【完結】メトロポリタン・ストーリーズ 【SF掌編集】
天野橋立
過去への帰郷
目の前をゆったりと流れて行く、この大きな川の眺めだけは
しかし実際には、向こう岸で輝く家々の灯りは、彼が子供の頃に見たものとは全く違っているはずだ。以前の町は壊滅し、今の橋頭区の市街地は、全くの更地だった土地に一から造られたものだ。彼の背後に林立する
一生のうちに、またこの
以来、半世紀と少し……まさか、今頃になって亡き母親の形見が、
彼は、手のひらに載せたペンダントを握り締めた。帯びていたはずの
角砂糖ほどの大きさに圧縮された部屋の中では、父と母、幼いころのジャンとさらに幼い妹、その四人が楽し気に積み木遊びをしていた。いつまでも、飽きることも無く。
ベンチに腰かけた彼は、終わらない積み木遊びを見ながら泣いた。何度も繰り返し、泣いた。おぼろげな記憶となって残るあの幸せな日々は、本当に存在したのだった。
ようやく歩き始めたばかりだった妹は、地方への疎開を前に、
泣き疲れて顔を上げた彼は、川べりの街灯のそばに立つ女の子が、こちらをじっと見ていることに気付いた。大きな瞳をきょとんと見開いたその小さな子の足元には、バチェラー燈が放つオレンジ色の光が、身長の何倍もある長い影を作っていた。子供のいない彼には、その子の年頃が良くわからない。まだ幼年学校には上がっていないのではないか。
急に照れ臭くなって、ジャンは独り咳払いをしたり、思い切り伸びをしながら「まいった、まいった」などとつぶやいてみたりした。
その様子がおかしかったのか、女の子は笑顔になって、そして突然彼に話しかけて来た。
「おじさんみたいな大人の人でも、やっぱり悲しくなってそんなに泣くの?」
「ん? いや、あれはね……」
と彼は言い訳を考えかけて、しかし子供相手に言い訳などする必要があるだろうか?
「……そうだね、悲しくって、嬉しくって、おじさんが子供だった時のことを思い出したりして、それで泣いていたんだよ」
「わたしもね、悲しいの」
おじさんの言葉を理解したのかどうか、女の子はジャンの背後で輝くビル群を見上げて、じっと見つめた。
「お友達と、みんなお別れなの。お引越しだから、あれに乗るって」
彼女は、川のほうを振り返った。ちょうど河口の方向から、
あれは、南方へと飛ぶ便のはずだ。彼の住む遠い街区よりも、さらに遥かに南へと。
「でも、泣かないの。だって、きっと帰ってくるんだから、わたし」
再びジャンのほうを向いた彼女は、決然と言って、うなずいた。
「そうだね。それがいい。帰って来れた時に、思い切り泣けばいいよ」
おじさんのように、とは彼は言わなかった。
「帰ってきたら、嬉しいから泣かないよ。変なの」
女の子は、おかしそうに笑った。
「じゃあね、ばいばい、おじさん。もうお
ボードウォークを桟橋へと走り去る彼女の後ろ姿に向かって、ジャンは手を振り続けた。そう、変だね、こうしてあの日に帰って来れたのに。でも、おじさんは泣きたかったんだ。
両翼上の八発のエンジンを停止して着桟した
そして速度を上げながら、流れを追い越して川を下り、やがて船首を持ち上げて離水すると、翼端灯の赤と緑の点滅を残して夜空を遠ざかって行った。
すっかり静まり返った川の眺めは、やはり子供の頃と変わらないように見えた。いつかあの子がここへ帰って来る、その時にもきっと、この風景が大きく変わることはないだろう。彼は祈る。彼女の長い長い旅が、どうか素晴らしいものになりますように。
ペンダントを握り締め、ジャンは駅へと歩き始めた。彼もまた今夜、この
(了)
[次回予告]
美しい女性たちが仮装して練り歩く
――メトロポリスで、またお逢いしましょう。
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