第42話 予期せぬ来訪者

 ドロシーと、俺の周り以外、完全に真っ白な景色が広がっている。

 キンとした空気は肌に刺さり、寒さで手がかじかむ。


 吐く息も白く、まるでここだけ冬になってしまったみたいだ。

 魔術とは恐ろしいものだと、改めて実感する。

 まあ、さっきまでの灼熱地獄に比べれば可愛いものだ。


 ――久しぶりの全力の魔術。


 本家の"アイスエイジ"に威力は大分劣るだろうが、キース先生の"インフェルノ"を破るには十分な威力だった。


 キース先生のあの魔術‥‥‥本当に本人の実力だったのか、それとも、死霊魔術の副作用のようなものだったのか。

 結局キース先生の口からはきくことが出来なくなってしまった。


 部屋の中央にいた当のキースは全身が凍り付き、まるで彫刻のように動かない。


 もう、凍死しているだろう。

 ‥‥‥いや、既に死んでいるのだから、純粋な死とは違うか。

 術の効果が切れた、と言ったほうが正しいかもしれない。


 氷漬けになったキース先生の表情は、どこか驚愕していながらも、微かに笑みが見える‥‥‥ような気がした。

 俺がキース先生と知り合ってから始めてみる感情溢れる表情だ。


 これで‥‥‥キース先生の苦痛は終わったと思いたい。

 仮にもこの学校の教師だったキース先生が、こんなことをしたくてした訳がない。


 せめて、安らかに眠れればいいが。


「――ふぅ」


 終わった‥‥‥。

 予想外に魔術を行使してしまったが、これくらいまあ問題ないだろう。

 ドロシーが寝ててよかった。

 発動の瞬間を視られようものならいろいろと面倒くさいことになるのは目に見えていたからな。


 と、その時後方でくしゃみの音が。

 噂をすれば、というやつだ。


「クシュん! ‥‥‥痛たた‥‥‥頭が…‥‥。というか寒っ!」


 ドロシーは虚ろな目で辺りを見渡し、身体を縮こませてブルブルと震える。


「な、何で急に真冬みたいに‥‥‥どこなのここ?! キースは‥‥‥!?」


 余りのギャップに、混乱するドロシー。

 そりゃそうか、さっきと真逆だもんな。


 ドロシーは立ち上がろうとするが、足元の氷に滑り「わわわ」っと慌てながら足をバタバタさせ、お尻から地面に倒れこむ。


「痛っ‥‥‥! あーもうなんなのよ!」


 思うようにいかずご機嫌斜めのようだ。


 俺はドロシーに手を差し伸べる。


「頭打ったけど、大丈夫か? 後尻も」


 ドロシーはキッと睨みつけると、尻って言うな! っと俺の手をはねのける。


「まったく‥‥‥というか、頭?」


 ドロシーは額に手を触れる。

 まだ乾いていない血が微かに残っている。


「――あー、あはは、これくらい大丈夫よ。‥‥‥それより本当にこれは一体‥‥‥」


 改めて辺りを見渡して、その豹変ぶりに唖然とした表情を浮かべる。


「何なのよこれ‥‥‥何がどうなったらこんなことになるのよ。まさかあんたが‥‥‥」


「激しい戦いだったってことだよ」


「全然説明になってな――」


 とその時、ドロシーの口が止まる。


 その視線の先のものを目にし、自然とドロシーの表情が慈愛に満ちる。


「‥‥‥そっか。そうよね。ここがこれだけ豹変してるってことは、よね」


 ドロシーは氷漬けになったキース先生を見て、何かを察すると、そっと俺の肩にポンポンと二度触れる。


「まあしょうがないわよ。今回ばかりはね‥‥‥。だれも悪くないわ」


「あぁ‥‥‥わかってるさ」


 ドロシーはニコっとはにかむ。


「――ま、あんたは気にしないんでしょうけど」


 ドロシーはニヤニヤと俺の顔を見つめる。

 こいつ、まだ最初の頃のことを‥‥‥。


「ふぅ、それより、上の方はどうなったかしら。魔獣の数がすごかったけど‥‥‥」


「そっちも気になるな。まあ、あの時すでに拮抗していたし、騎士団を呼んだのなら制圧出来てるだろう」


「そうね。それにしても、キース先生の狙いはあの本‥‥‥だったのよね?」


 そうだ。あの本。

 何故キース先生が‥‥‥いや、キース先生を操って学校内に潜入させた奴が、あの本を狙ったのか。


 俺は台座に近づく。上手く避けたつもりが、下の方が少し凍り付いている。

 俺は力を込めて本を台座から引き剥がし、残った氷を払うと、改めて表紙を見る。


「『闇と深淵』‥‥‥か」


 瞬間、膨大な量の魔力が一気に流れ込み、俺は目がぐるぐると回り何も感じなくる。

 魔力の奔流に直接あてられ、感覚が混乱する。


「ぐっ……?!」


 本にまだこんな魔力が残ってるのか‥‥‥!

 まずい……魔力の探知が効かねえ――。


 その時、ドロシーの叫ぶ声が聞こえる。


「ぎ、ギル‥‥‥!! 4時方向3メートル!! 魔力反応!!」


「あぁ!?」


 ドロシーの声にとっさに反応し、俺は無我夢中でその本で体を庇うように身を捻る。


 その瞬間、どこから現れたか二本のダガーが俺の手にあった本に命中する。 

 その衝撃に押し負け、俺は本を手放してしまう。


「くっ‥‥‥何だってんだ!!」


 何だ今のは……?!

 どっから現れやがった……?!


 ダガーの飛んできた方向を見たとき、俺は一瞬何が何だか分からなくなった。

 そこにはただ、黒い空間が宙に漂っていた。


 俺の目の前に現れたその黒い空間は、異常なほどの魔力を内包していたが、からは敵意は感じられなかった。


「なんだよこれ‥‥‥」


 その時、その黒い空間の中から一人の女性の声が聞こえてくる。


「ちょっと‥‥‥私聞いてないんだけどこの状況」


 次の瞬間、その空間から1人の女性が現れる。


 白い髪をした若い女性‥‥‥。

 20代と言ったところだろうか。


 黒いドレスのようなものを身に纏い、どこか妖しげな雰囲気を放っている。


 女は足元に落ちている本を拾い上げると、うんうんと頷く。


 まさかこいつがキース先生を操っていた‥‥‥。


「あんたが死霊魔術師か‥‥‥?」


 女はチラとこちらを見る。


「は? あんな奴と一緒にしないでくれない? ‥‥‥というかあんた誰? てかなにここ、寒いんだけど」


 女は寒そうに身を震わせる。

 両手で二の腕をさすりながら細い目をしてう~っと唸っている。


「――で、そういえばキース人形は? あんたなんか知ってるの?」


 俺は氷漬けのキースを指さす。


「あ――‥‥‥、回収は無理ね。本だけでいいか」


 なんだこいつ‥‥‥何でこんな余裕たっぷりなんだ‥‥‥?

 俺たちに攻撃されようが返り討ちに出来ると言う自信があるのか?


 いや、そんなことよりも、この女どこから現れた?

 ずっとここにいたのか? ――いや、それにしては気配も魔力も何も感じなかった。


 ……まさかあの空間から転移してきたのか……?

 転移魔術‥‥‥なのか? 冗談だろ‥‥‥?


 と、俺があれこれと思考を巡らせていると、その女は「あっ」と口にすると俺の顔をまじまじと見つめる。

 

「――ちょっと待ってあんた‥‥‥‥‥‥へぇ、なるほどね。彼の言っていた通りね」


 女はニヤリと笑みを浮かべる。


 な、なんだ‥‥‥?


「は? 彼? わけわかんねえこと言ってんじゃねえよ」


「分からなくていいわよ、いずれわかるかもね‥‥‥。それじゃあ私はこれで。ちょっとここ寒すぎるわ」


 女はブルブルと身体を震わせながら黒い空間の方へと戻ろうとする。


 まずい、本を持っていかれる訳には‥‥‥!

 少なくともキース先生についても何か知っているはず‥‥‥!

 

 ――つまり、逃がせねえ!!


 俺は女に掴みかかろうと手を伸ばす。


「ただで返すと思うかよ!」


 しかし、目の前が一瞬だけ黒くなったかと思うと、俺の伸ばしたその手は空を切った。


「!?」


 確かに今射程距離内に入っていたはずなのに‥‥‥!?


 さっきまで数メートル先にいたはずの女は、そこから更に5メートル先へと移動していた。

 何が起こった‥‥‥あいつ何であんな前に‥‥‥。


「ギル!?」


 ドロシーが唖然とした表情でこちらを見ている。


 あれ、あいつもあんな遠くに‥‥‥。


 いや、あいつが移動したんじゃない‥‥‥俺が後退させられたんだ‥‥‥!


「ちょ‥‥‥待ててめえ!!」


「じゃあ~ね~」


 女は投げキッスをして手を振ると、黒い空間の中へと消えていく。


 黒い空間は渦を巻くように凄い勢いで回転すると、どんどん収縮し、あっという間に消えた。


 俺たちは何もできないまま、理解も出来ないまま、本は誰とも知らない女に横から掻っ攫われた。

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