第2話 その雨の夜、イツとメイ
「降り止まないね」
「今回は長いな」
「何時振り?」
「半年だったか。それとも十年ぶりだったかな」
頬杖をついて、イツは窓の外を見た。
本当に嫌になってしまう。ここ1週間、ずっとこの辺り一帯は雨模様なのだ。
多少激しくなったり、収まったりを繰り返してはいるが一向に雨が止む気配はしない。
村の端の森の入り口に住んでいる魔女に依れば、そろそろ長雨は終わるらしいが、それもどこまで信用したらいいものやら。
夜闇に浸かった窓の向こうで森の木々が葉を雨粒に叩かれてざわりざわりと囁き声を上げる。
「何か飲もうか」
向かいに座っていたメイが立ち上がる。
ぴょん、と勢いをつけて飛び降りるように椅子から降りるとメイは綺麗に板の間に着地する。
何がいい?と首を傾げる姿は幼い子供そのものだ。見た目だけで言えば、イツもメイも同じようなものなのだが。
「何でもいいよ」
温かいものが飲みたい、という前にメイはさっさと台所の方へ行ってしまった。イツはメイの小さな背中を横目で追いながら呼び止めることを早々に諦める。何も言わずとも、メイは何時だってイツが飲みたいと思ったものを的確に当ててくる。
メイにとってイツとはそういうモノで。
イツにとってメイとはそういうモノなのだ。
どうやら、ハーブティーにしたらしい、とイツは鼻を引くつかせてキッチンの向こうから漂ってきた芳香にうっとりと目を閉じた。甘い香り。そして少し、スパイシーな香り。
蒸気だけで身体がぽかぽかと芯から温まるような、柔らかな香りはイツもメイも気に入っている魔女特製ブレンドハーブティーのものだとすぐに分かった。
カモミールアンドジンジャー、と思わず呟くとドアを開けたメイが「あたり」と悪戯っぽく笑いながら丸いティーポットを両手で抱えていた。小柄なメイは流石にポットとカップを一緒に持つのは無理だったらしい。イツもメイとはほとんど身長も体格も変わらないのだが。
イツも椅子から飛び降りてキッチンにあったカップを手に取った。
流石というべきか、メイはきちんとお湯をカップに張って温めている。
気を付けてね、という声におざなりな返事をしながらカップからお湯を捨て、手早く布巾で拭う。せっかく温めたカップが冷めてしまってはもったいない。
ふたり揃って、温かいハーブティーをふうふうと丁度良い温度まで冷ましながら少しずつ口に含んだ。飲み始めるタイミングまで一緒だ。
口に含んだ瞬間、甘い花の香りが鼻を抜けて、喉から胸のあたりにじんわりと生姜の温かさが広がる。まるで、胸元に向かって小さな火が灯っていくようだ。優しい、蝋燭の火のような灯り。
ほう、とまたふたり揃って溜息を吐いた。
吐いた息さえ小さな火が灯っているように柔らかに温かい気がする。
夜の闇の中で吐いたなら小さな炎でも上げられるんじゃないかとイツは密かに思う。
「当代の瑛は、よくやってるよね」
窓の向こうをぼんやりと見ながら、メイは慈しむように呟いた。
見た目は12、3歳の少女だがその眼は子供を可愛がる大人そのものだ。
「そうだな、瑛は賢い。そして強い」
「前の瑛は優しすぎた」
「ああ。とても、とても優しかったな」
赤銅色の髪、若草色の瞳。
それは全ての「瑛」に共通する姿だ。
「瑛」とはそういう存在であり、そして、そういう存在でなければならなかった。
何代に渡って受け継がれていく「瑛」。
「瑛」は次世代の「瑛」を育て、「瑛」の全てを継がせることで半永久的に「瑛」であり続ける。それが「瑛」のあるべき姿なのだ。
それでも、時々イツやメイのような存在からすると受け継いできた完璧な「瑛」にも昔の面影がふと過って見えてしまう。例えば、当代の「瑛」がまだ痩せっぽちで黒髪に、ヘーゼル色の瞳をしていた時の姿。例えば、その前の「瑛」の柔らかな空色の瞳。
だから、イツとメイにとっては「瑛」は1人であって、そして1人ではない。
そして「彼」と同じように慈しみ、敬愛し、そして護るべき存在。
「それにしても、あいつが絡むのか?」
イツはつい苦々しい口調で窓の向こうを睨んだ。
外から来た「あいつ」のことを「彼」は「先生」と呼ぶ。
イツは正直なところ「あいつ」が苦手だった。
「どうだろうね。でも、たぶん。
あの人が自発的に何かしようとしなくても、あの子はきっと先生のところに行くと思うよ」
カモミールティーに砂糖を入れてかき混ぜながらメイは視線を落とす。
口調はひどく穏やかだ。最初からわかりきっていることだから。
イツに反して、メイはどうやらあいつのことがそう苦手でもないらしい。先を見ることに特化したメイに対してイツは時々羨望に近い感覚を持つことがある。
そんな気持ちになったのも、あいつが来てからだ。それが気にくわない、という本当に八つ当たりもいいところな感情を持っている自分にもうんざりする。
先を見ることも、過去を知ることも、どちらだって同じように尊い。
それはどちらが優れているかなんてことを考えるのも無駄な程に同等の価値を持っている。
そんなこと、イツもメイも知っている。
それでも先を知っているからこそ、不確定で得体の知れない新しいものに躊躇いなく手を伸ばせるメイのことが羨ましくて仕方がなくなる。そんなことは、羨んだところでイツにどうにもできないというのに。そしてそれはメイのせいでもなんでもないというのに。
「イツ、気にしなくていいよ。怖いのは当たり前だよ。
今度、いや、明日一緒に瑛のところに遊びに行こう。それで、瑛と私とイツの3人であの子の喜ぶものを選んで作って、あの子のところに持っていくっていうのはどう?
喜んでくれるかな。
私は喜んでくれるかどうかわからないからちょっと怖いけど、きっと楽しいよ」
メイは両手を合わせてにこにこと笑った。
イツは黙って頷く。
何が良いだろうか。
きっと明日は快晴だ。
頑張っている黒髪だった、ヘーゼル色の瞳だった、あの瑛に会いに行こう。
きっといつもの通りに減らず口を叩いて、憎まれ口を叩く、気が強くて、そして確かに前代の優しさを受け継いだ「瑛」だ。
瑛ならきっと、何か気の利いた贈り物をこしらえてくれるだろう。
3人であれでもない、これでもない、と言い合って作る贈り物はきっと悪いものにはならないだろう。そんな日があったって良いじゃないか。
また、あの子が泣き出してしまったらその時はあいつを呼ぼう。
あいつなら首尾よくあの子の涙を止めてやれるだろうし、あの子が泣き止んだお礼に裏庭で採れた丸々と肥った野菜と、それと秘蔵のハニーミードを分けてやってもいい。
美しい瑛の家のサンルームで、雨上がりの日差しに目を細めながら一杯やるというのはそれは素敵な気がする。可愛いあの子と、大好きなメイと、いじらしい瑛と、そして少しいけ好かないが間違いなく紳士的で無礼を働くわけでもないあいつ。
それはきっと、幸せな午後になる。
イツはまるで未来の確定事項のようなそれを脳裡に浮かべて、少しだけ目尻を緩めた。
窓の向こうで徐々に雨粒が小さくなっていく。
鼓膜を揺らす水音は薄いベールのように柔らかく揺れて、明日久しぶりに拝める青空の下、存分に雨粒を受けて瑞々しく映える鮮やかな深緑をイツは思い描いた。
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