生贄にされたくない


「そういえば、兄上。これから王都・瑞花ずいかへと向かうんですよね?」

 しんみりとしてしまった軒車けんしゃ内の空気を払拭するように、月影げつえいはあえて明るい声で、兄に尋ねた。

 それに、風雅ふうがは、ああ、と言って、うなずいた。

「そうだ。その前に、色々と寄らなくてはいけない場所もあるが、少しばかり、付き合ってくれ」

「はい。わかりました」

 特に異論もなかったので、月影は二つ返事で肯定した。

「さて。お堅い話はこれで終いだ。じゃあ今から、おまえの話を聞こうか。言いたいことがあれば、言ってくれ」

 風雅は、弟にある提案をした。

「本当ですか」

 月影の顔が、ぱぁっと輝く。

「何でもいいぞ。愚痴ぐちとか不満とか」

 そんな弟の表情を見た風雅は、鷹揚おうようにうなずく。

 月影は、しばらく躊躇していたが、兄の態度が変わらないのを見て、

「じゃあ、遠慮なく」と、軽く前置きをした後。大きく息を吸った。その、次の瞬間。

「なんで、なんで、なんで僕がぁ行かなきゃなんないのですかあ!!!!」

 月影は、軒車が大きく揺れるくらいの声で、叫んだ。風雅は思わず耳を塞ぐ。

 軒車を引っ張っている馬が驚き、いなないたのを、御者はどう、どう、と言って鎮めようとした。

「ちょ、月影?! いい加減に、諦めろよ! そりゃそうかもしれんが、おまえしか、該当者がいなかったからだろうっ」

 風雅は、月影と同じくらいの声量で叫ぶ。

 御者は馬を、風雅は月影を、落ち着かせなくてはいけなかった。

「そんなぁ~、兄上までひどいっ!」

 月影が、うるうるとした瞳で風雅を見つめてくる。

 やめてくれ、と風雅は思った。月影の容姿――いつも、可憐かれんな美少女に見紛われるほどの中性的な美貌(本人は、かなり劣等感を持っているらしい)――と相まって、何だかこっちが悪いことをしているように思ってしまう。

 大して慰めてくれない兄に、本当に捨てられたと思った月影は、風雅から顔を背け、大げさにたもとで涙をぬぐうふりをしてから叫んだ。

「いいもんいいもん、どうせ、どうせ、僕はぁ生贄イケニエにされてしまうんだぁ、うあぁぁぁぁ――――――――…んっ!」

「お、落ち着け、月影」

「これが落ち着いていられるわけないでしょうが、兄上! 何が竣影を行かせるだ、僕の可愛い弟を人質に取り上がって! そんなこと、認められるわけないだろう! あの策士め! きっと腹の内は真っ黒だ!」

 策士というのは、おそらく珀本家の当主である俺たちの祖父のことを言うのだろう。

 なるほどな。風雅はそう思った。

 月影は、十中八九、祖父に言いくるめられて、白宗家に寄こされたのだ。もちろん反論もしたのだろうが、結局は祖父の良いように、手のひらで転がされるしかなかったのだろう。

 やはりまだ、完全には納得がいかなかったらしい。月影は、今までの不満を一気に吐き出し始めた。

「ま、まあ、そう言うなよ。でも、これはとても名誉なことでもあるんだぞ?」

「は? 何がです? 一族代表として王都に半強制的に単身送り込まれることですか、それとも終わりが見えなかった宮中に上がるための作法やらうんぬんかんぬんを、延々とやらされたことですか?」

 誰か、代わってくれるのなら代わってくれ。僕は、それこそ大手を振って歓迎してやるよ。

 月影は、風雅に冷たい目線を向け、彼の言葉を一思いに切り捨てる。

 今まで溜まりに溜まったうっぷんを一気に吐き出す月影は、相手がたとえ実兄であろうが、白宗家の若さまであろうが、一切容赦なかった。

 そんな月影の不満を真っ向から受ける形になってしまった風雅は、内心かなりたじたじになりながらも、弟のそれをなんとか鎮めようとする。

「で、でも、王都・瑞花はすごいぞ。もちろん、我が白西州も、西域からの富が集まる商業の盛んな地だが、王都はもっとすごい。なんせ、国中の人や富が集まるんだからな。大通りの活気は、白扇や琥連とは桁違いだぞ。ま、まあ、物見遊山ものみゆさんにでも行くつもりで、行って来い」

 さりげなく、ここで王都の良いところを挙げておく。

 それを、だからと言って正直、どうでもいい…………くらいの生返事をし、窓の外に目を向けた月影はあるものに気が付いた。

「そうですか…………あ、」

「どうした、いきなり」

 風雅が、不思議そうに月影に問う。

「あれは、何ですか? 兄上」

 月影は、窓から少しだけ身を乗り出して、あるものを指した。

「あれって…………。ああ、これのことか」

 少しばかり記憶を遡っていた風雅は、すぐに思い出したように頷いた。

「これは、塚だよ」

「塚ですか?」

 塚か。月影は、心の中で呟く。

「ああ。ここは、旅の難所でな。ほら、あっちの方に、潤流ジュンルとうげがあるだろう? この道ができるまでは、わざわざあの峠越えをしなくてはいけなかったそうだ。あの峠越えに失敗して力尽きた旅人や、馬や牛や…………。まあいい。で、そんな哀れな魂を、慰めるために、近隣の人々が始めた風習らしい。だから、供養塔と呼ばれている。時が下るにつれて、いつの間にか、こんなに増えてしまったらしい。いわば、旅路で尽き果てたものたちの、墓場だ。どうやら、封じの塚も、混じってしまっているらしいが、」

「兄上。軒車を止めてください」

「どうした?」

「止めてください」

 月影は、兄の言葉に重ねるように、強く言い切った。あるものから、少しも目線を離さずに。

「…………ああ。仕方ないな、わかったよ」

 小さく嘆息した風雅は、早々に諦めた。

 こんな風になってしまった月影は、それこそてこでも動かない。それを、経験上良く知っている風雅は、御者に軒車を停めるように言った。


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