第三章
第三章
「ここよ。」
勝代は小宮駅から三十分ほど走った所にある、小さな建物の前で車を止めた。本当に、小さな建物ではあるけれど、今度は自宅ではなくちゃんと絵などを展示してある場所なんだな、ということがよくわかった。
どんなに粗末な場所であっても、会場を借りるのと、そうでないのとは、モチベーションが違うということは、蘭もよく知っている。
「入場料は一人五百円何ですけど、蘭さんはとくべつよ。無料にしてあげる。」
蘭は入場料まで取ったのかとおどろいてしまったが、
「そんな考慮は要りませんよ。僕もお客の一人として、入場料しっかり払いますよ。」
と、勝代に五百円を手渡した。
「僕のほんの少しの気持ですよ。勝代さんに対する。」
「要らないわ。」
勝代は、蘭に五百円を返した。
「あなたにはありのままの私を見てもらいたいの。だから、お金なんて、払ってほしくない。お金を払ったりしたら、本当の私を見てもらえなくなる。」
「そうですか。」
蘭は、五百円を財布に戻してちょっとため息をついた。
「とにかく入って頂戴、一応十五枚展示してあるから。どんな細かい所でもいいから、うんと厳しく採点してね。」
勝代はしずかに言って、蘭を建物の中に入られた。
「はああ、之ですか。」
展示場には、総身彫りをした女性たちの写真が、十五枚展示されていた。みんな家庭内暴力をふるわれている女性たちだろうか。彼女たちは女性らしい、優しそうな明るい顔をしていた。中には、女性の象徴である、髪の毛を失って、坊主頭になってしまった女性や、乳房を失った代わりに、背中に刺青を入れている女性もいる。彫ったものはすべて、観音様や阿弥陀如来などの、仏教に関係するモノであることも共通していた。
「どうかしら、私の作品、彫師として、いけないところがまだまだあるかしら。」
蘭はそれよりも、こういう女性たちが、勝代を頼って来るのが羨ましかった。みんな頼るところがないから、神仏に頼りたくて、勝代にお願いをしてくるのだろう。それも何だか、いけないというか、それ以外になにか道はないのかと偉い人が言いそうだが、彼女たちはそれしかなかったのである。それしか。
でも、彼女たちは、みんな優しそうな顔をしていて、なにか安心していられると感じの顔をしていた。それは、ほっとする所だった。みんな、体に彫って貰っている事で、すごく安心するのだろう。大人になると、どうしても守ってもらうということはできなくなるから。日頃から家庭内暴力にさらされたり、女性の象徴を失って、周りに馬鹿にされたりしている女性たちは、どんなに苦しい事だろうか。それを解消してくれるのが、刺青なのかもしれなかった。
「みんな、同じことを考えているのですね、体の一部に神仏を入れて守ってくれていると解釈しているのかなあ。」
蘭は正直な感想を言ったが、
「あら、此間のような感想は仰ってくださらないのですか?」
と、勝代が聞いてきた。
「いや、そのね。」
と蘭はちょっと口ごもってしまう。
「この間のように、ここの毛彫りがダメだったとか、仰ってくださらないの?」
そういわれても蘭は答えがでない。
もう一度、頭をひねって、答えを考えてみる。でも技術的なことでは文句などでてこない気がする。
「何もないんですか?」
そういわれて、蘭はますます困ってしまった。
「いやあ技術的にどうのこうのじゃなくて、それよりもこうしてくるしんでいる人たちを助けてあげられるというのが羨ましいです。」
それしか答えが出ない。
「何で、何も指摘してくださらないの?このまえマークさんと会いに来てくれたような指摘はないの?」
「いやあ、それはどうも、、、。」
勝代に言われて、蘭はそれしかいう事が出来ない。
「蘭さん変わっちゃったわね。」
勝代はちょっとがっかりした様子で、蘭を見た。
「蘭さんって、いつまでも、職人気質を失わない人だと思っていたけど、何だか覇気がなくなっちゃったみたいじゃない。それでは、蘭さんらしくないわ。」
「そうですか、、、。」
蘭もなんだか申し訳ない顔をするが、どうしても、それ以外の感想は思いつかなかった。
「なにか、もめ事でもあった?」
ふいに勝代が聞く。
「い、いや、そんなことないんですけどね。」
蘭はわざと明るい声で言ったつもりだったが
「いいえ、必ずなにかあったでしょ。普段の蘭さんって、そんなに気の弱い人ではないはずだから。」
と言われてしまった。
「いや、そういう訳じゃないです。本当にそれだけの事なんで。」
「ごまかさなくたっていいわ。あたしの前では。」
不意に勝代がそういったため、蘭は力が抜けてしまう。
「何も隠さなくていいのよ。きっとなにか心配事があるんでしょ。隠さずに話してごらんなさいよ。あたし、お客さんにもそうしているんだけど、全部悩んでいる事を話してもらってから、彫ることにしているの。ため込んだままにしてはいけないでしょうからね。そうしないと、手彫りの痛みに耐えられないかもしれないし。」
つまりそのくらい、頭を空っぽにしないと、耐えられないほどの激痛であるという事だが、蘭は勝代に
そういわれても、話をすることは出来なかった。そういうことを話してしまったら、何だか自分が笑われてしまうというか、馬鹿にされてしまうような気がしたのだ。
「そうですね、、、。」
そうはいってみたものの、やっぱり黙ってしまう蘭。
「あたしには、お話してくださらないのね。」
勝代は、何だか残念そうに言った。
「い、いやあ、誰にだってあるでしょう。人には言えない悲しみとか悔しさも。」
それだけやっと言ってみる。
「そうだけど、こういう現場では、弱いところもすべてさらけ出してしまったほうが良いのではないかしら?あたしたちの仕事は、そういう所を克服する手助けでもあるんだし。」
勝代はそういってくれるが、やっぱり蘭は話す気になれない。すきなひとであるからこそ、嫌われるのが怖くて、本当のことを話すことが出来ないのだ。
「勝代さんは女だから、なんでも話てしまった方がいいのかもしれないが、僕は男だから、お話は出来ませんよ。男は、黙っていた方が男らしいというモノです。」
そんなカッコいいせりふを言った蘭であったが、本当はとてもとても心配していることが頭の中にああった。本当なら誰かに共感してもらいたい。でも男として、それをさらけ出してしまうのは、何だかかっこ悪いというか、いけないような気がした。女はいろんなことを口にしていいようになっている様で、女を対象にしたカウンセリングという商売も流行っているけれど、男の場合はそうではない。きっと、黙って状況に耐える事、それが男の美学なのだろう。
「僕は男です。慰めてほしいとかそういう気持はありません。」
蘭は、勝代にきっぱりと言った。
「そう。なら、私の作品、しっかり審査してもらえないかしら。」
勝代は再度お願いした。
「わかりました。」
蘭は初めて職人の目になって、彼女の作品をしっかり観察し始めた。確かに彼女の作品は以前見たときよりもうまくなっていることは明らかであった。あえて指摘するなら何だろう?と蘭は考えに考えて、
「そうですね。指摘をすると言えば、観音様や阿弥陀如来の表情でしょうか。彼女たちは、その神仏に守られて安心するわけですから、もうちょっと、優しい顔を彫って上げたら如何ですか?」
と指摘した。
「出来れば、なるべく本物に近い顔を彫るといいと思います。事実、中宮寺の如意輪観音は、もっと穏やかで優しい顔をしています。」
「そうね。」
と、勝代は言った。
「私、中宮寺も何も行ったことがないのよ。学校でいじめられてて、修学旅行に行かなかったから。大体の子は、修学旅行で仏閣を見るでしょう。私はそれをしていないから、観音様のお顔何て見たことがない。だから全部想像で彫るしかないの。写真何か見ても、限界があるし、やっぱり本物を見て、彫った方がいいわよね。」
この答えに蘭は意外だった。それなりに勝代は美人だし、学生の時はかなりしあわせに生活していたのではないかと思っていたが、いじめられていたとは。
「いろんな人に彫って差し上げたけど、それをしている中で一番癒されたいのは自分なんだって、最近気が付いたわ。それをしていることで、自分の心の傷も同時に解消している感じ。でもまだ、私、いじめられた時の事は、今でも頭の中に残ってる。何でなのかな。まだ、癒されてないんだわ。お客さんの話を聞いてあげながら、自分の答えを探すなんて、いけないの事なのにね。」
「勝代さん。もしよければですが、僕と京都行きませんか。」
蘭は、勝代の顔を見て、にこやかに言った。
「そんなこと、勝代さんが自分を責める必要はありません。それはいじめた奴が悪いんです。楽しみにしていた修学旅行にいけなくさせた人が悪いんです。だから、もう一回、やり直すのはぜんぜん悪くありません。」
蘭がそういうと、勝代は嬉しそうににこやかに笑った。
「有難う。お気持ちだけもらっておくわ。今は、ちょっとそれどころじゃなさそうだから。」
「それどころじゃなさそう?」
蘭はその意味がわからなくてもう一度言ってみる。
「どういう事ですか?京都位、新幹線に乗っていけば、すぐにいけるじゃないですか。」
「蘭さんにもそのうちわかるときが来るわ。」
勝代は、謎めいたせりふを残した。
「どういう事だろう、、、。」
首をひねって考えていると、突然、展示場のドアに付けておいたカウベルが、カランカランという音を立ててなった。
「もう来るわよ。」
勝代は、それだけ言った。
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