最初は、食品を売る声


これは何と言ったって、生活に密着していますから、寺田博士も「毎朝、目覚まし替わりに聞いていた」と書かれております。


まずは、「とーふー、とーふー」というラッパだったのか、声だったのか、朝、聞こえたのが、自転車やリヤカーで売りに来ていた豆腐屋さんです。お母さんたちはお味噌汁の具に豆腐や油揚げと、これを買い求めに、手鍋を片手に走りました。


私は豆腐のお味噌汁が好きだったので、寺田博士のように「目覚まし」替わりではなく、朝から大好物を食べられる合図でした。


それと、東京都江戸川区の我が家の周りには、「しじみー、あさりー」が来てましたね。

東京湾、それに繋がる江戸川、荒川などがきれいな頃でしたから、アサリやジジミを売りに来ていました。ちなみに、今も荒川ではしじみ漁師さんがいらっしゃいます。


この他、時間帯は朝ではありませんが、八百屋さんもリヤカーに野菜や果物を積んで売りに来ていました。


車が普及した1960年代後半から70年代(昭和40代)には冷凍庫を備えた軽トラックの魚屋さんもいらっしゃいました。これはどんな音だったか、覚えておりません。


季節で分ければ、「夏の思い出だよな」というのは、氷屋さんですね。


1960年代前半(昭和40年以前)は、今と違って〝電気〟冷蔵庫はありませんから、木の箱の冷蔵庫です。2段構造で、上に氷、下に冷やす食品をいれます。かき氷の氷を木箱に入れると思って下さい。


氷はリヤカーで運んでくる氷屋さんから、「1貫目下さい」なんて言って、買うんです。そうすると、シャァシャァとノコギリを引いて、その場で氷を切ってくれます。


リヤカーが来る音は忘れましたが、ノコギリの音はとても涼しい思い出です。


寒い冬の思い出は「いしやーきいもー」の焼き芋屋さんです。これは今でもありますね。


美味しい秘密はあの小石ですね。焼けた小石のなかでサツマイモが本当に美味しく焼ける・・ああ、食べたいですな。


小学生の時、学校の先生がバスを待つ間に、焼き芋屋さんから買っているのを見て、「先生も美味しいものは我慢できないんだ」と思いました。


さて、食べ物の締めは?「飲んだらラーメン」と一緒、チャルメラです。


夜、9時も過ぎた頃、聞こえてくる「チャラリーララ、チャラリラララー」の音、小腹が空いた時には堪らない音ですね。そうです、屋台のラーメン屋さんの音です。思わず、小銭を掴んで外に駆け出したこと、皆さん、一度はあるでしょう?


へへへ、よだれが出てしまいますね。


ところがです。この屋台のラーメン屋が全くいなくなってしまう事件が起きたのです。


それは昭和53年に発生した「手首ラーメン事件」です。


事の発端は、「殺した男の手首を屋台のラーメンの鍋で煮た」という殺人犯の自供です。


これが、「手首で取った出汁で作ったラーメンを、屋台で売った」と捻じ曲がって伝わり、「どこのラーメン屋だ?」と大騒ぎになったのです。


「東京の荒川の土手で売ってたらしいぜ」

「江戸川でもその出汁が使われたみたいだ」

「いやあ、凄げ濃い出汁なんだよ」


ヘンテコな噂が広まり、屋台のラーメン店を営んでいらした方々は酷い迷惑を蒙ったようです。


当時、私の家の近くに、倉庫を改造したラーメン屋台の合宿所のようなものがありました。1階には屋台置き場、2階には15人くらいが寝泊りしていたようでしたが、そんな話が広まってまもなく、全員いなくなりました。

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