきらめくガラスの火屋――子供たちの興味をひくものはたくさんあったが、一番人気があるのはジュース・スタンドだ。ジューサーが透明な容器内の果実を大きな音を立てて擦り下ろす様子が面白く、ガ州産の珍しい果物を使ったジュースも美味しかった。

 ポロットたちは、各々ジュースを詰めてもらったテトラパックを手に、見物客でごった返す中央円形広場サーカスの隅に並んだ。陽はすでに傾き始めていて、広場を囲む石造りの立派な建物が、レンガ敷きの地面に濃い黒い影を落としていた。


 やがて、仮装した女性の隊列が祭り唄を歌いながら広場に姿を現した。戦争アトミック前の習俗を模したという、太ももを露わにしたきわどいスカートに、胸を強調したタイトな短丈ブラウス。その上に大きな水色のセーラー襟や、紅いエナメルのベストを着けている子もいる。

 各々ワンレン、ポニーテールや二つ結いにした髪は、ピンク、パープルそしてペパーミント・グリーンなどの非現実的な色に染められていた。


 昔の人は、本当にこんな格好で暮らしていたのだろうか? 疑問に思いながらもポロットは、彼女たちの美しさ、頭がくらくらしそうな甘い香りに強くひきつけられていた。

「サンゴーナ、デンジネテーデ」と繰り返される祭り唄パレード・ソングの意味はまるで分からないが、その柔らかな歌声の、なんと心地良いことか。


 夢心地のままに、彼は行列に付き従って街を歩き続け、気付いた時には班長や他の子どもたちとすっかりはぐれてしまっていた。

 慌てて、引き返そうとした。しかし、そこがどこであるのか、無表情な四角い建物が並ぶばかりの風景からは、知る術がなかった。すでに日は暮れようとしていて、家々の窓や街灯が暖かな光を放ち始めている。


 祭り唄が背後に遠ざかるのを聴きながら、ポロットは無我夢中で歩き出した。とにかく、駅まで戻ることができたら。駅は街の北側にあるはず、ということは知っていた。しかしその、北がどちらか彼には分からない。

 見慣れぬ街角、レンガ敷きの通りを行き交う大人も子供たちも、知らない顔ばかり。あちこちの建物の壁には地番を記した金属プレートが埋め込まれていたが、方角を確かめる手掛かりにはならない。


 救いを求めるように、ポロットは天を仰いだ。オレンジから紺色へと変わりつつある空。そこには、見慣れた銀色の機体がきらめいて浮かんでいた。大型旅客飛行艇クリッパー。その進む方向が、つまりは北だ。


 喜び勇んで、彼は通りを駆け出した。エンジン音の残響を追いかけるように。班長たちが待つ「駅」は、その先にあるはずだった。

(了)


[次回予告]

立ち寄ったジャンク屋で、ギンは飛行艇の巨大なプロペラが売られているのを目にする。老店主が語ったその奇妙な来歴とは……。

次回メトロポリタン・ストーリーズ、「プロペラ奇譚」。

――メトロポリスで、またお逢いしましょう。

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