王都・瑞花へ


 深く降り積もっていた雪が少しずつ溶けて、かわに流れ。まだ寒さが残る早春に咲く梅の馥郁ふくいくたる香りが、鼻孔びこうを、胸を大きく膨らませる。

 鳥も、ゆるんだ暖かさを運ぶように、ゆったりと鳴き始め。やがて、草木が、大地が、一斉に芽吹き花を咲かせ、鮮やかに春の訪れを人々に知らせる。

 そんな季節も過ぎ。

 白西はくせい州は、すっかり初夏を迎えようとしていた。

 月影げつえい軒車けんしゃ(花国では、王族や特権貴族、朝廷に仕える高官という、いわゆる官僚のみが乗ることを許された馬車のこと)に乗り、手元の本を読んでいた。

 その本の題名は、『四神宗家の成り立ちについて』。

 それは、以下のような話である。


◆◇◆◇◆


 花国は、青東せいとうしゅう白西はくせい州、朱南しゅなん州、玄北げんほく州、黄央こうおう州という五つの州に分かれている。

 ここで、皆は気がつくだろう。女王陛下がおわします王都“瑞花ずいか”がある黄央州を除けば、すべての州の名に、東西南北の文字がそれぞれ含まれていることに。

 その理由は、花国の国造り伝説からうかがうことができる。


花国かこく国造くにづく伝説でんせつ(三段)》

 花国を建国した初代女王・こう明花めいかには、六人の子どもがいた。

 彼らは、兄弟姉妹とても仲が良く、女王であった母を万事にあたり助けたと言われている。

 そんな彼らを信頼していたのだろう。

 女王黄明花は臨終の時に、子どもたちを枕元まくらもとに呼んで、このような遺言を遺したという。

“次男である王子には、北の地を。

長男である王子には、西の地を。

三男である王子には、南の地を。

三女である王女には、東の地を。

そして、長子で長女である王女が、黄王家を継ぎ、国を治めよ。”と。

 この遺言を誠実に守った彼らは、母王の喪が明けたのち、それぞれの地に旅立った。


 ちょうどその頃、建国に貢献した神仙しんせんらもある決断をする。

 四霊しれいは、黄王家の守護神となり、四神しじんは、花国の守護神となる。そして、四霊は黄王家の本拠である花国の王都“瑞花”に留まるが、四神は宿る地を各々おのおの決め、花国の各地に散っていった。

 北の方位四神である玄武げんぶ神は、広がる平原と険しい山々のある北の地へ。

 西の方位四神である白虎びゃっこ神は、広々とした高原と、荒涼こうりょうとした砂漠が広がる西の地へ。

 南の方位四神である朱雀すざく神は、肥沃ひよくな大地が広がる平野のある南の地へ。

 東の方位四神である青竜せいりゅう神は、鬱蒼うっそうとした森と、実り豊かな平野が広がる東の地へ。

 ……というように。


 そこに、何かに導かれるようにやってきた王子と王女は、それぞれ旅先で、四神と出会う。

 四神が花国の守護神となったことを知り、深く感謝した彼らは、それぞれ四神をまつる宮を建てた。

 それを知った彼らの姉でもある花国第二代目女王・こう秀花しゅうかは、このことを大変喜び、彼らに祀る四神の最初の文字を姓名として下賜かしし、臣籍降下しんせきこうかさせ、母である先の女王の遺言通り、その地を治めるように命じた。

 げん氏は玄武神を祀り、花国の北の地を治めよ。

 しゅ氏は朱雀神を祀り、花国の南の地を治めよ。

 せい氏は青竜神を祀り、花国の東の地を治めよ。

 はく氏は白虎神を祀り、花国の西の地を治めよ。

……というように。

 後に、この四神を祀る四氏族は、四神宗家と呼ばれるようになり、黄王家の次に尊き家とされるようになった。

 そして、黄王家は女系となり、代々黄の一族の王女が王位を継承し、女王として国を統治するようになった。



(これが、四神宗家の始まりか…………)

 月影は、ここまで一気に読むと、その本を閉じた。

 月影自身、この話は幼いころから何度も読み聞かされてきたため、別に新鮮さがあるわけでもない。しかし、今改めて読んでみると、四神宗家は黄王家の分家であり、四大家という異名もうなずけるほどの名家でもあるのだなと、思わずにはいられなかった。

 それから、月影は本から目を離し、車窓の風景をぼんやりと眺め、物思いにふけっていたのだが。

「月影。おまえ、さっきからずっと浮かない顔をしているな」

「兄上」

 窓の外を眺める月影に、声をかけてきた人物がいた。月影は、目線を外から軒車けんしゃの中に戻し、その人物の方を見る。そこには、軒車の中で月影と向かい合うように座る、一人の青年がいた。

 月影が兄上と呼んだこの人物こそが、月影が生まれる前に養子ようしにもらわれていった珀本家の跡継ぎ夫婦の長子である。

 名を、はく風雅ふうがという。

 そう、彼の養子に入った先は、あの白家なのである。それも、四神宗家が一つ、白宗家だ。

 普通なら、珀本家の跡継ぎ夫婦の、それも長男として誕生したのなら、養子に出されることはなかっただろう。

 しかし、やむにやまれぬ事情があったため、彼は六歳のときに生家を離れたのである。

 そのやむにやまれぬ事情というものは、次の通りである。


◆◇◆◇◆


 今からかれこれ二十数年前。

 白宗家の当主がまだ代替わりしていなかったころの話だ。

 そのころ、白宗家の当主の跡取りのはく嵐雅らんがには、一人の奥方がいた。彼と、その奥方との間にはこの時点ですでに四人の娘がいたが、白宗家の当主になることができる肝心の男の子は、一人もいなかった。

 そんなある日、彼の父でその当時の白宗家の当主(先代の白宗家当主)が、逝去せいきょする。が明けたあと、正式に白宗家の当主となった彼の前に、以前から続いていた跡取り問題が大きく立ちふさがってきたのである。

 一族や家臣たちは、いっこうに男児を産めない彼の奥方以外に、別の奥さんも持てば、と進言する者もいた。いわゆる、側室そくしつというやつである。ちなみに白西州では、一人の男は三人まで妻をめとっていいことになっている。まあ、そんなことができるのは、金持ちの商家の旦那か、それなりの貴族くらいだが。

 ともかく、そんな側室まで周囲に進められるようになってしまった彼は、さんざん悩んだ末に、苦肉くにくの策を実行しようと思い立った。奥方を心から愛していた彼が、たとえ家のためでも、側室を迎えることなど耐えられるはずもなかったからだ。

 その苦肉の策が、なるべく白宗家の直系で、血が近い男児を他家から養子として迎えることであった。その時、白羽の矢が立ったのが、当時まだ五歳の幼児であったはく風影ふうえい、すなわちのちの白風雅である。

 実は、風雅の父は、先代の白宗家の当主の息子であり、婿養子として珀本家に入った人物であった。少々ややこしいにはなるがつまり、嵐雅の弟でもあるということだ。彼は、珀本家現当主の月影の祖父の一人娘を奥方としたのである。何よりも、父系であることを良しとする白西州では、風雅は申し分もない候補であった。

 実兄からこの提案を聞いた風雅と月影の両親で、珀本家の跡取り夫妻は、惣領そうりょう息子を自分たちの元から手放す離すことを、断腸だんちょうの思いで了承する。それに白宗家にはほかに目ぼしい候補もいなかったため、一族も家臣らもこれを認め、一年後、風雅は正式に白宗家に養子入りした。

 長くなったが、紆余曲折うよきょくせつの後に養子入りし、今ではすっかり白宗家の跡取りとして頼もしく成長した兄を、月影は実兄でありながら、どこか遠い世界に住む人を見るような気持ちで、見ていたのである。


 ちなみに、月影が生まれる一年前に養子に出された風雅だが、子どもの頃は、一年のうち二月ほど、珀本家の屋敷に遊びに来ていた。後から聞いた話だが、白宗家の現当主で、月影にとっては伯父にあたる嵐雅の、しぶしぶ養子入りを了承した弟夫婦に対する気遣いだったらしい。 

 そんなわけで、毎年夏に、避暑ひしょの様なかたちでやって来る風雅は、歳の離れた幼い弟である月影を、とてもかわいがってくれた。それこそ、目に入れてもいたくないほどの激愛げきあいっぷりだったと、のちに振り返った月影らの両親が苦笑するくらいに。

 月影も、たまにしか会うことのできない風雅に会えることが、とても好きだった。遠くからやって来る兄は、自分の知らない世界を連れてやってきてくれるような気がしたのだ。実際、年々、兄がくれたお土産が自分の室に増えていくたびに、そう感じたものである。

 しかし、何よりも月影を喜ばしたのは、兄が語る数々の話であった。それは、特別なものではない。例えば、白西州の州都・白扇はくせんを一望できる山を登ろうと、馬に乗って駆け、その山の上の方から見た景色は最高であった、とか。白扇で行われたお祭りで、大通りに掲げられた多くの釣灯篭つりどうろうともしびが、とても幻想的だった、とか。そんな、風雅にとっては何のとりとめもない話ばかりだ。しかし、ほとんど珀本家の領地から出ることもなく、一族が祀る白虎神に仕える神官になるための修行をしていた月影にとって、それは何よりも魅力的なものであった。

 そんなわけで、月影と風雅は、普段住んでいる場所こそとても離れているが、心の距離は仲の良い兄弟のそれと、変わらなかった。

 閑話休題かんわきゅうだい


 長い回想から現実へと戻ってきた月影は、

「それはそうですよ。兄上。僕の気持ちをご察しください」

 話しかけてきた兄の方から目をそらし、再び窓の外を見つめる。正直、やってられるか、という気持ちしかない。

 そんなどこかすねた実の弟の姿を見た風雅は、苦笑した。

「まあ、そういってくれるな。確かに、おまえには迷惑をかけるが、これは誰かがやらなかったらならないことだ。悪いが、我慢してくれ」

 月影は、はぁーとため息をつく。

 そうだった。この兄だって、白宗家の跡取り問題の一番の当事者であり、苦労もしてきた人だった。忘れていた。

 それに、今回のことは、兄は少しも悪くない。だから、兄に当たるのは、間違っていた。

「…………すみませんでした。わかっていますよ兄上。僕も、もうそんなに子どもではありません。だから今回のお務めは、しっかりやります」

 一応反省の言葉を述べ、謝罪する。

 そんな弟の気持ちもわかっているのだろう。風雅はもう一度苦笑した。

「すまんな。月影」

「いいえ。大丈夫です」

「…………そうか」

 風雅はなお、すまなそうに頷いたのである。


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