第174話 開幕前

 開始までもう間も無くというのに、観客席は相変わらず閑散としている。

 ……いや、閑散、というのは言い過ぎかもしれない。疎らという方が正しいか。


 席は全部埋まっている訳ではないが、ちらほら座っている人もいる。


 この前にやっていたオースティン・メイアンのショーはおそらくもっと多くの人が見ていたのだろうというのは、ドロシーのあの雰囲気から伝わってくる。


 悲しいことに、リンデ・アーロイが感じていた人気のなさはまさにピタリドンピシャで、自分のことをちゃんと客観視出来ていたという皮肉に満ちた結果となっているようだ。


 もちろん見にきている人たちもしっかりといるのだが、この結果に彼は満足していないだろう。


 むしろ午前のショーがどれだけ悲惨だったかによってこの後ステージに出てこないまであるな……なんせ下調べにくるくらいのプライドだからな。


 そうやってチラチラと会場を見渡していると、身体を縮こめたベルが俺に小声で話しかける。


「リンデさん……ちゃんと出てくる…………よね?」


 苦笑いを浮かべるベルに、俺も苦笑いで返す。


「まさに今俺もその心配をしていた」


 あの騒がしいリンデ・アーロイに一緒に遭遇したベルも、どうやら俺と同じことを考えていたようだ。


 午後のショーに出て来ないとなるとそれはそれで暴動が起きそうだなあ……。

 そしたら俺たちの出番か……。それだけは止めて欲しいぜ……。


 ――と、舞台袖の方からちらっと観客席を眺め、奥に引っ込んでいく人影が俺の視界に入り込む。


 今のは――リンデ・アーロイ……!


 俺は勢いよく立ち上がる。


 仕方ねえちょっと話しかけてくるか。


「ちょっと待ってろ」


「え、どこいくの?」


 不思議そうに俺を見上げるベル。

 俺は立ち上がろうとするベルを静止し、一人舞台裏へと向かう。


「すぐ戻る、席取っておいてくれ」


「う、うん……? わかった」


 ベルはちょこんと椅子に座り直す。


 またリンデの奴に抱きつかれでもしたら面倒だからな。

 ベルはまあわざわざ会わなくてもいいだろ。


 俺は舞台の裏手へと入る。


 舞台裏では準備の人たちが忙しなく動く中、1人階段に腰掛け天を仰ぐ悲しい姿を見つける。

 カラフルなコートを羽織ったシルクハットの男。


 居た……!


「リンデ――」


「ちょっと君! 関係者以外立ち入り禁止よここ!」


 リンデに話しかけようとしたところで係の女性が俺を静止する。


 少し怒ったような表情で俺の顔をじっと見る。


「いや、あのちょっとリンデさんと話が――」


「そんな話聞いてないわ。アポないでしょ? そういうファンが多くて困るのよね……リンデさんは初めてだけど……」


 リンデええ!!

 俺はそれを聞いてなんだか無性に泣きたい気持ちになる。


「わかったら大人しく帰りなさい。……――ってよくみたらロンドールの学生じゃない。あなた腕章もしているみたいだし取り締まる側でしょ? 何やってるのよ、あなたがはしゃいじゃ駄目でしょ」


「うっ、それは……」


 反論の余地のない正論に、俺は眉を潜める。


 やべえ、さすがに迂闊すぎたか……。

 仕方ない、出直すか。


 ――と、そこで一際大きな声で俺の名を呼ぶ声が響く。


「やあやあやあ! 君は!! ギルフォード君じゃあないか!!」


 声の主――リンデは笑顔で俺の方に歩み寄ってくる。

 さっきまでの死にそうな顔が嘘のようだ。


 係の女性は驚いた様子で振り返る。


「し、知り合いですか?」


「そうとも! 彼は俺の一番のファンと言っても過言ではない!!」


「なにが一番っ――」


 そこでリンデに肩をギュッと掴まれる。


「わざわざこのショーの俺に会いに来たくらいだ! 筋金入りだよ! ――まあ、俺もその熱意は少々怖いが……」


 何言ってんだこいつ……一月前に来たのはそっちだろうが!!


 しかし、リンデはそれでもなお笑顔で力強く肩を押さえる。


 係の女性はポカンとした顔でその話を聞き、チラッと俺を見る。

 やめろ、その顔で俺を見るな。


「は、はあ……まあリンデさんがそう言うなら……」


 はぁ、まあ合わせるか……。

 自分のファンが居るってことをアピールしたいのか知らんが、これでやる気を戻してくれるなら安いもんだ。


「そうなんですよ、ちょっと挨拶に……」


「でも、もうそろそろ開演だから手短にね。リンデさんも準備してくださいよ」


「もちろんだとも!」


 シルクハットを脱ぎ、仰々しくお辞儀をするとリンデは係の女性を見送る。


 その場にはポツンと俺たち2人だけが取り残される。


「あの、リンデさ――」


「いやあ! 来てくれると思ってたよ!!」


 そう言って俺の両手をばっと掴むと力強く上下にぶんぶんと振る。


「ま、まぁそりゃ約束しましたし……」


 人の入りが悪そうで心配になったなんて言えない空気が流れる。


「ベルベットの奴もちゃんと来てますよ」


 リンデは満足気にムフーっと笑顔を浮かべると腕を組み、首を上下にふる。


「うんうん、私の目に狂いはなかった! あの時ビビッと来たんだ君たちには! 午前の部で君たちの姿が見えない時はどうやって殺し――お仕置きしてやろうかと奥歯を噛み締めたものだよ」


「今物騒なこと言いかけましたよね?」


「何を言うか、私は紳士だよ」


「はあ……ちなみに午前はどうだったんですか?」


 するとリンデはものすごい形相で俺を見る。


「それを聞くか少年よ」


「いや、うちのクラスメイトがオースティンのショーが良かったってウハウハだったんで……リンデさんはどうだったのかと」


「私のことはいいんだ!! 全く、なんであの男が人気なんだ!! 納得がいかん!!」


「……なんか前も嫌ってましたけど、何かあったんですか?」


「話せば長くなる……」


 長くなるのか。


「じゃあ俺はこれで。ショー頑張ってください」


「少しくらい聞いて行けよ!!」


 そう言ってリンデは強引に俺を横に座らせる。


 はあ……なんかこの人調子狂うな。

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