第二話 賢者の進言

 ひと月の後、マーリィは一通の建白書をしたためた。内海を渡る『ザッケウス海橋』の建造計画である。

 ザッケウスの街は、内海のうちでも南北の岸が最も接近する海峡に面している。高く、頑丈な石造りの橋を、今は寂れきった港の一角から海原へ抜けさせ、対岸の領地まで渡す。この橋が完成したならば、大陸の央部を繋ぐ大動脈となるだろう。人と物資、なにより帝国の軍隊を対岸に送ることが容易となる。橋に併設される水路は、南の岩山から取った水を運び、北岸一帯の慢性的な水不足問題をも解決する。

「……できるものか」

 言い捨てて、皇帝は書状を乱暴に閉じた。帝国を統べていた彼は、断じて明るい人物などではない。マーリィに対して、あつく信を置いてもいる。しかし、提案された事業はあまりにも壮大すぎた。

「とうとう老いて、ものの大きさも見えなくなったか」

 言い捨てるなり、目の前にかしずく青年にその紙の束を投げて寄越した。

「賢者よ。この具申、どう思う?」

 賢者と呼ばれた青年は、石床から書状を丁寧に拾い上げ、記された内容をあらためはじめた。

 その白く繊細な指先が、すぐに小さく震えはじめる。賢者は一目で、計画の無謀さを見て取った。

(この計画は、間違いなく頓挫する)

 そもそも、この橋は完成させるつもりがないのでは、とすら疑う。

 まず敷設しようとする場所が、二つの岬に挟まれた、入り江の内側。最短距離や浅瀬を結ぶという、橋のセオリーに真っこうから挑んでいる。造りはじめは潮流や嵐には強いかもしれないが、橋の中央部は深い海底に基礎を築く必要があり、今の土木技術でそれは困難だ。

 また、橋を伸ばせば、街の経済を握る港湾施設への干渉は避けられない。潮流の変化と橋桁はしげたの高さが、船舶の航行を大いに妨げるだろう。

 それでいながら、橋の設備をむやみやたらと充実させるつもりだ。橋上は頑丈な屋根と風除けで護り、まるで長城か要塞のていだ。わずかな水を走らせる橋の中段は、人が自由に歩き回れるほど空間を広く取っている。その両側に、大きな窓をいくつも開ける。海上に立つための橋脚の数も多く、一つ一つがこれまた頑強。海上の船から荷を引き上げる施設も備える。

(この件ばかりは、陛下の見識が正しいと言うしかない)

 ならば、この老人の処遇について皇帝にどう進言するのが人々のためになるか。それを考えようとして、賢者は書面を折りたたんだ。

(……いや、これは)

 海にさしかかったところで折られた、橋の設計図。それを見て、賢者はある可能性に思い至った。

 そして、橋の建造にかかる予算、その工面のための段取り、工期、動員する労働者たち。そのすべてを、自分の立てた仮説に従って数え直す。維持管理の手段、徴収する通行料。計算が緻密に噛み合ってゆく。橋は商売の神の寺院へ寄進される。これも予測通りだ。その目的なら、その他の無駄に見える設備の理由にも説明が付く。

 マーリィの目論見が見えた。彼が造ろうとしているのは、対岸に渡るための橋ではない。

 そして賢者は、マーリィが最後に記した言葉に目を留めた。

「人々の真の繁栄のために」

 その迷いなき言葉に、賢者は思わず天を仰ぎ、嘆息を漏らした。

 人々の真の繁栄。賢者はもともと、それを帝国にもたらすことを期待されて、この城に招かれてきた。

 しかし悲しむべき事に、聡明な彼の目には、すでにこの国が行き着くはずの結末が見えていた。

 この帝国は、遠からず滅ぶ。

 ならばせめて、そこに住まう人々が苦しまぬようにと、数々の策を進言し続けてきた。しかし、愚鈍で欲深な皇帝と、己の保身しか考えぬ臣下たちの前に、そのことごとくが徒労に終わってきた。

(この老人の方が、私より多くの事を成し遂げられる)

 ここで仮に、賢者が、皇帝、あるいは己の欲望に忠実であったなら。彼はここで、マーリィの計画を全て暴きたて、その財をむしり取ることもできただろう。しかし……彼は、その下で暮らす人々に対して誠実であった。

 賢者は瞑目めいもくし、冷たい汗を頬に浮かべる。思わず眼前に暗いものを覚える、それをいいことに、闇の中で深い思索を繰り返した。やがて……彼はひとつ息をつき、心の内で決意を固める。

 皇帝に、逆らうのだ、と。

 賢者の様子をただ不思議そうに眺めていた皇帝に向けて、まずは口を開く。

「やらせるべきです」

 決して本心を悟られぬよう、努めて平静を装いながら、マーリィの提案を強く後押しする。

「陛下と、御国の繁栄を心より案じての具申と思われます。彼は与えられてきた恩に報じようとしているのでしょう……これもすべて、陛下の御人徳のたまものでございます。それに古来より、橋を架けるのは聖堂を造るのと同じ、魂の救済を求めて行われる事業。この男は、己の死後の救済と浄財も願っているものと思われます」

「そちは、これが成功すると思うのか?」

 皇帝の問いに、賢者は意外そうな顔を示してみせる。

「陛下にはこの事業、大きく見えますか……?」

 偉大なる陛下には、この程度の事業はむしろ相応しいとも言えましょう。そう説くと、疑念を挟ませるよりも早く、言葉を継ぐ。

「彼はこの計画にかける費用、すべて自らの私財でまかなうと申し出ております。建材も全て、自分の商いの剰余を私財で買い上げたものを用いて、他所への供給は滞らせないことも約束しております」

 折しも、根本的な失策のために不況は長く続いており、建材と失業者は充分なほどに余っている。

 ここで賢者はわざと声を潜め、皇帝に向けてささやきかけた。

「……利用するのです」

 城に仕えるようになってから学んだ、佞臣ねいしんが浮かべるべき、へつらいの笑み。それを顔いっぱいに貼り付ける。

「国は許可だけ与えて、国庫から一文いちもんも出さずに見守るのです。この大きな事業によって、街の経済は確実に動きます。国庫は痛くないどころか、建造している間は潤います」

 ここで嘘は告げていない。さらに調子の良い言葉を続けて、たたみかける。

「仮にどこかで頓挫したとしても、全ては老人が挑んだ取り組み。陛下の名誉に傷は付きませぬ。そして……もし、事業が上手く行きそうならば。その頃には、資金繰りも苦しくなっておりましょう。そこに横から財を投げ込んで、国の支配にすげ替えるのです」

 そして、橋が完成した時に皇帝が得るであろう益を、甘い言葉で次々に吹き込んでゆく。あとは賢者の思うがままだった。皇帝は次第に、いずれ得られるであろう名誉と、対岸の領地に送り込める軍勢のことばかりに執心となっていった。

「もっとも……実際の完成が何時いつになるかまでは、取りかかってみなければわからぬことですが」

 賢者は最後に小さく告げたが、皇帝はそんな言葉など、気にも留めてはいなかった。


 皇帝による許可はその日のうちに出され、監督と監視には賢者が任ぜられた。そして冬に入って間もないうちに、橋の建造は始まった。

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