封じの塚


 軒車けんしゃから降りた月影げつえいは、たくさんある供養塔くようとうには見向きもせず、ただあるものを目指した。

 その後ろを、少し遅れて風雅ふうがが付いてくる。彼は、街道を通る他の人々の通行の妨げにならないよう、脇に逸れたところに軒車を止めさせ、そこに従者たちも留め置いた。

 二人の兄弟は、もはや林立りんりつしているといってもいいくらい多い供養塔を、かき分けるようにして進む。

 月影は、あるモノの前まで来ると、立ち止まった。

 そのあるモノとは。封じの塚のことだった。

 封じの塚の正式名称は、“あやかし封じの塚”という。その名の通り、異形のモノが封じられている塚だ。

 花国の各地の至る所にそれはある。

 なぜか。それは、花国かこく国造り伝説までさかのぼる。


 花国初代女王であり、花国の建国の祖であるこう明花めいかは、四霊しれい四神しじんの助力を得て跳梁ちょうりょう跋扈ばっこしていた妖を地の底へ封じたとされている。

 その時、数多の妖は、あるモノは滅され、あるモノは封じられた。

 しかし、この世界にはもともと、別の世界との狭間はざま、すなわち境目がある。そこは、妖が集まりやすい吹き溜まりでもあるのだ。

 つまり、“妖封じの塚”は、妖などの悪しきモノが、この世に――現世うつしよに、出てこないようにするためのものなのである。

 それを管理するのが、四神宗家の筆頭分家である各斎家かくさいけの役割でもあった。

 斎家の一番の仕事が、各四神宗家が名に負う四神を祀ることであるならば、第二の仕事は、妖などの異界のモノや、悪霊などの諸々――この世の生ける人々に害を与えるモノ――を、ともかく祓うことである。

 そのため、各斎家に生まれたほとんどの者は、成人するとすぐに一族の者たちで作る組に入れられて、自分の住む州の各地を旅をしなくてはならない(それが、一人前の神官または巫女になるために今まで修行を積んできた若者たちの、最後にして最大の試練だといわれている。それと同時に、実地訓練の一つなのだ)。主に、斎家の神官や巫女で形成されるこの旅の集団は、俗に“流浪るろう巫覡かんなぎ”と呼ばれ、各地に存在する封じの塚の状態を、定期的に確認していた。

 このような、花国にとってもとても重大な役割を担っているため、四神宗家の筆頭分家である各斎家は、別名四斎家とも呼ばれる。

 当然、珀本家の御曹司として生まれた月影は、神官になるための修行をみっちり積まされていた。しかし、珀本家の御曹司であるからこそ逆に、旅という試練を課せられることもなかったであろうといえる。

 そんな月影は、くだんの塚を見た。全体の大きさは、五つ、六つくらいの子どもが立っているくらい。

 うん。これなら、いける。

 そう目星を付けた月影は、不意に右手首にぐるぐると巻き付けていた組紐くみひもを外す。塚の前に片膝をつくと、それを塚にくるっと一周巻く。それから、簡単に取れてしまわないように、組紐を硬く結んだ。

 これは、いわゆる封じ結びと呼ばれる、珀家の神官独特の結び方だ。その複雑な結び目は、珀家の神官のみ外すことができる。いわば、珀家の神官以外、何人も外すことを許されない、いましめでもあった。

 月影は組紐を結び終わると、すっと立ち上がった。ふところから数珠じゅずを取り出すと、それを左手に持つ。

 準備がすべて整った月影は、息をすべて吐ききると、深く息を吸った。目を、視覚を、静かに閉ざす。

 すると。一瞬で、月影が纏う気が変わった。ぴりりと張り詰めた空気が、周囲を支配する。しん、とした静けさが辺りに漂う今、聞こえるのは風の音のみであった。

 近くにいた風雅には、月影の変化が手に取るようにわかった。

 月影は、両手を合わせるように指を組み合わせ、そこに数珠を掛ける。いわゆる印を結んだ彼は、封じの呪文を厳かに唱え始めた。

珀氏はくし戒誠かいせい、ここに謹んでお願い申し上げる。このくにの西を守護なさる偉大な白虎の神よ、我が願いを聞し召し給え。そのかしこ御名みなもとにおいて、在るべきものを、在るべきところへ留めさせ給え」

 そう月影は唱えると、組む手を変えた。その印は、結びの印。

けつ!」

 裂帛れっぱくの籠った言霊が、静かに放たれる。

 風雅は、たゆんでいた弓のつるが、ぴぃんと、一瞬で張り詰めたような感じがした。まるで茶碗の欠片カケラが、欠けていた部分にぴったりとはまったようだ。

 さらに、封じの塚の周りに漂っているであろう亡者が、封じの塚に寄って来ないように、月影は、ぱんっぱんっと、柏手を打つ。

 こうして、封じの塚の周囲を柏手一つで浄めた月影は、ここで初めて目蓋を開けた。

 月影は、傍らで彼を見守っていた兄の方を振り返る。

「兄上。封じの塚の封印が、けかかっていました。一応、応急処置はしておきましたので、あとで、珀家に神官派遣の要請して、正式に封じてもらってください」

「すごいな、月影」

 風雅は、素直に感心した声を上げる。

 ちなみに、彼も珀本家という斎家の出身だが、途中で神官修行をやめざる負えなかったため、月影のような能力はなかった。ただ、一般人よりも、霊感があるだけだ。

「まあ、僕も一応珀家の神官の端くれなので。これくらいできて、当たり前です」

 兄の褒め言葉にも、喜ぶことはなく。月影は、顔色一つ変えずに、さも当然とばかりに言い切った。

「兄上」

 月影は、短い言葉で話しかけると。あとは、無言で呼びかけた。

 月影は、少し遅れて風雅も、たくさんある供養塔にきちんと手を合わせる。彼らの冥福を祈って。今度はちゃんと故郷に帰ることができるように。

 二人の兄弟は、時間をかけて、ゆっくりと供養塔に向き合った。

 それが終わった後。

「兄上。急に軒車を止めてしまい、すみませんでした」

 珀家の神官から、風雅の実弟に戻った月影は、急に殊勝になって兄に詫びた。

 ちなみに、戒誠というのは、月影の神官名である。彼は、真名まなである月影の他にも、神官名という仮名かなも持っていた。

「いいや。構わん。それよりも、封じの塚の結界が壊れかかっていた方が、よっぽど問題だ。白宗家は、今はもう白西州の州侯という支配者ではなくなった。が、民の安全を保障し、民草の暮らしが少しでもよくなるように励むのが、俺たち白家の人間の仕事だ。気にしなくていい」

 風雅は首を横に振ると、静かな口調で月影に言った。力こそ籠っていなかったが、その声には彼が白宗家の一員であるという、隠しきれない矜持きょうじがにじみ出ていた。

 もう、兄は正真正銘の白宗家の若さまなんだな。月影は、改めてそう思った。

「さ、行くか」

「はい。兄上」

 風雅はくるりと踵を返した。その後ろを、月影はついていく。

「先ほどのことは、ちゃんと珀家と白宗家に伝えておくから安心しろ」

「はい。よろしくお願いします」

 もと来た道を歩きながら、風雅はあとは自分に任せるよう、月影に言った。彼を安心させるために。

 やがて、彼らの従者と軒車が待つ所まで着くと。

 風雅は、待たせておいた従者たちに、短く礼を言った。それから、慣れた足取りで、再び軒車に乗り込む。

 月影は、軒車に乗る前に、もう一度後ろを振り返った。今さっき、自分が仮の封印を施した、封じの塚を。

 ふと、珀本家の屋敷にいるであろう、弟妹のことを思い出した。今頃、彼らはどうしているだろうか。

 月影が彼らと別れ、一人白宗家の屋敷にやって来たのは、まだ雪も溶け切らないころであった。

 あれは、四月ほどさかのぼる。


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