何者にもなれなかった俺は


「なあ、知ってるか? ロックの厄年ってヤツをよ」


「ロックの厄年?」


「知らねぇのか? じゃあ教えてやるよ!

ジミヘンにジャニスにカート! 大物アーティストは27歳で死ぬ確率が高いんだぜ! 音楽じゃねぇけどバスキアなんかも27歳で死んじまってるんだ!」


「へー。で、それが何なんだよ?」


「おいおい、ここまで言って分からねぇのか?

要するに、大物アーティストになる予定の俺は27歳で死ぬってことだ!

つまりは、余命7年! 健康なんて気にしねぇし、この酒だって飲み干してやるってことだよ!!」


「おおおおっ! いっちゃう感じか!? 飲め飲め!」


「ういっーす!! 風鳴シュウヤ、いっちゃいまーす!!」


「馬鹿だ! 馬鹿がいんぞ! お前、吐いたらぶっ飛ばすかんな?」


「吐くわけねぇだろ? こんなん余裕――おえぇえええええええっ!」


「うわっ!? シュウヤが吐いたぞ!? お前! ふざけんなよ!?」


「わ、わりぃ……で、でも、ある意味ロックだろ?」


「こ、こいつちっとも反省してねぇ……」





 ――「ねぇ、起きてよシュウくん?」


 優しく肩を揺すられる振動と、甘い声によってシュウヤは意識を覚醒させていく。


「エミ……今何時だ?」


「七時二十分、そろそろ起きないと仕事に遅れちゃうよ?」


「もうそんな時間かよ……はぁ……仕事休みてぇなぁ……」


「そんなこと言わないの。仕事場の人は融通をきかせてくれてるでしょ?

スタジオやライブの予定がない時くらいは、ちゃんと出勤しなきゃ駄目だよ?」


「ああ……んなことは分かってるよ……」


 シュウヤはシングルベットから身体を起こす。

 それと同時に、懐かしい夢から現実に引き戻されてしまったことに溜息を吐いた。


「ほら、朝ご飯食べよ?」


 シュウヤはエミ――同棲相手である渋谷エミに手を引かれて、寝室とリビングの敷居を跨ぐ。

 すると、シュウヤの鼻孔をついたのは塩辛い肉の匂い。

 その匂いがベーコンであると気付いたシュウヤは、もう一度溜息を吐いた。


「なぁエミ? 朝はシリアルとコーヒーがあれば十分だって言ってるだろ?」


「それは分かってるんだけど、こっちの方が元気が出るかな? と、思って……」


 シュウヤは硝子テーブルの上に置かれた食器と、その上にのせられたベーコンと目玉焼きに視線を送る。


「まあ、一応は食うけどよ……」


「よ、良かった! なにかける? 塩コショウ? それとも醤油?

それと、ご飯とパンならどっちが良い?」


「じゃあ、塩コショウとパンで」


「分かった。すぐに持ってくるね」


 テーブルの下に置かれた煙草を手に取ったシュウヤは、カチンとライターを鳴らし、煙をたゆたわせた。


「昔の俺が、今の俺を見たらどう思うんだろうな……」


 シュウヤは思わず独りごちる。

 夢で見た十代の頃の記憶――それがあまりにも鮮明であったことに加え、今の境遇が、あのころ想い描いていた未来と遠くかけ離れていたからだ。


「俺も29か……ははっ、俺はジミヘンやカートじゃなかった訳か……」


 従って、改めて自覚してしまう。

 十代の頃に思い描いていた自分になれなかったことを。

 音楽という世界で、何者にもなれなかったことを。


 そして、そのような自覚をし、情けなさや悔しさ、苛立ちを覚えてしまったからだろう。


「ごめん……味塩コショウを切らしてたみたい……」


「は? だったら初めから聞くんじゃねぇよッ!」


 そんな些細なことで声を荒らげてしまう。


「ご、ごめんねシュウ君……す、すぐにコンビニで買ってくるから!」


 エミはエプロンをほどくと、冷蔵庫の上に置かれていた財布に手を伸ばす。


「いいよ……このまま食うから」


「で、でも塩コショウが良かったんでしょ?」


「はぁ……それはそうだけどよ……」


 が、そんな献身的なエミの態度は、シュウヤを余計に苛立たせた。

 

「だったら買ってくるよ!」


「もういいって……」


「だけど、自転車で行けば2、3分で戻ってこれ――」


「だぁからッ! もういいって言ってんだろうがッ!!」


 シュウヤは声を荒らげると、テーブルを叩くために拳を振り上げる。

 が、叩いたら硝子テーブルが割れるかも知れない。

 そうしたら怪我をするかも知れない。

 怪我をしなかったとしても割れたら片付けるのが面倒だ。

 シュウヤはそのように考え、振り上げた拳を、隣に置かれていたクッションへと振り下ろした。

 

「ははっ……やっぱり俺は、ちっともロックじゃねぇや……」


 それと同時にシュウヤは自覚してしまう。

 怒りさえ制御できてしまう自分は、憧れているロックからかけ離れていると。


「もう行くわ……」


「シ、ショウ君!? ご、ごめんね! これからは絶対忘れないようにするから!」


「……ああ、そうしてくれ」


 シュウヤは作業着に着替えると、朝食も取らずにアパートを出ることにした。




「で、朝からエミちゃんと喧嘩したって訳か?

ったくシュウヤ、それはお前が悪いよ。お前だって自分が悪いことくらい分かってんだろ?」


「それは分かってるんすけどね……エミの態度を見ると何だか苛々しちゃって」


 場所はシュウヤの勤め先である板金工場――の休憩所で、シュウヤとその先輩である厚田カズヒコは煙草をくゆらせていた。


「なんで、苛々すんだよ?」


「カズさんも俺達の出会やいきさつは知ってますよね?」


「出待ちのエミちゃんを身体目的でナンパ。

んで、ずるずると関係を持っている内に同棲。って話だろ?」


「そうっす……エミも馬鹿じゃないんで、そのことを理解してると思うんすよ……なのにエミは……」


「ああ~そういうことか」


 カズヒコは灰皿代わりのコーヒー缶に灰を落とす。


「察するに、お前は罪悪感を抱えてるんじゃねぇか?」


「罪悪感すか……」


「違うのか? 身体目的だったお前と違って、エミちゃんは献身的に尽くしてくれる。

そのことに対して、お前は罪悪感を覚えちまって、それをうまく処理できないから苛々しちまうんだよ」


「分かる気がしますけど……それとも少し違う様な」


「それとも少し違う、か……」


 そう言ったカズヒコは缶コーヒーを口に運ぼうとする。

 が、それが灰皿代わりにしてた物だと気付くと、「あぶねぇ」と溢して、青いベンチの上へと戻した。


「じゃあ、お前は焦ってるんだよ」


「焦り……っすか?」


「ああ、お前ももう少しで30だし、エミちゃんだって26とかだろ?

あんまりこういうことは言いたくねぇが、音楽を続けるのか、それともきっぱり辞めてこの仕事に腰を落ち着けるのか、そろそろ答えを出さなきゃいけねぇ年齢だ」


「……そうっすね」


「そんな焦りがあることに加え――お前には自信が足らないのかもな?

音楽で食っていけてる訳でもないし、この工場での立場もバイト以上、社員未満って感じだろ?

なにか一本の芯が――自信を持てる何かがあれば良いと思うんだけどよ。

シュウヤにはそれが足りないから余計に焦っちまって、エミちゃんの献身的な態度に――それに答えられない自分が嫌いだからこそ苛立っちまうんだよ」


「……カズさんも知ってますよね?

俺がエミのこと……すげー好きな訳でもないってこと」


「知ってるよ? だからどうしたんだ?」


「だからって……そんな俺が、エミの態度に答えられないからって、自分のことを嫌いになると思いますか?」


「現になってるじゃん?」


「カズさん……勘弁して下さいよ」


「まあ、シュウヤがそう思えないんだったら、俺は無理に意見を通そうとしないよ。

でもな、俺はお前たちと付き合いが長いから分かるんだよ。

確かにシュウヤはエミちゃんのことをすげー好きじゃないかも知れねぇけど、嫌いって訳でもねぇんだよ。そうじゃなきゃ何年も同棲なんてできねぇだろ?

愛情なんてものは深けりゃ正しい訳でもねぇし、浅けりゃ間違いって訳でもねぇ。

シュウヤ達にはシュウヤ達の愛情の形ってもんがきっとあるんだよ。

それに考えてみろよ? 想いの浅い深いだけで愛情を計るんだったら、それこそストーカーするようなやつらが正しくなっちまうだろ?」


「言おうとしてることは分かるんすけど……少しクサくないっすか?」


「う、うるせぇよ! アドバイスしてやったのにそのいいぐさはなんだ!?

アドバイスしてやったんだから昼飯にコーヒーくらい驕れよ!?」


「ははっ――煙草もつけますよ」


 僅かに悪態はついたものの、シュウヤはカズヒコに感謝していた。

 カズヒコの言葉によって、苛立ちを覚える理由をなんとなく理解することができたからだ。


 つまりは、何だかんだ言いながらもエミのことが大切で、与えられるだけで、何も返せていない自分が嫌いだったのだ。


 その事に気付かされたシュウヤは、バツが悪そうな笑みを溢す。

 そして、そんなバツの悪さを誤魔化そうとしたのだろう。


「それとカズさん、来週末はちゃんとあけてますよね?

ゲストで名前書いておいたんで絶対に見に来て下さいよ?」


「ちゃんと空けてるから心配すんな。

てか、今回のライブはどこぞのレーベルが見に来るんだろ?

折角のチャンスなんだから、とちるんじゃねぇぞ?」


「とちりませんよ。俺の指使いで惚れさせてみせますよ」


「なんかエロいな? ベースの話だよな?」


「さあ、どうっすかね?」


「ったく……うし、そろそろ仕事に戻るとするか」


 シュウヤは来週に控えているライブの話題に切り替える。

 そして、カズヒコに背中を叩かれると、業務へと戻ることになった。




 ライブ当日。

 東京都内には幾つものライブハウスが点在している。

 シュウヤ達のバンド【ホープホライズン】の姿は、そんな点在するライブハウスの一室――いわゆる楽屋と呼ばれる場所に在った。


「よう、準備は万全かい?」


 そう尋ねたのは、タイラー田中。

 今回【ホープホライズン】がお世話になる、大きくも小さくもないライブハウスのオーナーを勤める男だ。


 ちなみに、これは本名ではない。

 本名は田中マサオというのだが、某バンド好きが高じて、ライブハウスを使用する者にはそう名乗ることにしているだけだったりする。


 まあ、タイラーも田中も名字なので、若干馬鹿にされてる帰来はあるが、親しみを込めてTTと呼ばれることが多い人物である。


「準備は万全すよ!」


 そう言ったのは【ホープホライズン】のギターボーカルを担当する、加納ユウタ。


「TT、左のスピーカーが若干ハウってる気がするんだけど、あれどうにかならない?」


 ドラム担当である、乃木コウスケが苦言を呈す。


「ああ、他のバンドからもハウってる。ってか、返しが甘いって指摘されたからな。

そこらへんはシッカリ調整させて貰ったよ。で、シュウヤはどうだ?」


「俺? まあ、問題はないかな?

それよりもTT、レーベルのお偉いさんは来てるんだよな?」


「ああ、来てるぜ。

天下のジュラスミュージック様からお声が掛かった時は嘘かもと疑ったが……

お、お前らも、うまくいげばメジャーデビューでぎるかもしれねぇな……ふぐぅ」


「ちょっ!? なに泣いてんだよTT!?]


「な、ないてねぇよ!? ただ、お前らが頑張ってる姿を10年近く見守ってきたからな……ようやくお声が掛かるかもしれねぇと思うとよぉ……ひぐっ」


 顔に刻まれた皺を、いっそう深いものにするTT。

 本来であれば、目の間にぶら下げられた「メジャーデビュー」という言葉に、シュウヤたちも喜び勇む場面なのだろう。


 しかし、自分よりも酔っている人を見ると酔いがさめる感覚というのだろうか?

 それに似た感覚を覚えたシュウヤたちは、隠していた緊張感を霧散させていく。


「ありがとなTT」


 そしてその瞬間、「出番です」の声が届き、シュウヤたちはステージに上がることになった。




 結果から言えば、ライブは大成功だった。

 恐らくは、レーベルのお偉いさんが【ホープホライズン】のライブを見に来るという情報がどこからか漏れ出ていたのだろう。

 このライブが【ホープホライズン】最後のインディーズライブになるかもしれない。

 そんな不安と期待を抱えたファン達が数多く参加した結果、会場は今までにない盛り上がりを見せ、それに後押しされたシュウヤたちは最高の演奏を見せることに成功したのだ。


「やべぇ、手震えてるよ」


「俺もだわ、震えって後から来るもんなんだな」


「分かる分かる。俺もめっちゃ足震えてるもん」


 確かな手ごたえを感じたシュウヤたちは、自然と笑みを零す。

 すると、その時――


 コンコンッ。

 楽屋の扉がノックされる。

 

 シュウヤたちは、来訪者がTTとプロデューサーであると判断し、明るく「どうぞ」と声を上げて、扉の向こうに居る人物を呼び込んだ。


「お疲れ! 良いライブだったぜ!

下手すりゃ今まで一番の盛り上がり――っと、その話はとりあえず置いておくとして、こちらの方がプロデューサーの――」


「初めまして【ホープホライズン】の皆さん。

わたくしはジュラスミュージックの園宮シンイチと申します。

いやぁ大変素晴らしい演奏でした」


 シュウヤたちの予想どおり、扉の向こうに居たのはTTとジュラスミュージックでプロデュースを手掛ける人物だった。


「あ、ありがとうございます!」


 シュウヤたちの心音が高鳴る。

 プロデューサーであるシンイチから賛辞の言葉を頂いたのだ。

 『メジャーデビュー』という言葉がちらついてしまうのも仕方のない話で、シュウヤたちは長年欲していた言葉を引き出そうとし、体勢を前のめりにさせる。


「そ、それで素晴らしいということは!?」


 そして、そんなシュウヤ達に返ってきた言葉はというと――

 

「ええ、是非ともうちのスタジオミュージシャンとして雇用したいと考えております」


 『メジャーデビュー』とは遠くかけ離れた言葉であった。


「ス、スタジオミュージシャン?」


「ええ、実力があることはかねがね聞き伺っておりました。

ですので、私自身でその実力と技術力を判断する為に、今日のライブにお邪魔させて頂いたという訳なのですが……あ、あれ? もしかして間違った伝わり方をしている感じですかね?」


 プロデューサーは、シュウヤ達の反応を見て齟齬があるように感じて首を傾げる。

 続けてTTに視線を送ると、「部下からどのように聞いていますか」という質問を投げ掛けた。


「お、俺が聞いたのは、プロデューサーが【ホープホライズン】に興味を持っていて、演奏を見たいと言っている。って話だ……」


「ああ、成程……要するにそこで齟齬が生まれてしまったのですね……

プロデューサーが興味を持って演奏を見に来ると言われれば、「プロデュース」が目的であると考えるのが普通ですよね……誤解を招くような伝え方をしてしまい申し訳ありませんでした」


「つーことは、つまり……」


「大変申し上げにくいのですが、私がこの場を訪れた理由は、実力のあるスタジオミュージシャンを雇用する為です。

ですので……【ホープホライズン】さんのご期待には答えられないとしか……」


「は、ははっ……なんだよそれ……」


 シュウヤは項垂れる。

 同時に、どこにぶつけて良いのか分からない怒りを、プロデューサーにぶつけていた。


「何処が! 俺たちの何処が駄目なんだよ!?」


「正直、伝えにくいのですが……その独創性です」


「……独創性?」


「はい。【ホープホライズン】さんの音楽は、声もフレーズも独創的なんです。

そして、独創的があるからこそ、私は期待に応えることができないんです……」


「どういうことだよ……」


「要するに……一般的に受けないということなんですよ。

映画やドラマで聞いたことありませんか? 似たようなジャンルで、似たような歌詞が歌われるのを」


「だ、だから――」


「だから違う音楽をやっているんですよね? それは重々理解しています。

正直、一昔前のような――ミリオンが連発されるようなご時世であれば、私もその『独創性』に賭けていたかも知れません。

ですが、今はそういったご時世ではなく、音楽業界全体が厳しい状況に置かれていますので、会社としても下手な冒険ができない――独創性よりも時代のニーズ、ベストよりもベターを選択しなければいけないんですよ」


「ニーズにベターって……音楽ってそういうもんじゃねぇだろ!?」


「そういうものではありませんよ。

JAZZしかり、ROCKしかり、HIPHOPしかり、鬱屈とした想いを晴らし、喜びを分かち合い、何かを訴える為の手段が音楽だと私は考えております。

ですので、正直に言うと、私は今の音楽業界や会社の方針が好きではありません。

好きではありせんが、立場上、会社の方針には背けませんし、ニーズに合わせたものを生み出さなければいけないというのが現状でして……それで、話を戻させて頂きますが、今回、お声をお掛けした件はそんな音楽業界に対するちょっとした反抗なんですよ」


「……反抗?」


「ええ、【ホープホライズン】さんの音楽は個人的に大好きですし、凄く痺れました。ただ、結局は私も一社員ですので、どんなにプッシュしたとしても、会社の方針を覆すことができずに、上から商品にならないと言われてしまうのだと思います」


「……話が見えてこないんっすけど」


「そうですよね……では、端的にお答えいたします。

要するに、商品にならないと判断された方たちが、スタジオミュージシャンとなってドラマの主題歌をかき鳴らす。或いは、映画の主題歌で磨いてきた技術と音を全国に届ける。それって少しだけ痛快だと思いませんか?

本当、意味もない小さな反抗かも知れませんが――【ホープホライズン】さんとならソレを実現できると思いました。だからこそ、お声を掛けさせて頂いたのです」


 話を聞き終えたシュウヤたちは、言葉を返すことができなくなってしまった。

 プロデューサーが【ホープホライズン】の音楽を否定したのなら反論もできる。

 が、音楽性を認めた上で今の時代にはそぐわないと判断し、延いては、そぐわない演奏者である自分達に手を差し伸べているのだと理解してしまったからだ。


「……少し、考えさせてもらっても良いですか?」


 ギターボーカルであるコウタが、メンバーの想いを代表してそう伝える。


「ええ、メンバーでじっくり話し合って決めて下さい。

私はゆっくりと返事を待たせて頂きますので――あっ、そうだ。名刺を渡し忘れていましたね」


 対して男は、名刺を手渡すと、深々と一礼をしてから楽屋を去っていった。


「わりぃ……勘違いさせるようなことを言っちまって……」


「気にしないでくれよ……TTは悪くねぇさ」


「で、でもよぉ……」


「おいおい、おっさんが泣いても引かれるだけだぞ?」


 ユウタがTTの肩をポンと叩く。


「まあ、悪い話じゃねぇんだからさ。そんなにしけた顔しないでくれよ?」


 コウスケがTTのたるんだ尻をベチンと叩く。


「ああ、そんな顔されると今後やりにくなるだろ? だから気にすんなって」


 シュウヤは、TTの腹に手を添えると、ブニブニと腹の肉を波打たせた。




「あっ、俺はここでいいわ」


「家まで送ってくぞ?」


「いや、酒でも買ってから帰ろうと思ってさ」


「……おう、そうか」


 全員でお金を出して買ったワンボックスカー――機材車から降りたシュウヤは駅前のコンビニに立ち寄る。


「カップ酒か……挑戦してみるかな」


 シュウヤはカップ酒を2つと、おつまみとして駄菓子を数点買う。


「くっせぇ……もろに酒って感じだよな」


 ポンと鳴るカップ酒のふた、同時に漂う強い酒精の香り。

 シュウヤは表情を引き攣らせると、恐る恐る口へと運んだ。


「あれ? 案外うまいじゃん」


 湿った唇を指先で拭うと、シュウヤは感嘆の声を漏らす。


「こういうのが美味く感じるってことは……俺も歳を取っちまったってことか」


 更にそう続けると、2回、3回と喉を鳴らす。

 そうしていると――


「――~~-~~-~~」


 オリジナルソングなのだろう。

 実に照れくさく、実に青臭く、実に拙い弾き語りが耳に届いた。


「ははっ、下手くそだな」


 人前で弾き語りをするのは初めてなのだろう。

 シュウヤが言うように、少女がかき鳴らす音楽は下手くそで、とても褒められるうな代物ではなかった。


「ほんと……下手くそだな……」


 だが、それは音楽の根源に近しいものだった。

 そして、それは音楽に精通しているシュウヤには伝わっていた。

 

 音楽が大好きであるということ。

 人前で歌うことが少し恥ずかしいということ。

 それでも、自分の音楽を誰かに届けたいと願っていることが。

 

「あ、あれ? な、なんで……」


 気が付けばシュウヤは涙を流していた。


「俺は……俺はぁ……!!」


 そして走り出していた。

 背負ったベースと、左手に持ったエフェクターケースを大きく揺らしながら。


「はぁ……はぁ……」


 シュウヤは公園へと辿り着く。

 そこでベースケースを開くと、ストラップを首から下げた。

 

「はぁ……俺は……ロックスターになりたかったッ!!」


 高まった感情を直に乗せたため、チョッピングした指に痛みを覚える。

 が、さほどでは無い。10年以上ベースを鳴らし続けたシュウヤの指先は皮膚が固まり、分厚い層を形成していたからだ。


「俺は! 音楽が好きだッ!

辛い時も悲しい時も! 支えてくれたのは音楽だったからッ!!」


 やわなベース音であれば、雑踏に掻き消されていたのだろう。

 しかし、シュウヤが弾きだした音は、雑踏にかき消されることなく、夜の公園に大きく響いていた。


 しかし、それが良くなかった。


「うるせぇぞおっさん!! 雑音をかき鳴らしてんじゃねぇよ!!」


「うけるんだけど、おっさんが青春ごっこしてる感じ?」


「や、やめなよ! 頭のおかしい人かもしれないじゃん? はやく行こうよ?」


 とおりかかった大学生たちから、避難の言葉を浴びせられてしまう。

 本来のシュウヤであれば、気にも留めない――或いは反論の言葉でも返していたに違いない。だが……


「はは、雑音か……俺の音楽は……俺の10年は雑音かよ……」


 今のシュウヤには反論する気力など残されていなかった。

 パタンとベースをしまったシュウヤは、肩に担いでトボトボと歩き出す。


「俺は……昔から不器用だったよな」


 シュウヤは夜道を歩きながら独り言ちる。


「勉強もできなけりゃ運動も得意じゃない、唯一褒められたのは音楽の授業だけだった……」


 いや、それは独白に近いものだった。


「別にちやほやされたい訳じゃないんだ……

称賛の声が欲しい訳でもない……金だって人並みくらいにあれば十分だ……

それでも……それなのにロックスターになりたかったのは……」


 街灯の下、シュウヤはピタリと足を止める。


「こんな俺でもできることがあるって証明したかったんだ……

こんな俺でも何者かになれるって証明したかったんだけなんだよぉ……」


 そして、シュウヤの目に橋の欄干が映った。


「もう、終わらせちまうか……」


 欄干から下を覗けば、暗闇がぽっかりと口を開いていることが分かる。


「親父、お袋……それにエミ……ごめんな」


 シュウヤは欄干に手を掛け、向こう側へと身を乗り出そうとする。

 しかしその時――


「シュウ君!! 何やってんのよ!!」


 聞きなれた声が届く。

 続いて届いたのはアスファルト上を駆ける足音で、襲ったのは頬の痛みだった。


「エミ……なんでここに?」


「なんでって! ユウタ君からシュウ君の様子がおかしいからって――帰りが遅いようなら迎えにいってくれないかって頼まれたからだよ!!

なのに! 帰り路を探しても見つからないし、ようやく見つけたと思ったら……何を! 何考えてんのよ!」


「何って……」


 シュウヤは答えない。

 が、エミには分かっていた。

 シュウヤが欄干を乗り越えようとしていたことを。

 今まさに、命を絶とうとしていたことを。


「馬鹿じゃないのッ!? 馬鹿じゃないのッ!? 馬鹿じゃないのッ!?

死んでッ! 死んでどうすんのよッ!?」


 シュウヤは押し黙る。

 そして少しばかりの沈黙の後、生唾を飲んでから口を開いた。


「せ、済々すんだろ? 俺が居なくなりゃお前は自由だ……

塩コショウがないくらいで怒られなくて済むッ! 俺の機嫌を取らなくて済むんだからよッ!

そ、それに……分かってんだろ? 俺が身体目的でお前に声を掛けたこともッ! 俺たちの関係がただの行きずりの関係だってこともよッ!! だったら止めるなよッ! 余計な真似すんじゃ――ッ!?」 


 そう言いかけた時、シュウヤの頬に再び痛みが走る。


「そんなのとっく分かってたよッ! 身体目的で声を掛けたことくらいッ! 私たちの関係が行きずりの関係だってことくらいッ!!」


 エミの声が、次第に涙交じりの者へと変って行く。


「分かってないのはシュウ君の方だ!

どうせ分かってないんでしょ!? それを分かってて、それでもシュウ君のことが大好きな私のこともッ!

身体から始まった関係に引け目を感じちゃって……その所為ですごく苦しんじゃってる自分自身のこともッ!!」


「自分自身……」


「シュウ君は……シュウ君は馬鹿だ!

本当は真面目なのに、傷つきやすいのに、不真面目なふりしてソレを隠して……

本当は全然ロックじゃないのに……ロックなふりして格好つけて……」


「お前……そんなふうに思ってたのかよ……」


「思ってたよ! だから不安だった! 繊細過ぎるシュウ君のことが心配だった!

このまま音楽を続けていたら、いつかシュウ君が好きなアーティストみたいになっちゃうんじゃないかって!!」


「エミ……」


 そう言ったエミは、恥も外聞もなく涙と鼻水で顔を汚していく。


「でも、私には止められなかった! 止めたくなかった!

音楽が大好きなことを知ってから! 音楽について語っているシュウ君は本当に楽しそうだったから! そんなシュウ君が大好きだったから!」


「うっく……」


 シュウヤの喉から嗚咽になる前の声が漏れ始め、そんなシュウヤをエミはギュッと強く、それでいて優しく抱きしめた。


「俺は……俺は格好悪くて駄目な男だ……」


「私は……私は可愛くないし可愛らしくもない……」


「得意なものも全然なくて……音楽くらいしか取り柄がない……」


「得意なものは裁縫くらいで……音楽だってそんなに詳しくない……」


「給料だって多くはないし……ライブの収入も雀の涙程度だ……」


「料理のレパートリーも多くないし……お掃除はちょっと苦手……」


「だから……エミに苦労をかけるかもしれない」


「だから……シュウ君を困らせちゃうかもしれない」


「「それでも――」」


「こんな俺だけど、一緒に居てもらえるか」


「こんな私だけど、一緒に居て欲しいんです」


 二人は、泣きじゃくりながらきつく抱きしめ合う。

 通行人にクスクスと笑われながら。それでも。




 ――それから一年ほどがが経過した。


「おい! そろそろ始まるぞ! みんな酒は持ったか?」


 場所はシュウヤとエミが暮らすアパート。

 8畳ほどのリビングダインニングルームには、エミとシュウヤは勿論のこと、【ホープホライズン】のメンバーと、シュウヤの職場の先輩である厚田カズヒコの姿があった。


「おう、持ったけど――エミちゃんだけはお預けだな」


「はい厚田さん、今日はジュースで乾杯させていただきますね」


 時計の針がカチリと進み、午後九時を指し示す。


「おっし! 始まるぞ!」


 その場に居た全員の視線がテレビへと集まる。

 が、テレビに映されている内容にも、役者の演技にも、誰も注目はしていない。

 何かを待ち焦がれるように、全員がそわそわとしていた。


「そろそろか?」


「そろそろっぽいな?」


 そのような話をしている内に、ドラマの内容に一区切りがつく。

 それと同時に、テレビに映されたのはドラマの題名と、オープニング映像で――


「「「かんぱーい!」」」


 主題歌が流れたその瞬間、その場にいた全員でグラスを打ち鳴らした。


「きた! ここ! この初めの部分は俺が叩いたドラムなんだぜ!」


「おお、俺のリフがテレビから流れてる……な、何か変な感じだな?」


「ちょい静かにしろって、ここから俺のギターが流れるから」


 全員が食い入り、歌の奥にある音楽に耳を傾ける。

 そう。その後、何度も話し合いを重ねた結果、【ホープホライズン】はスタジオミュージシャンとして雇われるという選択をし、園田プロデューサーが言う「ちょっとした反抗」に手を貸すことを決めていたのだ。


「シュウ君、格好良い曲だね」


「だろ? なんてたって俺がベースを担当してるからな」


「そっか、そうだよね」


「ああ、そうさ」 


 シュウヤは、手に持っていたビールでグビリと喉を鳴らす。

 それと同時に、しんみりにも、しみじみにも似たものを感じていた。


「どうしたのシュウ君?」


「いや、これで少しは何者かになれたのかな? なんて考えちまってさ」


「ふふっ、きっとなれてるよ。それに――」


 エミはシュウヤの手を取ると、そっと自分のお腹へと運び――


「ね?」


 何者かになった自覚を手のひらで感じたシュウヤは、優しく目を細めた。

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