第125話 帰る場所

「ところでクロ」


「なんだね」


 クロはまるで元からこの部屋の住人だったかのように足を組み、グラス片手にくつろぎながら軽く俺の声に良い声で返事をする。


「キャスパーが人間の手に渡った訳だが‥‥‥どうするつもりなんだ? 吸血鬼たちは今後どう出る?」


 "アビス"は吸血鬼を完全に敵に回したも同然だ。

 だが、吸血鬼は人間とは決定的に価値観が違いすぎる。俺たちが思っている通りに動くとは限らないのが怖いところだ。


 最悪吸血鬼が報復に人類を滅亡させるなんて言い出した日には目も当てられない。


 俺の質問に、クロのグラスを揺らす手がピタリと止まる。

 すると珍しく少し考える風にじーっと一点を見つめ、唇を尖らせる。


「難しい質問だね……。なんせあの事件からまだ集会が開かれていないからねえ。それは君も知っているだろう?」


「まあカリストからずっと一緒に居たからな」


「ずっと一緒だなんて……照れるな」


 そういってクロが熱い視線を俺に贈る。


 俺は全力で眉間に皺をよせ目を細める。


「冗談言ってんじゃねえよまったく……」


「なんだ、私はわりと本気だぞ?」


「そりゃどうも。‥‥‥それよりどうなんだよ、そこら辺は」


 クロは「つれないなあ」とつまらなそうにつぶやき立ち上がる。


「いや、実際問題本当に私もわからないのさ。集会が開かれるまでね。カリストで調査を開始する当たりまでは事態は単純だったんだけどねえ‥‥‥」


 クロはカツカツと音を立て部屋の中を歩き始める。


「ディアナがカリストで殺される。カリストを調査する。犯人はキャスパー。じゃあどうするか? ――答えは単純、キャスパーに制裁を加える。塵も残さない。それで終わりのはずだったんだが‥‥‥」


 そう話しながらクロは俺の座る椅子の後ろに回ると、中腰で俺の肩に両腕を回す。

 後ろから抱き着く形だ。


 吸血鬼のくせに、謎にいい匂いが漂う。

 柑橘系の爽やかな香り。フルーツの香かもしれない。見た目に反して爽やかな匂いだ。


 俺たちと数日共に強行軍をしたというのに、なんだこの清潔感は……。吸血鬼の再生能力と関係でもあるのだろうか。


 ――などと、全力で関係のないことを頭でフル回転させる。でないと、変に意識してしまう……!!


「……なんだ、いつもみたいに嫌がらないのか?」


「そ、そんな元気残ってねえんだよ、今は。俺は疲れてんだよ、いろいろと」


「なんだつまらないな。目覚めたての頃はもう少しオーバーに反応してくれたもんだが」


 そういってクロは俺から離れる。

 変な安堵感が一気に押し寄せ、ふぅと溜息をつく。


 こんな時レンが居たら大騒ぎ何だろうが‥‥‥。


 親友であり恩人であり保護者であり悪友である‥‥‥なんとも複雑な関係だ。


「――でなんだったか……あぁ、吸血鬼の今後の動向か。そうだな、ここからはあくまで私の推測だが……」


 クロは窓から外を眺めながら続ける。


「事態は複雑になってしまった。キャスパーには同胞殺しをしたいという自主的な意思は微塵もなかった。……まあ殺したい奴の1人や2人はいたかもしれんが、だが実行するほどではなかった。結局、"アビス"とかいう人間風情のコソ泥集団にいいように付け込まれ、操られた。よりにもよって人間を愛してしまったという心に」


「そうだな……あれは吐き気がする程下劣な行為だよ」


 クロは頷く。

 くるっと身体を回転させ、俺の方を向くと両手を広げる。


「その上死霊魔術だと? どこまで吸血鬼をバカにすれば気が済むんだあいつらは。となれば、吸血鬼全体としての意見は割れるだろう」


 クロは右手と左手をそれぞれコの字型にしてパクパクと喋っているように動かす。


「保守的な奴らは叫ぶだろう、『当面の脅威は去った! ディアナの二の舞にならぬようみんな注意しろ! 下等生物などと争うなど言語道断だ!』ってな具合にね。逆に改革派はこう叫ぶだろう。『人間に舐められるとは何たる屈辱! 操られるキャスパーも言語道断! "アビス"ごと根絶やしにしてやる!』」


「ま、それが当然の流れだわな。本来キャスパーの処理で終わるはずが、相当ややこしくなってる」


「その通り。本来吸血鬼は人間世界に手は出さない。だが今、私たちは転換期にきていると言っていい。私たちを脅かした"アビス"の排除。しかしそれは今この状況では人間社会への多大な関与となることは間違いない。……正直、どっちに転ぶか私にもわからんのさ」


 そういってクロはまた椅子に深く座りなおすと、はぁっとため息をつく。


 ただの意見の対立で終わればいいが、なんなら吸血鬼を大きく二分する可能性を秘めているであろうその議題に、クロは今から集会への参加を億劫に感じているようだ。


「これから大変そうだな」


「そういうこと。しばらくは会えそうにないねえ。今のうちに私を堪能しておくことだ」


 そういってクロはにやにやと笑う。

 

「冗談でもやめてくれ」


「なんだ? ロリがお好みか? なんなら十代の姿に変わってやってもいいぞ? それとも英雄殿はもっと年下がお好みかな?」


「うるせえ! 今のままでいいから俺をロリコンにすんなっ!」


 俺の過剰な反応を見て、クロは満足したようにケラケラと笑う。


 ったく、面倒くさい吸血鬼だ‥‥‥。


「俺も早くロンドールに帰りてえよ。休暇が終わっちまう」


「お? さっそく青春を楽しんでるみたいだな」


「んだよ、いいだろ別に」


 クロは楽しそうにウキウキした顔で俺にの方に近寄る。


「隠すなよ、思春期か? そうだほら、あの女はどうした? ドロシーだったっか? ユフィとバチバチだった」


 子供の学校生活に口出すとかどこの保護者だよ‥‥‥。

 まあスピカさん辺りならやってそうだな。


 だがとりあえず言えるのは‥‥‥めっちゃうぜえええ……。


「バチバチって……普通に仲良く話してただろあの2人は」


「鈍感め。そんなんだから鉄の心なんて言われてたんだぞ君は」


「ちょっと待って、その蔑称は聞いたことないんだけども!?」


「魔神と戦っていた頃の君はまさに心を殺していたからな。特にエレナやジークたちと会うまではなあ。至る所で聞いたぞ、あの少年は心まで殺して世界を救おうとしているってね」


 そういえば、幼いころから戦場に居たせいで、あの5人に会うまでの記憶ってあんまりないんだよなあ。


 血の匂いと手に残る魔術の反応。眼前に広がるのは転がる魔獣の死体と荒れ果てた大地。それが、俺の原風景。


 楽しかった記憶など思い出せない。

 あの皆に出会うまでは。


 それに比べれば、今のこの生活はとても楽しいと感じていいのかもしれない。

 もちろん、一筋縄ではいかないけどな。


 確かにその当時の俺ならば、殆ど周りのガヤなど耳に入っていなかったし、鉄の心と言われても不思議じゃないなと自分でも納得してしまう。


「あの頃は荒んでたんだよ、俺もな」


「あはは、それを客観的に見られるようになっているというだけでも十分成長していると言えるさ。ロンドールの生活は楽しそうだな。今度聞かせてくれよ」


「ま、嘘言っても仕方ねえからな。一応楽しいってことだけは伝えておいてやるよ」


「それが聞ければ十分さ」


 そうして俺たちは長い間2人でいろいろと会話をした。


 どれもくだらない話だったが、長い付き合いのクロだからこそできる話だ。

 そんな仲間が、俺にも新しくロンドールで出来始めている。


 俺の帰る場所はあそこなんだと、何となく思い始めていた。

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