第5話 再認識

 身体が溶けそうなほどの蒸し暑さにうなされて朝目が覚めるというのを繰り返して、もはや何日目だろうか。


 そりゃ寝苦しい夜もあるさ、夏だもの。――――と言いたいところだが、いや、そう単純な話じゃない。


 ここ最近やけに暑苦しくてうなされ、たまらず目を開けると、そこには大きくて柔らかいものが顔面に押し当てられているのだ。

 それどころか、俺の華奢な身体を抱き枕のように両足で挟みこみ、がっちりとホールドしている。


 ――そう、夜な夜な手持無沙汰になったクロが俺の寝床に迷い込み(意図的だが)、俺のベッドに潜り込んでは好き勝手しているのだ。


「いやー、仕方ないじゃないか。縮んでしまった君はとても抱き心地がいいんだから。――それとも、抱き着かれて困るようなことが起こっているのかな‥‥‥?」


 そうやってニヤニヤした表情でクロは下着姿のままベッドから立ち上がり、寝る前に無造作に脱ぎ捨てたのであろうヨレたTシャツを適当に着るのだ。それがここ最近‥‥‥というか夏中続いている。


 いい加減目のやり場にも困るしそれ以外の情動にも困るし、支障しかない‥‥‥!


 魔術の鍛錬に明け暮れた前の時代の俺には言う程女に対する免疫はないのだ!!


 もともと自分で言うのもなんだがかっこつけたがりだし、あえて強がって見せるタイプだが、この子供の身体だとそれが返ってクロの母性をくすぐってしまうようだ‥‥‥。


 そう言うこともあって、俺は毎朝げっそりとしながら朝食のテーブルにつく。

 羞恥心というものがないのか(クロは決まって「人間は虫の前で裸になることに抵抗を覚えるのかい?」と極論をかましてくる)、中途半端な色仕掛けで俺を困らせてくる。


 長い年月を生き過ぎて普通のことじゃ楽しいという感情が湧くこともなくなってしまった故の奇行なのだ、恐らく。少なくとも千歳は余裕で超えているんだから、まともな訳がない。


 そのくせやってることはガキ臭いあたり、歳を重ねれば精神年齢も上がって落ち着いていくというのは万人共通の事項ではないようだ。


 といっても、老人になると子供の頃の心を取り戻してキラキラした好奇心が復活するという話もあるし、一概に言い切れるわけではないか‥‥‥。


 そんなこんなで今日も今日とて食卓テーブルに向かい合わせに座り、朝食を共にする。


「なあギル。どこ見てるんだ? わかっているんだぞ? さあ白状しろ」


「っさいなあ‥‥‥。どこも見てねえよ。――いいから黙って飯食えよ」


「やだねえギルちゃんは。反抗期かい?」


「母親面するな!」


 クロはケラケラと楽しそうに笑う。


「あー楽しい。思った通り、君をからかうのは楽しいなあまったく」


「六年もずっと飽きずにからかい続けるとは思ってなかったよ‥‥‥。どうせこのままいけば成長して以前の姿に戻るんだから、そうなったら覚えてろよ」


「どうせ元の姿に戻ろうが、魔術の力が完全に全盛期に戻ろうが、私にとっちゃ赤子同然なんだよなあ」


「‥‥‥うぜぇ~」


 悔しいことになかなか言い返せない‥‥‥。


 吸血鬼は人間には殺せない。それだけ上位の存在なのだ。

 万が一の可能性としてことは合ってもことは出来ない。


 本来、こうやって俺という人間に構っていることが異常なのだ。


「そういえば、今日はユフィちゃんは来ないのかい?」


 クロはパンを一欠けら口に放り込みながら質問する。


「さあ知らね。来るときは勝手に来るし」


「やれやれ、フィアンセのスケジュールくらい把握しておきたまえよ」


「フィアンセじゃねえよ!」


 俺は勢いよくツッコむ。


「俺にロリコン趣味はない!」


「やだ、嘘!? じゃあやっぱり私のような熟女が――」


「それもやめろ‥‥‥。だいたいさあ――」


 と、クロの目に余るちょっかいを今日こそ問い詰めてやろうと喉元まで言葉を用意し、朝食から視線を外してクロの方へと顔を向ける。


「最近毎日俺‥‥‥の‥‥‥――――?」


 すると、さっきまで饒舌に俺をからかっていたクロが一定の方向を見つめて険しい表情を浮かべているのが目に入り、思わず俺も何が起こったのかと自分の言葉を遮る。


 余りにも唐突に様子が変わるもんだから、俺は思わず息を飲む。

 

 俺は恐る恐るクロに声を掛ける。


「‥‥‥どうした?」


 何かを感じ取っているのか、キョロキョロと視線を動かす。


 長い髪がフワッと逆立ち、眼が徐々に赤くなっていく‥‥‥変異だ。

 でもなんで急に‥‥‥。


「ギル――」


 クロはさっきまでのおどけたような声色とは違い、低く冷たい声で語りかける。


「二人――いや、この感じだと三人か。ちょっと匂う奴らが村に入ったみたいだ」


「吸血鬼狩りの連中か? ‥‥‥あー、今はなんだっけ、異形狩りって名前なんだっけ? 代わり過ぎてよくわからん」


「どうだかね‥‥‥。――ただ、血の匂いはする、同胞のね」


「ど‥‥‥!?」


 同胞!? 


 まさか吸血鬼に遭遇して生きてられる人間がそう簡単にいる訳がない。

 普通に接している分には問題ないが、同胞の血‥‥‥つまり吸血鬼と一戦交えた奴らということだ。


「私の耳に入ってないってことはつい最近どっかの誰かがへまやったか、共有する程の事柄じゃなかったかのどっちかだろうね。‥‥‥ま、どちらにせよ警戒するに越したことはない。余り関わり合いにならないようにしな、君も何言われるかわからない」


「俺がどうやって関わるってんだよ。村にもほとんど行かないのに。むしろクロの方こそ先にちょっかいだすなよ」


「ふん、私達吸血鬼は擬態もなしに自ら人間に関わりに行くなんてことはしないよ」


「‥‥‥で、どうするんだ? 身を隠すのか? 村に入ったやつらの目的が何なのかわかるまでは事を起こしたくないんだろ? まあクロがお目当てかどうかは知らないけど」


 クロは俺の発言を鼻で笑う。

 なんだこいつムカつくな。


 さっきまで紅く灯っていた瞳は元の茶色へと戻っている。


「私を誰だか忘れてしまったのかな? イェネガンドの吸血鬼、クローディア様だよ。人間が逃げ出すことはあっても私が逃げだすことはあり得ないのさ。ま、擬態が見破られることなんてないし、日が経てば勝手にいなくなるだろうさ。――けどもしちょっかいだしてくるなら、その時は相応の対処をするだけさ。ここは気に入ってるからそうなっては欲しくないけどね」


 そう言うとクロは伸びをしながらクワーっと欠伸をし、気怠そうに立ち上がると「水浴びしてくる」と言って家を出た。


 ま、クロの言う事ももっともだ。

 誰が来ようとも、クロはクロのままだ。


 道のど真ん中を歩き、前から誰が来ようが、どんな障害物があろうが、クロは決して道を譲らない。

 それは慢心でも傲慢でもない。自分こそが最強の種族だという自負。ただそれだけだ。

 クロの前には障害は障害としての意味をなさない。


 ――にしても、よくよく考えるとクロなんていう吸血鬼に面倒を見て貰ってるなんて人類史始まって以来俺だけだろうな‥‥‥。


 俺は食べかけだったパンを一息に口に詰め込むとミルクで流し込む。


「ぷはぁ――‥‥‥うっま」


 俺はクロの同胞‥‥‥吸血鬼の血の匂いが漂うというその人物たちのことが少しだけ気になった。

 かつての最強魔術師としての知的好奇心が疼いた。

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